第22話 カンボジア国境戦
1914年2月14日、今度はベトナム・カンボジア国境で大規模な戦闘が発生した。
カンボジア回復を目指す日本軍と、占領したカンボジアを維持しようとするタイ軍との戦いである。
参加兵力は日本軍約54万名、タイ軍が約45万名。
日本軍の部隊はこの方面を受け持つ第1軍である。
第1軍は華南の部隊を中心に集められた8個師団と2個砲兵旅団、さらに旧ベトナム陸軍の10個師団と旧カンボジア陸軍の8個師団を加えた大部隊だ。
もはや「軍」という単位では収まらなくなっており、この戦いの後それぞれ第21軍・第22軍が新しく編制されることとなる。
戦いは日本軍砲兵隊による一斉射撃から始まった。
カンボジア国境線付近に築かれていたタイ軍陣地は、日本軍砲兵隊の猛射で木っ端微塵に吹き飛ばされていく。
何しろ日本軍の砲は野砲・重砲各種あわせて2000門を軽く超えている。
しかも中には24センチ榴弾砲とかいう化け物まで混じっていたのだ。
野戦築城程度の陣地が耐えられるはずもない。
そして砲兵隊の砲撃が終わると日本軍部隊が全線で攻撃を開始した。
一気に突破してやろうと突撃を始める。
最初のうちは順調に敵の陣地(が先ほどまであったところ)を次々に占領して進んで行った。
ところが途中で進撃が止まってしまう。
大きな河が行く手を阻んだのだ。
この地域にはメコン川をはじめかなり大きな河がいくつも流れている。
日本軍部隊は当然そこを渡らなければならず、水深が浅いところを選んで部隊を進めているのだが、当然タイ軍も日本軍がそこを渡ることは分かっているためそこに強力な部隊を置いているし陣地も当然堅固に造っていた。
河に入れば蜂の巣にされてしまう。
歩兵部隊が攻撃を開始してから2時間ほど経ったが日本軍は川を渡れない。
ある大隊は強行突破を試みたが河の中ほどまで進んだところで機関銃を含むタイ軍の猛射を受けほぼ全滅。
この行動は大隊長が独断で行ったもののようだがその大隊長も戦死。
この部隊の死者は400名にものぼり河は血で一時赤く染まったという。
他の部隊も敵の攻撃が激しく河に入ることなんてとてもできない。
河に入れば先ほどの大隊と同じ運命を辿るだけだ。
砲兵隊が再度砲撃を行い、その間に突入しようとしたが敵の砲火はなかなか衰えない。
戦線はこう着状態に陥ったかに思えた。
この状況を打開したのが日本軍航空隊による攻撃である。
ここから100キロメートルほどメコン川を下ったところに仮の水上機部隊の基地が作られていて、そこには第8航空師団の分遣隊約60機がいた。
この会戦が始まるわずか数日前にここに到着したため不慣れな場所で急に攻撃に出すのはどうか、という意見もあったが日本軍苦戦という報告が届き、河に沿って北上していけばいいということで急遽出撃してきたのである。
この60機は5箇所ある渡河点のうち1箇所のみを狙って集中攻撃をかけた。
爆撃を受けた陣地のタイ軍は完全に浮き足立ち、爆撃の後弾着観測機により誘導された重砲隊の正確な砲撃を受け大打撃を受ける。
そこへ日本軍が総攻撃をかけたためタイ軍は敗走した。
戦線が1箇所でも崩れると後は脆い。
もともと数・質両面で不利だったタイ軍は日本軍が河を渡ったことを知ると撤退を開始した。
そこへ日本軍航空隊が再び来襲、退却中で全く身を守るすべをもたないタイ軍は爆撃をモロにくらって大混乱に陥ってしまう。
そして爆撃の後は機銃掃射。
航空隊は最後の一発まで撃って引き揚げていった。
そうこうするうちに日本軍が追いついてきて砲弾や機関銃弾が飛んでき始めた。
恐怖心が最高に高まったタイ兵達は次々に投降し始める。
しまいには大隊ごと集団投降してくるところもありこの戦いでタイ軍は参加兵力の半分以上を失ってしまうこととなった。
さらにそのわずか1週間後、今度はタイ・インドネシア連合軍のラオス侵攻部隊が日本軍と交戦した。
戦闘の詳細は省略するがビエンチャンに文字通り「背水の陣」を敷いていた連合軍を日本軍の第1・4軍が挟撃、さらにラオス残存部隊が怒りとともに市外へ突入すると耐え切れなくなった連合軍は退却を開始する。
ところが背後は河、早いうちに河を渡った部隊は良かったが退却援護のため残っていた10万強の部隊は完全に退路を絶たれ3日間の抵抗の後に降伏した。
この二つの戦いでタイ軍は大打撃を受け戦線を縮小、カンボジアを放棄して自国領内へ撤退した。
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今回の名言↓
「すべての事柄に手落ちのないようにこだわる者は、何物も得ない。目標はただ一つ、敵軍だ」
ーフレデリック大王