第44話 三振
1915年10月25日、日本海軍は対インドネシア戦で最後になるであろう作戦を発令した。
作戦名は「終号作戦」、文字通りインドネシアを降伏させることが目的だ。
参加艦艇は第1・2艦隊から選抜され、「美作」型戦艦4隻をはじめ装甲巡洋艦4、二等巡洋艦2、駆逐艦24。
他にも第3艦隊が全兵力を上げて参加、第5艦隊からも潜水艦が10隻ほど参加している。
第4艦隊は旧式戦艦4、旧式装甲巡洋艦4など船団護衛に従事しているものを除き動ける艦艇をみな連れてきた。
このような大兵力を連れてやることとは……、インドネシア首都ジャカルタの占領である。
インドネシアには今まで何度も降伏を勧告してきた。
しかしインドネシア政府、というより元首である前田は全く応じようとはしない。
未だにインドやオーストラリアが助けてくれると信じているのだ。
そんなことは無理なのは誰もが承知している。
素人でも普通に分かりそうなものだが前田は少なくともそうは思っていない。
もちろん根拠などありはしない。
ただそう思い込んでいるだけである。
インドネシア政府・民衆・軍部のほとんど誰もが降伏を望んでいる。
たまたまこないだはスマトラで日本軍を撃退したが、次はそうはいかないことは分かっている。
島国インドネシアを守るべきインドネシア海軍はもはや存在しない。
このジャカルタだって連日日本の飛行機が上空を我が物顔で飛んでいる。
その飛行機を撃ち落すことさえできないのだ。
そして、今回の作戦は今までの日本軍の戦い方とは大きく異なる面がある。
今までは市街地に対する攻撃は最小限に抑えていたが、それを今回はなくしジャカルタ市街への砲撃も許可されているのだ。
こうでもしないとインドネシアは降伏しない、そういう危機感が出ているのである。
もちろん下手すれば逆に戦争が長引く可能性もあるがこれくらい強烈なパンチを与えないと前田は折れないだろう。
市街地・軍用地を問わず焦土としてから陸軍部隊を揚陸、ジャカルタを攻略する……。
俺もしたくはないがダラダラと戦争を長引かせてこれ以上日本兵を殺すわけにはいかない。
日本兵10万を助けるなら敵国の兵、いや民間人であっても100万人殺したっていい、そんな平時でが考えられないことが今ではかなりの重みを持ってのしかかる。
それが戦争。
どんなに立派なことを言っても、戦争に大義もクソもない。
あるのは破壊と殺戮だけだ。
10月4日、日本艦隊はジャカルタ沖合いに到着した。
ここで第3艦隊の空母2隻から艦載機40機が出撃する。
行き先はジャカルタ市街。
ただしこの40機は爆弾を搭載していない。
この40機が搭載しているのはビラである。
このビラはまさに犯行予告とでもいうもので、3日後に徹底的な砲爆撃を加えるから早く脱出せよというものだった。
ビラを撒いたのはさすがに突然市街地を攻撃して民間人を殺傷するのはどうかという意見が大勢を占めたからである。
ただこうして民間人に対する配慮が行われるのはこの戦争が最後になるだろう。
次からは戦略爆撃機が敵地上空を舞い、無差別に市民を虐殺するようになるのだから。
翌日、偵察機からの報告によると多くの市民が攻撃を恐れてジャカルタを離れようとごった返しているということだった。
軍部も、もはやそれを止めようとせず、むしろ手伝った。
彼らには日本軍の攻撃を止める力はないのである。
国民を守るという本来の存在意義からすれば、今は一人でも多くの市民を逃がすことが彼らの任務なのだ。
そしてその次の日、ジャカルタ市内で最後となる御前会議が開かれていた。
政府も軍部も、降伏やむなし、これ以上犠牲を出すのは忍びないという意見で一致している。
しかし、一部の青年将校と女王前田のみが徹底抗戦を主張して譲らない。
国土全てを焦土にしても日本軍と戦い続けようとする過激な青年将校達は、降伏を勧めようとする軍上層部や政府官僚を国賊と糾弾、一歩も引こうとはしなかった。
陸・海軍首脳や政府高官はその日の午後、首相官邸に集まりとうとうその日が来た、とかねてから計画していたことを実行に移すことを決意する。
