第31話 良いお年を
1914年も残すところあと2週間ほどとなった。
陸軍はインドネシア方面のみ動いている。
インド方面軍は航空隊の進出が遅れていることや第5軍の補給が完璧でないこと、インパールのインド軍要塞が思ったより堅固であるとの報告が入ったことなどからマンダレーで未だにたむろしていた。
で、そのインドネシア方面軍だが激しいインドネシア軍及びマレーシア軍の抵抗受け、多数の死傷者を出しながらの前進が続いていた。
まず3週間ほど前、クラ地峡付近に到達したインドネシア方面軍はそこに陣地を構えていた連合軍と交戦を開始した。
しかし驚くほど強固な陣地に阻まれ前進できない。
日本軍はいつものように徹底的な砲撃で連合軍陣地を攻撃するがしっかりと掩蔽されており大した打撃を与えることはできなかった。
3日間ほど砲撃を続けたが効果は薄く、弾薬の残量が少なくなってきたこともあり歩兵による肉弾突撃が行われた。
たださすがに昼間にやるのははばかられ、夜間の強襲ということになり歩兵部隊は敵陣地近くまで忍び寄り後はただがむしゃらに前へ前へと突撃する。
敵軍も当然これに気付き、機関銃や砲で反撃してきた。
夜空に無数の曳航弾が走り、砲弾の爆発はあたりをまるで昼間のように明るくする。
光ったとき人が吹き飛ばされているのが見える。
しかし、日本軍は躊躇することなく走った。
もはや作戦云々の問題ではない。
ただ真っ直ぐ駆け、一秒でも早く敵陣地へ乗り込むことが損害を少なくする唯一の方法だった。
翌日朝、陣地には日の丸が翻っていた。
一晩中続いた激戦で兵士達は皆何がどうなっているのか分からなくなっていたが、朝日の中ではためく日の丸を見てようやく占領に成功したと初めて知ったのである。
そして戦場のあちこちで万歳三唱が起こる。
しかし、たかが陣地一つを抜くだけなのにあまりにも大きな損害を受けていた。
その日集計された日本軍の損害は死者2万1400名、負傷者3万5000名というとてつもないものだった。
つまり3個師団が丸々消えたことになる。
やはり歩兵の突撃で陣地を抜くのはこれだけ高いリスクをはらんでいるのだ。
インドネシア方面軍司令部はあまりの損害の多さに驚き一時前進中止を考えたほどだった。
しかし統合作戦本部に尻を叩かれそのまま前進を続け、現在はマレーシアとタイの国境付近でまた敵軍陣地にぶつかっている。
軍は二手に分かれたマレー半島東岸をまわる第1軍はコタバルを、西岸をまわる第2・4軍はジットラをそれぞれ攻撃していた。
若干砲弾の量が不足していたがこの二つは大した陣地でなかったので1日で突破することができた。
ただここでも両方面あわせて1万6000もの死傷者。
さらに弾薬や食料も心細くなったため日本軍はここで一時的に前進を停止することにした。
対する連合軍側の損害はクラ地峡の戦いで死者1万500、負傷1万1000と日本軍の3分の1で今回も5000名程度で済んでいる。
もちろんそんなに軽い損害でもないが明らかに日本軍より少ない。
彼らの損害が少ないのは陣地に固執することなくさっさと撤退しているためだ。
日本軍に打撃を与えるとさっと次の陣地へ引き揚げる。
そこへ日本軍が迫ると少し抵抗して日本軍に出血を強いてまた次へ。
まさにヒットアンドアウェイの見事な戦闘である。
ここからは陣地の数も増えるため、この調子で行けばシンガポールに迫る前に日本軍は出血多量で倒れてしまうだろう。
そのため兵員及び重砲の補給が行われることとなる。
陸路での物資補給を行う予定だったが、あまりにも時間がかかり過ぎるため海路での補給を行うこととなり、海軍に出撃命令が下る。
今回の輸送作戦は2回に分けて送られ、第1回目は消耗した兵員の補充部隊として後備第5師団と後備第7師団、第2回目は新たに第1軍に編入される第82師団と第25砲兵旅団が送られる予定である。
第25砲兵旅団は半年前にシンガポール攻略のために編制された部隊で重砲を大量に配備されているのが特徴である。
この部隊は陣地攻略の大きな手助けとなるだろう。
これらを乗せた輸送船団を直接護衛隊として第4艦隊から旧式戦艦2隻と旧式装甲巡洋艦4隻、そのほか護衛駆逐艦(旧式駆逐艦を船団護衛用に改造したもの)など45隻が守る。
また、間接護衛隊として第1艦隊と空母2隻が出撃しシンガポールを攻撃する予定だ。
二国艦隊が出てくれば第2艦隊や第3艦隊にも出撃命令を出すがおそらく出てこないだろう。
第1艦隊は現在「安芸」と「石見」の修理も完了して8隻全ての戦艦がいる。
戦艦が2隻しかいない二国艦隊が太刀打ちできる相手ではない。
出てくれば第1艦隊だけでもおそらく一方的な殺戮になる。
ここ最近敵艦隊には全く動きが見られないし、おとなしくしていてくれるのではないだろうか。
こうして1914年最後の艦隊がサイゴンを出撃した。
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今回の名言↓
「故に兵は拙速を聞く。未だ巧みの久しきを睹ざるなり」
ー孫子