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第26話 ミャンマー方面概況



タイ方面は一段落ついたのでミャンマー戦線についてここで状況を報告しておこう。

ミャンマー方面を担当するのは開戦の時にも説明したように第3軍の10個師団と4個砲兵旅団であるがなかなか思うように前進できていない。


原因は何より深いジャングルである。

普通の兵士でもジャングルの中での行軍は体力を消耗するし移動速度も遅い。

この20万を超える大部隊ともなればそれはもう遅い。

しかも十分な火力を得るためと4個も砲兵旅団をつけているのが邪魔で邪魔で仕方ない。


戦場の神である砲兵部隊も今はただの厄介者となってしまったのだ。

分解して簡単に運べる山砲はまだいいが、重砲を抱えた部隊は毎日毎日相当な苦労である。

自動車は当然使えないし馬は熱帯の暑さに耐えられない。

そのため必然的に人力輸送に頼るしかないのだがそれも限界がある。


はじめはなんとか引っ張って行こうとした司令官だったが、さすがに気の毒になってきたのとあまりにも遅いので重砲部隊はシャン高原に残すことにした。

しかしそれ以降も進軍は進まない。

しかもミャンマー軍の散発的な攻撃、というより嫌がらせは毎日のように続いている。

あれだけ苦労して運んでいる砲も役に立たない。


ジャングルの中では真っ直ぐな弾道を描き、直接照準をつける通常の砲では照準が難しくなかなかあたらないのだ。

こんなときに活躍するのは迫撃砲である。

軽量で持ち運び便利、組み立ても簡単ですぐ射撃を始められる、さらに弧を描いて飛ぶ弾道で間接照準と理想的なのだが、まだ開発されていない。


史実で初めて迫撃砲が使用されるのは日露戦争である。

旅順要塞攻囲戦のとき現場の部隊がとっさに工夫して使用したという。

木製でお手製のそれは射程300メートル程度だったというがこれを見た外国の観戦武官が本国へ持ち帰りヨーロッパ各国で発展させていく。


ところが当の日本陸軍はこの砲のことなどすっかり忘れてしまい、後に逆輸入して開発をしたらしい。

当然この世界の日本陸軍にはそんなものは知らず、戦争直前に俺が思い出して開発を命令したがもちろん間に合わなかった。

現在開発を急いでいるが結構かかりそうだ。


さて、余談が過ぎたが第3軍はモタモタと進みながらも4月の始めごろにようやくミャンマー中部マンダレーへ進出、同地を守備するインド・ミャンマー連合軍28万と戦闘を始めた。

4ヶ月も猶予を与えられた連合軍はかなり強固な陣地を作っていたが、ここでようやく苦労して運んだ砲が役に立つ。

4個砲兵旅団、しかも史実と比べても1個旅団あたり2割り増しの火力が与えられているこれらの部隊はジャングルへの憎しみ(?)を爆発させ連合軍陣地へ砲弾のスコールを浴びせた。


重砲を置いてきたのは痛いがそれでも野戦築城の陣地は十分破壊できた。

4ヶ月もありながら永久・半永久築城を施していなかったのは連合軍の怠慢であろう。

もっとも造ろうにもセメントはインドから運んでくるしかないから大変ではあったろうが。


日本軍の砲撃が弱まると連合軍は歩兵突撃を開始した。

数で勝る以上押せば勝てると思ったらしい。

しかし大量に配備されている機関銃の餌食となり、さらに砲弾が再び荒れ狂い始め悲惨な状態となった。


そして連合軍が退却を始めると日本軍は全線で攻勢に転じ連合軍を追撃した。

ところが再度連合軍が攻勢をかけてきた。

どうやら予備隊がいたらしい。

敵情把握が甘かったようでこの逆襲に日本軍が混乱した。

しかも逆襲してきた敵の数がかなり多い。

退却していた部隊も反転して攻撃をはじめ日本軍は押し戻されていく。


この状態を救ったのも火力だった。

白兵戦となり敵味方入り乱れて戦闘をしていたのだが司令官は砲兵隊に対し砲撃を命じた。

敵は日本軍と入り乱れて戦ってしまえば日本軍砲兵も射撃できないと、戦国時代の日本でいう「付け入り」を狙ったようだがここでは日本軍が構わず撃ってきたため失敗。

無論味方の兵も吹き飛ばされているが敵に与えた打撃は大きく連合軍は再び退却していく。

今度は砲撃による追撃のみ行い戦闘は終了した。


日本側の損害は戦死1万5000、負傷4万2500と参加兵力の4分の1にも及んだ。

対する連合軍側は遺棄された死体だけでも2万5000はあったため全体の戦死者は4万強、戦傷者は6万に上ると推測される。

実際は戦死3万2000、負傷5万1000だったがそれでも大打撃に変わりはない。


この戦いは初めて日本兵の死傷が5万人を超える大損害を受けた戦いとなり、第3軍は損害の補充と弾薬の補給のためマンダレーでしばらく停止することとなる。

3週間後、第3軍が通ってきたところに造られていた(進軍しながら造っていた)道がかなり狭いし整備も荒いが一応開通し、トラックによる物資の補給・兵員の補充が始まった。

ただやはり道が狭すぎたようでなかなか補給ははかどらずマンダレーで2ヶ月近い滞在を余儀なくされることになってしまう。


その間にタイは降伏し、第3軍はインド軍へ備えることとなりインド国境を目指すことになる。

が、こないだの連合軍の敗戦部隊がインド方面ではなくヤンゴン方面へ逃げてしまっていたことが分かり、新たに編制される第5軍がヤンゴンを包囲するまで再び待機命令が下った。

この長対陣にイライラする兵士も出たが、補給路の整備という面では悪くない。

それに開戦以来続いてきた戦いの疲れを取るのにいい休養期間ともなる。


そうそう、軍の規律は厳しいため婦女暴行事件などは起きていない。

もちろんいわゆる売春婦達が集まってきてマンダレーは微妙な賑わいを見せてきてはいるが…。

まぁしかたあるまい、人間だもの。

本能には逆らえないのだ。


さて、それはともかくタイが降伏してから3ヶ月ほどは全線に渡って目立った戦闘もなく平和に過ぎていった。





テスト終わりました!結局途中から更新してましたがこれからもできるだけ早い更新を心がけて頑張るのでよろしくお願いします。


今回の名言↓

「常に代替目標を持つような目標を選べ!ということだ。目的に至る道(目標)は多いが、目的を具現する目標が行き止まりであるときは最悪である」

ーリデル・ハート

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