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第41話 ラバウル上陸戦



インド洋での戦いと同じ頃に、偶然に太平洋でも大きな戦いが起こった。

場所は現パプア・ニューギニアのビスマルク海。

英語ではビスマークと発音し、ニューギニア島・ニューブリテン島・ビスマーク諸島に挟まれた海域である。


日本軍はニューブリテン島を占領しようと艦隊をこの海域に送り込んだ。

編制は戦艦「安芸」「石見」に二等巡洋艦2隻と駆逐艦24隻。

そのほか陸軍部隊を乗せた輸送船40隻とその直接護衛隊の旧式戦艦2、旧式装甲巡洋艦2、護衛駆逐艦21がいる。

これらの艦隊はトラックを出港してから10日ほどでラバウルへ到着、上陸を開始した。


陸軍部隊は臨時編成の第101軍団。

2個師団から成る部隊で軍団長は梅沢道治中将。

史実では日露戦争で活躍した将である。

彼のことは有名でほとんどの方が知っていると思うが、近衛後備歩兵第1旅団を指揮して沙河会戦でロシアの大軍を撃退し名声を得た人だ。


彼もシンガポールにおける大迫同様かなりのご老体だが、史実と違いリューマチの持病もないし何より元気である。

そのため何とか中将まで昇進して現役を保っていた。

彼自身は大戦がなければ引退するつもりだったらしいが、大戦勃発でもはや希少価値となった実戦経験のある(といっても戊辰戦争のものだが)将官の一人のため慰留されてたのである。

そして今回、戦争の裏舞台のようなラバウル攻略戦を他の将官が嫌って受けなかったので彼が任命された。


7月2日、艦隊は無事にラバウルに到着し部隊の揚陸を始めた。

先遣隊の報告によると敵部隊は存在しないとのこと。

梅沢中将は安心し、彼もその日の午後に上陸した。

しかし全部隊の揚陸が完了した5日の午後、上陸して陣地構築作業を視察している際に彼は異変を感じる。


「これはまずい……、敵の部隊が来るぞ。全部隊に通達して陣地構築をやめて部隊を集結させるんじゃ」


参謀は首をかしげた。

先遣隊は上陸地点から10キロ離れた地点まで出て敵部隊の捜索をしているが、そこから何の報告もない。

なぜ敵部隊が来ると分かるのかと問うと、


「『いくさの匂い』がするんじゃ。先遣隊は敵に襲われとるかも知れん。無線で呼び出せ」


と言った。

そんな馬鹿な、と彼は思ったがとりあえず通信兵を呼びにいこうとした。

ところが少将の従兵が駆けてきて驚くべきことを口にする。


「梅沢中将!先遣隊から救援要請です。我敵部隊の襲撃を受けつつあり、救援求む!」


参謀は驚きを通り越して唖然とした。

一体どんな特殊能力の持ち主なんだ、あのじいさんは。

戦場の経験がある人は常人とは違う何かを持っているのか……?


