大人は爪でも齧ってろ 下
これでラストです。
物心つく前に父と父方のおじちゃんおばちゃんが死んで、中三で母が死んで、高三で祖父が死んだ。だから、高校を卒業してからほとんど毎日コンビニでバイトをしていた。そうしなければ、祖母の年金だけでは二人で生きてゆくことでやっとなのだ。私は、二十歳になっていた。
だから私は贅沢のために身を削っている。なぜか。私には彼氏がいる。
生まれて初めて、彼氏ができた。向こうからの告白だった。
ギャラのいい仕事を探していて、運よくキャバクラで働くことができるようになり、お金に困らなくなった。
チビデブはげでキモいおっさんに「君、これでどう」と、夜のお供を数枚の紙切れで頼まれ、しぶしぶ承諾する。おっさんがシャワーを浴びている間に報酬とは別の金をおっさんの財布から抜き取る。気持ちのいいフリをしても、報酬は変わらないのだからいつも黙って、キモいおっさんの荒く臭い息を耳元で聞いていた。吐きそうだった。
普通そんなことしないよ。と、先輩に言われた。このことは秘密にしておいてもらった。
そんな生活を続けていた私に、とても若々しい少年のような人から指名が入った。
私は少しドキリとした。高校生?いや、そんなはずは
「こんばんわ~」そのころになると私は、「笑顔で明るく挨拶」ができるようになっていた。まるで小中学校のスローガンだが、それができなかった。
「こんばんは。飲みましょうよ」
彼の返事はシンプルだった。
「うん。」
「名前、ゆうきちゃん?」
「ゆうでいいよ」
「ゆうちゃん。いくつ?」
「うーん、ちょっといえないかな」
当時私はまだ19だった。男にはこういうジョークが利くことを先輩から聞いていた。変な目で見られるだけだったが、私はそれを続けた。
「そうかあ」
少年は私の耳元に唇をよせ、手を添えて甘くささやいた。
「僕は二十歳」
彼は私と同級生だった。私は「へぇ~」といいながら彼の目を見ながら少しだけ体を後ろに倒した。本当に少しだけ。これがコツ。いい女を演出することは難しくない。
その日は彼はあっけなく帰ってしまった。「またくるよ。ありがとね」そういい残して。
後日また彼は来た。
「そういえば名前聞いてなかったや」
「幸田。こうただよ。言ってなかったっけ」
「え?そうだと思うけど。なんて書くの?」
「幸せな田んぼ」
「なにそれ」
「なんだろーね」
そんな風に会話をしていた。幸田は何度もこのキャバクラに通い、そのたび私を指名した。ある日彼は「今日ちょっと酔い過ぎちゃったなあ。肩貸してよ」と、変なうそをついて、私を家まで送らせた。
もちろんセックスした。
幸田はなんと言うか。必死そうだった。私の上で、必死に腰を振っていた。だから私も気持ちのいいフリをした。
そういえば、母さんは、寝室でこんなことしてたのか。と気づいた。私は母さんと同じような声を出していた。でも、幸田は静かに果てた。
終わった後、自然に財布を取ろうとする幸田の手を私は無意識につかんでいた。
「別に、お金なんか要らないよ。またお店にきてね」
幸田は驚いたような顔をして「そう?」といった。セックスで満たされたのはそれが初めてだった。まるで今日、処女を失ったような気分だった。何十回もきもいおっさんに抱かれているこの身で何を言っているのか。数日後、彼に告白された。もちろんYesと答えた。私は幸田が好きだった。
幸田の家で同居することになり、私はバッグだけ持って、幸田の家へ向かった。キャバクラは辞めた。
それからしばらくコンビニでバイトをしていた。
幸田はまだ安定した職についていないとか何とかで、職探しをしている。つまり家にいない。
私は家事をインターネットで学んだ。幸田の家にはゲーミングPC?があった。なんだか、普通のパソコンよりもさくさく動く代物らしいが、生まれてこの方パソコンなんて学校のパソコン室で使ったことしかないからよくわからない。
幸田はいつもへとへとになって帰ってくる。何が忙しいのかわからないがとにかく疲れていて、私が作った晩御飯も食べてはくれない。夜の相手もあれ以来ない。そのくせ休日だからと家にいる日はずっとゲームしている。
私は少し不安になって、幸田の携帯電話をいじった。黒いガラパゴスケータイだった。
登録されている電話番号とメールアドレスは、自宅のものと私のもの、後はよくわからないが、女と遊んでいるようには見えなかった。
ここでも私の不安は的中した。
それから数日後、幸田は帰ってくると酔いつぶれて眠っていた。そう、帰ってきたときには眠っていた。
つまり、幸田の肩を持っている女がここまで送ってきたのだ。女も酔っていた。