その日の夜、その計画は実行に移された。
海岸線防備に当たっていたインドネシア陸軍第21師団及び第22師団はその夜ひそかに移動を開始、1時間後には宮殿を完全に包囲する。
さらに内陸防備に当たっていた第11・13師団も首都市街地へ入り、そのうち1個連隊が降伏反対派の青年将校らが宿舎としている建物を取り囲む。
そして日付の変わった午前0時、首都に銃声が響き渡った。
クーデターの始まりである。
これはかなり前から計画されていたことで、各師団の師団長らもすでに了解していたため、全く混乱もなく各部隊は配置につき一斉に行動を開始した。
まず宮殿を取り囲んでいた部隊は女王を逃がさないように完全に包囲してから、精鋭1個大隊が実際に突入する。
ここでは全く銃撃戦は起こらなかった。
女王の親衛隊もすでにクーデター計画に賛成しており、外の部隊が行動を開始したのにあわせて女王を拘束、部隊に引き渡したのである。
一方、青年将校宿舎を襲撃した部隊は青年将校らの抵抗により銃撃戦となり、5名を射殺し8名を拘束した。
また、投降を嫌って4名が自決しており、逃亡した数名も市内で他の部隊に発見され射殺されている。
これにより反対派はほぼ消滅、一夜にして政権を奪取することに成功した。
その後暫定政府により市内には戒厳令が出され、厳重な警備体制が敷かれた。
万が一これに対する反乱等が起こるのを恐れたのである。
しかし市民はほとんど脱出した後で残っている人数は少なく、第一何が起こったのか理解できていなかった。
一方そんなことは知らない日本艦隊は早朝に第1次攻撃隊80機(水上機との混成)を出して爆撃を開始しようとしていた。
攻撃隊は午前5時に出撃し、その20分後にはジャカルタ上空へ到達、爆撃航程に入る。
それを見てあせったのはクーデターで政権を奪った暫定政府である。
まさかこんなに朝早くから来るとは思っておらず、降伏文章の起草を行っていたところで彼らはもはや手続きにこだわっているときではないと首相官邸の屋上に白いテーブルクロスを広げて降伏する意思を示した。
しかし攻撃隊は気付かず第1派は攻撃を開始、市街地に爆撃を開始してしまう。
まず第1波の先陣20機がジャカルタ中心部に爆弾を投下、複数の建物が倒壊しその地区の警備に当たっていた兵士数十名が瓦礫の下敷きとなってしまった。
さらに港湾施設(といってももはやほとんど残ってないが)にも爆撃を行い火災が発生する。
爆撃成功、攻撃隊長はそう確信し上空を旋回する。
彼が異変に気付いたのはそのときだった。
官庁街の上空を飛んだとき、何かの建物の上で白い布のようなものを広げて一生懸命こちらに何か叫んでいる人影が目に入ったのだ。
彼は咄嗟に何か判断できず、旋回してもう一度その建物に近づく。
そして彼はその意味を理解する、白旗を掲げている……つまり降伏したのだと。
しばらく彼はようやく終わったと胸をなでおろし、今まで長かったなぁと感慨に浸った。
シンガポール奇襲、マレー作戦、カルカッタ沖海戦……。
様々なシーンが彼の脳裏をよぎる。
しかしまだインドやオーストラリアが残っている、もう一踏ん張りしないとなと彼が思ったそのとき、彼はなぜ自分がここにいるのかを思い出し狼狽した。
「全攻撃隊に告ぐ!すぐさま攻撃を中止せよ!繰り返す、攻撃中止!!」
余裕、余裕と油断していたら日本史のテストがまさかの壊滅…。さすがに半分は切らないとはおもいますが大打撃を受けた模様です。平安時代のとこはやっぱりきつかったです…。
そして先日上げた前話ですけど8月1日から10月1日へ日にちを変えました。あらすじの方に書いていたのも1917年になってたので1915年に訂正しました。これは今後の話と辻褄が合わなくなるので直しました。ご了承ください。そんなに大きな変化ではないですが…。
今回の名言↓
「会戦計画を貴官にゆだねるのではない。その実行を任せるのだ。いかに実行するかは貴官のまったく自由だ」
ーユリシーズ・S・グラント (南北戦争時の北軍大将で後大統領)