「他の先遣隊をすぐにその場所へ向かわせるんじゃ。わしらも行くぞ。参謀、全部隊に進軍命令!」


参謀は我にかえって命令を出すため走り出した。



それから5時間後、日没まであと少しとなった頃に日本軍部隊とオーストラリア軍部隊の戦闘が始まった。

もはやあたりは薄暗く、豊富に配備された砲兵隊が使えないためそのまま白兵戦に突入する。

しばらくして日は完全に沈み辺りは真っ暗になってしまった。

日本軍は照明弾を打ち上げるが性能が良くないため大した効果はない。


そこで梅沢中将は砲兵隊に対し戦闘しているところより奥のジャングルへ砲撃するように命令した。

砲兵隊や参謀らはそれに何の意味があるのか分からなかったが、とりあえず命令であるため砲撃を開始する。

夜空に砲弾が舞う。

その砲弾は敵を砕くことはなく、ただジャングルの木々をなぎ倒す。

そのうち木が燃え始め夜空を明るく照らした。


異変が起きたのはそのときだった。

次々に敵部隊が退却しはじめたのだ。

自らの背後でジャングルが燃えているのは日本軍が退路を絶つためにやっていることだと思ったのである。

これにより敵部隊は一気に士気が下がって我先に逃げ始めた。


梅沢中将はこの報告を聞くと部隊に兵をまとめて引き揚げるように命令した。

参謀らは追撃を主張したが彼はそれを聞かない。

今ここで追撃しても味方の損害が増えるだけだ、こんな暗闇で敵味方が区別できない、同士討ちが起こるに決まっている。

というのが彼の言い分であった。


結局その通りになった。

日本軍が追撃を中止しても銃声が鳴り止むことはなく、あちこちで銃撃戦が起きているようである。

朝まで続いたその銃撃戦でたくさんの兵が命を落とした。


朝になって部隊を整頓してみると日本軍も4000人の兵士が戦死、または行方不明になっていた。

他にも負傷兵が5000人弱おり、いかに戦闘が激しかったのかを物語っている。

オーストラリア側の損害は不明だがそれなりに打撃を与えているはずだ。

今回はどのくらいの敵がいるかも分からずに戦闘に突入してしまったのである。

これはかなりの大問題だが梅沢はせいぜい5万くらいだろうと思っていた。

事実戦後調べてみるとその通りであったのだから驚く。

ただこれは「匂い」ではなくオーストラリア軍の総兵力から想像してのものだそうだが。


一方陸での戦いが一段落したあと、海でも大きな戦いが起こる。

まず敵が見つかったのは7月6日の午後。

敵艦隊出現に備えて本隊から分派され、ビスマーク海まで警戒に出ていた護衛駆逐艦「ひのき」が最初に発見した。


「敵艦見ゆ、ラバウルの西南西約400キロ!兵力は戦艦2隻を含む30隻余り、ラバウルに向かっている模様。繰り返す、敵艦……」


本来こんなに遠くまで来る予定はなかった。

しかし敵艦隊は必ず出てくると思っていた「檜」艦長が少しでも早く見つけたほうが味方のためになるとかなり遠くまで哨戒に出ていたのである。


この報告を打った後も詳細な敵艦の報告を続け、そして「檜」は撃沈された。

当然である。

旧式で速力も低下している護衛駆逐艦が逃げ切れるはずもない。

しかし艦長以下決して降伏せず敵艦に向かって突撃したという。

集中砲火を浴びて爆沈した同艦の生存者はいなかった。


日本艦隊はその仇を討たんと艦隊を集結させ全速力で向かう。

敵艦隊と出会ったのは翌日の朝、ここに第1次世界大戦太平洋戦線最後の艦隊決戦が始まった。



注)ここでの護衛駆逐艦「檜」は史実の第1次大戦時実際にいた駆逐艦「檜」とは別物です。史実の「檜」は「桃」型駆逐艦3番艦で1917年舞鶴海軍工廠で完成、地中海遠征にも参加しています。こっちの「檜」は史実の初代「神風」型(1904年建造開始)あたりを少し大型化したものを、改造して改名したという感じでお願いします。ちょっと小さいので外洋航行には難がありますが……。

当たり前ですが史実の梅沢中将に敵の攻撃を察知する特殊能力があったわけではありません。筆者が勝手につけました。「いくさの匂い」が分かるというのはあったらしいですけど…。


今回の名言↓

「警戒は『盾』であって、致命的な武器ではない。しかし、攻撃機能を備えていない警戒は自殺の時期を遅らせるだけだ」

―フラー


あと自分も今日から試験週間に入ります。今度こそ勉強を頑張ろうと思います。ただ更新は備蓄があるのでそれでやっていこうとは思いますが途絶えたら申し訳ないです。2週間後には完全に終わりますのでそれまでしばらくお待ちください。

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