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第12話 新型装甲巡洋艦



1908年1月15日、俺は青島チンタオにいた。

今日はある艦の公試運転に立ち会うためだ。

その艦とはもちろん、俺が国防会議で提案した新型装甲巡洋艦「筑波」「生駒」の2隻である。


2隻は今青島沖を全速力で航行中だ。

煙を立て、白波を切って海上を進む。

堂々とした力強さを感じる。

俺はやっぱいいなぁ…とうっとりと見とれていた。


これがこの2隻の基本性能だ。

基準排水量  1万2540トン

速力  24.5ノット

兵装 主砲  25.4センチ連装砲 4基

   副砲  なし

   対水雷艇砲  40ミリ単装機関砲 20基

   魚雷発射管  なし


まさにミニ「ドレッドノート」だ。

「ドレッドノート」同様タービン機関を採用しており、速力も前級である「出雲」型の20ノットから大幅に伸びている。

副砲・中間砲を全廃して主砲のみにし、単一の大口径砲のみで構成されているのも同じ。

これは俺がインターネットをぶらぶらさまよっていた時にたまたま「ドレッドノート」のページを見て設計変更させたのだ。

設計側は大迷惑だったと思うが、それが正しかったことは「ドレッドノート」の就役で理解してもらえたと思う。

また、設計者達や用兵者側の要望などで主砲口径が大きくなったりと、俺の要求したことと変わっていたりもする。

これらのおかげで史実どおり1906年の暮れに就役した「ドレッドノート」のせいで建造中から旧式艦の烙印を押されることもなく、こうして期待の新鋭艦として日本海軍に編入されたのだ。


それと言い忘れていたがこの艦は今までの艦と違い魚雷発射管はない。

従来艦は戦艦でも水中魚雷発射管を持っているし、「ドレッドノート」でさえ装備している。

しかし、当時の魚雷は射程の短い本当の短刀兵器だ。

そんなもの積んでいても使うシーンはないし使うときというのはそれだけ接近しているということであり、間違いなく艦が沈みかけているころである。

被弾したときに誘爆する危険性こそあれ実用性はないに等しい。


それに今後も重巡(今はまだ装甲巡洋艦と呼ぶが)には積まない方針だ。

史実では重巡も搭載しており、実際活躍した戦いもあるが駆逐艦が進歩していき十分な水上打撃力を持つようになる。

わざわざ重巡にまで積む必要性はない。

ただ個人的には魚雷を装備して敵戦艦と戦う重巡達というのはものすごく魅力的だ。

まさに漢のロマンといった感じだが個人の趣味で兵器を決めていいわけないので我慢する。


ところで、史実の「筑波」型と比べて足も速いし主砲の数も多いが、主砲口径が小さい。

史実のそれは30.5センチであるのに対しこっちでは25.4センチだ。

船体も史実のと比べて一回りか二周りほど小さい。

これは戦艦よりもまずは手ごろなサイズの装甲巡洋艦で大型艦建造の経験を積まして起きたかったことと、様々な新技術のテストを兼ねていたということだ。

まぁ爆風対策がまだしっかりしていないため、背負い式を採用したとき砲撃の爆風でいろんなものが壊れるかもしれないからというもっともらしいものもあるが、ようするに2隻は試しみたいなもので失敗したとき大きいともったいないからである。


「陛下、どうでしょうか?陛下の言われた性能はほぼ満たすことができました。ただ、主砲口径を上げるなどして重量が増加したため基準排水量と速力を維持するため防御は対20センチ砲弾がどうか、といったところです。申し訳ありません」


眺めている隣りでそう言ったのは秋山だ。

今はもう大佐になっている。


「いや、これで十分だよ。全てを満たそうとすれば必然的に艦は無限に大きくなっていく。防御力が低いのは少し心配だが他の性能は文句なしだ。途中で設計変更させられて設計者達も大変だったと思うが本当にいい艦を造ってくれたね」


俺は十分満足していた。


「はっ、それを聞けば設計者達も喜ぶでしょう。ところで陛下、背負い式砲塔というのは便利なものですな。これなら前後は4門、左右は8門向けられます。ただ、設計者達によると砲塔を高いところにおくことにより重心のバランスが崩れて横揺れをおこし、砲の散布界が広がってしまう可能性が高いということです。一応それに対する処置もある程度はしてあるということですが」


俺は驚いた。

背負い式にすれば砲を無駄なくいろんな方向に向けられるということしか考えてなかったからだ。

まさかそんな副作用があったとは…。


「そうだったのか。いや、さすがにそこまでは知らなかった。波の荒い日本海とかだと苦労するかもしれないな。技術者達の工夫でどれくらい抑えられるかがカギだが…」


俺はため息をついた。

やっぱりまだまだ勉強不足だな。

まぁ所詮平和な時代から来たド素人、全てを知り尽くしているわけではないので仕方ないといえば仕方ないが。


「そういえば航空機を艦から飛ばす実験の準備の方はどうだ?順調に進んでいるか?」


この実験とは前話で説明した「宮古丸」からの発艦及び着艦実験のことだ。


「はい。その実験に使用する航空機はあと1ヶ月もあれば完成するらしいです。今回の設計主任は二宮忠八技術少佐です。彼はウィルバー技術少佐達から教えを受け、それを発展させて艦上での運用について研究を重ねてきておりました。彼は自分の研究がようやく実を結びはじめていると張り切っております。必ずや成功させるでしょう」


秋山もうれしそうに言う。

航空機に大きな期待を寄せている秋山は航空機開発の研究者達とかなり仲がいいようだ。

兄の陸軍中将秋山好古と一緒に何度も開発現場を訪れ研究を応援しているらしい。


「それは頼もしい限りだ。『宮古丸』の改装の状況は?」


「はっ。陛下のご命令に従い平甲板を艦全体に張るように改装を行っております。艦橋の撤去工事が若干遅れてはいますがあと2ヶ月ほどで全てが完了する予定です」


俺が指示したことというのは「宮古丸」に当初は前部甲板のみに設置する予定だった飛行甲板を全通式にして艦橋を撤去し煙突を右舷にずらして設置することだ。

これにより見た目だけはそれなりに空母に見えるようになった。

しかし、本格的な空母を造るなんてのはまだ時期尚早。

肝心の航空機が現在ようやく10キロ飛べるかどうかといったところなのだ。

今回の改装は海軍の連中に船での航空機運用というものについて考えさそうというものである。

航空機は使い方次第では有効なものであるということを見せておきたい。

だからこの実験は海軍兵学校の生徒達にも見せる予定だ。


「そうか。では予定通り4月の実験実施を目指して進めてくれ。船の上での航空機の運用という今までとは全く違う新しい領域の開拓を行う実験だ。楽しみにしてるよ」


これからの海上航空兵力発展を占う大事なこの実験は予定通り1908年4月12日に行われた。





高校2年生になりました!勉強がもうやばいです…。忙しくて更新が遅れるかもしれませんが頑張るのでよろしくお願いします!


今回の名言↓

「予期しないことと、予期したくないことが起こる、と予期するようにせよ」

ーマウリス

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