「おかえり。どちらさん?」
「えぁ?幸田君の彼女ですお~」
ろれつの回らない声を聞いたら幸田がおきた。顔を上げて、細い目をさらに細くして私をみた。「ゆ」とだけ言って顔を下げた。私は爪をかんでいた。
幸田は顔を上げたまま固まっていた。私は口の中で爪の小さな欠片を弄んでいた。私は幸田の前髪を鷲掴みにして無理やりキスをした。よだれと一緒に爪の欠片を幸田の口に流し込んだ。幸田は驚いたように顔を後ろにそったがまともに立てないのだから私が顔を前にかがめれば何も変わらない。私はキスをし続けた。
隣の女は酔いがさめたのか、あのときの母と同じ冷たい目で私たちのさまを横目に見ていた。
翌日、彼はどこにも出かけなかった。私に謝罪をするタイミングを計っているようにもみえたし、ただ、仕事が見つからなくて疲れているようにも見えた。その日私たちは何も話さなかった。話さなかったがセックスはした。最後のセックスになった。私はかんでギザギザになった爪を幸田の背中に立て、何度も引っかいた。私は幸田が好きだった。
翌日、机の上に「ごめん。さよなら」と書き残したメモ帳と数千円のお金がおかれていた。
私は彼の置いていった数千円のお金を握ってメモ帳に「さよなら」と書いて彼の家を去った。
実家に帰ると祖母が「おかえり」といって迎え入れてくれた。勝手に出て行って連絡もなしに帰ってきた孫娘に、祖母はそれだけしか言わなかった。
私はまたバイトをしていた。ここらにはコンビニといえば閑古鳥のなくコンビニがひとつしかなかった。私はそこで夜勤をしていた。夕方から朝まで。いつかの仕事とほとんど同じ時間帯の仕事だった。
私がいない間、祖母は一人で暮らしていた。一人暮らしをしたことがないから一人暮らしのなんたるかがわからないが、とにかく私にはできないだろう。できなくても、いつかは祖母が死んで私は一人になるのだ。
私は今、24歳になっている。彼と別れて2年。まともな職に就く気力も沸かず、祖母と二人暮らしだ。
実家の畑で農業でもしようかな。祖父が死んでから、その畑は荒れ放題だが祖母は土地を手放していなかった。私が祖母に何か提案をすると祖母はいつも「いいよ、ゆうちゃんの思うとおりにしな」と、私を自由にしてくれた。私はそれが楽だったし、私の奔放をどこまでも許してくれる祖母が私は好きだった。でも、祖母はいつか死んでしまう。母やそれ以外の人と同じように。
「おばあちゃん。死ぬの怖い?」
「え?そんなことないよ」
意外にも祖母は即答。
「そうなの」
「うん、だってゆうちゃん。今幸せそうだもん」
そういう祖母は、泣いているようにも見えたし、笑っているようにも見えた。
「おばあちゃん、私が昔ここで母さんに言ったこと覚えてる?」
「え?」
祖母は忘れていた。私の幼い疑問
「「じゅうぶんにせいちょうしたらおとななの?」」
私はもう一度母にたずねた。そこにはいなかった。
祖母は困ったような顔をして首をかしげた。それは考えているフリをしている人の動きだった。祖母はもう一度私を見た。17年前と同じ質問をしている私は、変わっていた。
あの時とは違う、堅く、強い鎧をまとっている。私は変わった。
「ゆうちゃんは、もう大人だよ。24歳でしょ」
祖母は、わかっていた。辞書に載っていない大人の意味。
大人とは、人の死に触れることだと。
大人とは、人の言葉に惑わされない鎧をまとうものだと。
大人とは、人の気持ちを理解するものだと。
そんなことは、誰か偉い人が言ったことだと。
祖母は、答えを出せずにいたのだ。おそらく祖母も、私と同じ疑問を若いころから抱えている。でも、わからないのだ。大人とは何か。子供との違いは何なのか。なぜ子供は大人になりたがって、大人は子供に戻りたがるのか。
私も、わかっていなかった。17年。長かった。地獄のような恵みのような、そんな時間だったが、この時間が確実に私を大きく強くした。たぶん。
私はまだ子供。
大人とは何なのか。私にもわからないし、ゆうちゃんにもわからなかったみたいです。でもそれでもいいんだと思います。わからないなら「俺大人だからww」といっても誰も反論できないのです。万能な表現として、遣えばいいんです。
この物語では、早く大人になりたがって大人とは何なのかと考えるゆうちゃんの姿を書いたつもりだったのですが。はじめから 上 中 下 の三話で終わらせようとしていたため、書きたいことがほとんどかけませんでした。でも、これでひとつの連載小説を始めて完結させたことになるので、達成感はかなりのもの。それではまた別の小説で。有難うございました。
癖毛の子