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第10話 広島事件



1906年2月2日深夜、呉で悲劇が起きた。

呉沖の柱島付近に停泊していた戦艦「三笠」が大爆発を起こし沈没したのだ。

この事故での死傷者は790名、史実の倍近くにのぼった。

死傷者がこれだけ多数に上ったのは、志布志湾での作業地訓練に向け明日出港を予定していたので史実と違い乗員が全員乗艦していたためと(史実は半舷上陸中)、史実同様付近の艦船の防火隊や陸上の消火隊が艦に入ってから2度目の大爆発を起こしたためだ。

「三笠」の乗員で助かったのは860人中たった120人。

艦長も爆発で命を落とした。

生存者もほとんどが重傷だ。


俺は真夜中たたき起こされてこの事件を知った。

うかつだった。

史実と違い日露戦争が無かったためすっかり忘れていたのだ。

俺はすぐさま事故調査委員会の設置を命令した。

とは言っても原因は大体分かっている。

おそらく火薬の変質だ。

説によっては兵士の間ではやっていた火遊び(といっても別にねずみ花火を振り回していたりしたわけではなく、信号用のアルコールに火をつけて、それを吹き消してにおいを飛ばして飲むとかいうもの。俺には意味がよく分からない)が原因ともしているが。


まぁとにかく事故調査委員会の報告を待とうとしていた時再び悲報が飛びこんだ。


今度は陸軍火薬庫が爆発したのだ。

それからわずか1週間後の2月9日、広島県にある川上陸軍弾薬庫で起きた。

別に今度は火薬の変質が起きたわけではなく、原因はすぐにはっきりした。


この弾薬庫の近くに原村陸軍射撃演習場があるのだが、そこで砲兵部隊が射撃演習を行った際に弾薬を多く持って来すぎていた。

本来持ってきたら全て使い切るがそうすると次回の弾薬が減るため戻すことにした。

(1年間に訓練で使える弾薬量は決まっているから)

しかし、平時は信管を抜いての運搬・貯蔵と決まっているにもかかわらず、そのまま弾薬庫に戻そうとした。

その時に弾薬庫内で人為的ミスにより砲弾を落下させてしまい、信管は当然反応して大爆発。

この弾薬庫は地下にあり、8つに分かれていたが隣の弾薬庫も誘爆したりして手がつけられなくなり結局丸一日中燃え続けた。

近くに若干民家があり被害を受けたが幸い死傷者は出ずに済んだ。

この爆発で基地の兵12名が死亡し、5名が負傷した。



他にも大日本製鉄福山製鉄所でも高炉爆発事故が2月1日に起きており死傷者120名余りを出している。

わずか1週間のうちに広島県内で立て続けに3件も多数の死傷者を出す爆発事故が起きたため3つあわせて広島事件と呼ばれるようになった。


広島県民からすれば大迷惑である。

これらの爆発事故により広島には何か悪いものが憑いてるような噂が流れ、今まで厳島神社を中心に結構観光客が来ていたのにこの広島事件のあと急激に減った。

しかも7日にはとどめをさす三原駅での無人列車暴走事故が起き死傷者54名。


そのためこの2月は前年の同じ月と比較して2割まで落ち込んでしまう。

俺は(この世界では違うが)中国地方出身なのでその中心たる広島のこの状態をなんとかしたいと思い、俺が直接広島に行って広島をPRしてみたら少しは効いたようで翌月には観光客も平年並みに戻ってくれた。

俺としても外に出るいい理由になったし、故郷の昔の姿も見ることが出来た。

(今とそんなに変わらない田んぼしかない田舎だったけどね…)


そして俺はそのついでに作業地訓練中の艦隊を見て帰ることにした。

作業地訓練とは軍艦が一箇所に集合してそこで集中して訓練をすることだ。

作業地は史実同様九州東岸の佐伯湾や南の志布志湾、四国宿毛湾であることが多い。

ただ、領土が広がった関係上台湾の基隆などでも行われる。

後に艦艇の数が増えると各艦隊ごとに別々の場所でやるようになるが、今回は九州志布志湾に沈没した「三笠」や北洋警備に当たっている旧式駆逐艦など以外の主力艦艇はすべてここに集結している。


ところでこの作業地訓練が行われる理由は経費節約である。

本来訓練は洋上で航行しながら行うが最も効果的であるし、それが普通だ。

しかし、海の上を走るということは当然燃料を消費する。

平時に使える燃料は予算で縛られている(特にこの世界では軍縮の影響で余計に削られている)ためそんなに贅沢に使うことはできない。


そこで史実同様にこの世界でも作業地訓練を導入したのだ。

この訓練は停泊しながらするため石炭の消費は少ない。

(もちろん航行しながらの訓練もそれなりにしているが)

特に九州志布志湾は南よりの風が吹くと荒天でもないのに大きな波が起き、1万トン以上の大きな船でもかなり揺れるので、航海中と同じような訓練ができるらしく、砲術訓練に適した所だった。


俺は早朝まだ若干暗い中泊まっていたの都井村(こっちの世界では1954年に合併して宮崎県串間市)の旅館を出て湾内が見渡せるところへ行った。

かなり朝早くから訓練が始まっているらしいので早起きして行ってみたのだ。

さすがにまだ早いか、と思ったがもう始まっているらしい。

各艦の砲身が上下左右に動いている。

しばらくその様子を眺めていると艦隊司令がやってきた。


「みんな朝早くから熱心にやってるね。私をはじめ国民が安心して夜眠ることが出来るのも彼らが寝る間を惜しんでこうして訓練に励んでくれるおかげだよ」


俺は艦隊を見ながらそう言った。

若干大げさに言ったがでも本当にこの朝の様子を見て頼もしく思ったのは本当だ。


「はっ。ありがとうございます。兵達も陛下のねぎらいのお言葉を聞けば大変喜び、より一層努力を続けていくことでしょう」


こう言ったのは現常備艦隊司令東郷平八郎だ。

戦争が無かったため抜擢されることもなく、舞鎮(舞鶴鎮守府)の司令を続けていたが、昨年暮れに日高が心臓発作でぽっくり逝ってしまったためその後任として山本権兵衛が引っ張りだしていたのだった。


しばらく俺達は黙って訓練に励む艦を眺めていた。

史実どおり東郷は無口だ。

俺はやたらと喋るほうだが、なんとなく東郷に威厳というか一種のオーラがあって話しかけられない。

やはりこういう人物が一軍を率いて戦う器量を持っているのだろう。


俺はその後2時間ほど飽きずに訓練の様子を眺めて志布志湾をあとにした。



この3ヵ月後、「三笠」沈没事故に対する事故調査委員会の報告が出され原因は火薬の変質であると報告された。

これにより史実から少し遅れるが火薬の取り扱いに関する規定が改定され、一定年限を過ぎた火薬は棄却されることになった。


ちなみに「三笠」は浮揚に失敗して除籍後解体されることなり、記念艦として保存されることもなかった。




もう少し事件名にネーミングセンスがあればよかったんですけど、どうもひねれなくて…。まぁ、この話自体の重要度はそこまで高くはないんで問題ないといえばないのですが…。


今回の名言↓

「平時における訓練死のない訓練は、戦場における戦死のない戦闘と同じで、それは芝居である。訓練は平時の戦闘であり、戦闘は戦時の訓練である」

ーエルヴィン・ロンメル

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