大人は爪でも齧ってろ 中
次でラスト。
中学2年になると私の中二病も型にはまってきた。そしてまた告白ブームが到来した。私は、もちろん動じず、静かに本を読んでいた。(ライトノベル)
一向に、声をかけられない。私は、内心あせった。どうして来ない。二年前はきたのに。クラスのトップが、罰ゲームであっても、私に告白しにきたではないか。下っ端の本命が来ても、おかしくないではないか。
私はよくわからない自問を繰り返していた。
一人、男子が声をかけてきた。
「ねぇ」
「えっ」
大きな声が出た。
告白ブームが到来したとはいえ、常に誰かが誰かに告白しているということではない。
一週間に一、二組。その程度だった。水面下のざわめきだった。つまり、クラスの雰囲気は普通だった。
いつも静かな私が大きな声を出したことで、昼休み、教室に残っていたクラスメイトやほかのクラスのメンバーがこちらを向いた。私は、家でドラクエをしていたときのことを思い出した。体力が残り少ない相手に、「あ、こいつ回復絶対使ってくるわ」と早とちりをして、
「お前ってさ」
私にはわかっていた。その次のセリフはこうだ。「俺のこと好き?」
「中二病だよな」
「うん、え?」
極大魔法を使うのだった。誰でもよかったのだ。
クラス中が喝采と爆笑に沸いた。男子の中には腰が砕けて転げまわる人もいた。
私は、私の知らない間に、クラスメイトの枠を超え学年全体でその名を知らないものはいないほどの有名人になっていた。つまり、私は、中学校生活2年目の後半で、ようやく自分が、私が知らないところでいじめを受けていることに気がついた。
私は爪をかんだ。
「ごめんごめん」と、おどけたようにその男子は何度も私に謝った。
涙は流さなかったが、私は爪を噛んだ。爪が割れて、噛み千切ると、爪の端に血がにじんだ。それが私をいつも守った。
私はそれから学校に行かなくなった。
自分が中二病だと、気づいていなかった。わけではなかった。頭のどこか片隅で「なんでこんなことしてるんだろ」とは思っていた。思っていたが、そのたびに母の顔がちらつく。母のように、クールでなければならない。冷静で、冷たい目をしていなければならない。
学校を休み続けて一ヶ月がたった。律儀に母は毎日学校へ「はい、2のBの、はい結城です。今日も体調が優れないので、欠席させていただきます。はい、はい。失礼します。はい。」と、連絡していた。
毎朝申し訳なかった。とても、下腹部が重かった。肩も。頭の中も。
母は最近になって、働き始めたらしい。何の仕事をしているのか正直聞きたくなかった。なにより私はそのころになると母とほとんど話をしなくなっていた。別に嫌いだったわけではないが話すこともなかった。
毎日夕方に起きて翌日の朝までアニメを見ながらゲームをしていた。手櫛をすると髪が抜けた。
当然勉強などしていなかった。私の成績は見る見る落ちた。せめて、保健室登校にしようと祖母に諭され、仕方なく学校へ行った。
保健室登校とは、ざっくり言うと私のように心を病んで学校へ来なくなってしまったり、自分の将来を憂うばかりで希望を持たなくなってしまったり、まあ、そんな感じの人たちが利用するものだった。
保健室に日に3,4時間ほど通い勉強する。保健室の先生は私のような生徒にどこまでも優しかった。
しかし、私にはそれが、とても屈辱だった。自分が弱いためにこんなことになっている。同じように保健室登校している後輩にタメ口を遣われる。しかし、「お茶、飲む?」と言われ差し出されるお茶は、いつも温かくおいしかった。のどを通らなかった。
そう思うと私はたまらなかった。次の日から学校へ普通に登校した。クラスメイトは、あの日何もなかったかのように振舞っているつもりだったが、やはりどこかから陰口が聞こえてきた。それでも私は本を読んだ。爪は伸びていた。
「今日から結城さんが、登校してきてね。うれしいことだね」
ホームルームで先生がそういった。皆は「そうですね」という顔をして私に微笑みかけてきたが、その顔にはかすかな侮蔑と嫌悪がにじんでいた。ばればれだった。
気がつくと私は中学三年生の夏休みを過ごしていた。あっという間。
クラスメイトは初めてできた恋人とデートをしたりしているらしい。たまにあいつとあの子がセックスをしたといううわさも流れている。まあ、噂よりは多いだろう。そんなこと。
私は一人で釣りをしていた。川のふち、水にぬれているところに腰を下ろした。短いジーンズのお尻がぬれた。今日は特別つれなかった。先日の台風のせいだろうか。
「あ、きた」
3時間に一回のあたりがようやく来た。釣り上げると小さめのハゼだった。
かえるじゃないのか。私はさびしくなった。
「・・・・」
こぶし大の石を拾って、それでハゼを叩いた。何度も叩くとぐちゃぐちゃと粘り始めた。ハゼは原形をとどめていられなかった。
ごめんね。脳もつぶれたハゼに私はそういった。心の中で。
握り締めていた石にこびりついたハゼの破片を指の腹ですくった。それはどう見ても生きていなかった。どう考えても、細胞の塊だった。私には癒しが必要だった。重傷だった。
その日は殺したハゼ以外に数匹のハゼを釣ったが死んでいるものはそこらに捨て、生きているものは逃がしてやった。自転車で帰った。天気がよかった。
家に着いた。玄関のドアを開けて、靴を雑に脱いだ。
リビングでは張り詰めた空気の中、祖父祖母が向かい合って座っていた。祖母が座っているのは私がいつも座っている席だった。祖母が涙と鼻水でずぶずぶの顔で私を見た。
「ゆうちゃん」祖父が私を呼んだ。祖母はまた両手で顔を覆った。
「母さんがね、死んだんだ」
最後のほうは、ほとんど涙声で、何を言っているのかわからなかったが、母が死んだのだ。
私はまた、爪をかんでいた。殺したはぜを思い出して、また爪をかんだ。
葬儀は静かだった。昔、あったこともない親戚の葬式に出席したときは、子供たちが集まってゲームをしたり、走り回ったりしていた。私も一緒になって遊んでいたが、今はそんな雰囲気ではない。
死んだ母が布団で寝ている。でも、それはただの冷めた肉だった。かえるやハゼと同じ。
「いやっ!」
私は叫んで、走った。運動不足ですぐに息が上がってしまったがそれでも走った。腰から力がすっと抜け道路の真ん中にうつぶせに跪いた。仰向けに転がると夜だった。しかし、ここらは夜でもコンビニが明るい。星は、見えなかった。貧血で。
母は、かえるだった。ハゼだった。
弱い、私にすら殺されるあれらの生き物と同じだった。死んだら全部同じに見えた。でも、布団で寝ていた死体は間違いなく私の母、それだった。母の死で、癒されかけていた自分が嫌だった。
その日は私がひとつ大人になった日だったのかもしれない。それも、浅い理解だったのだろうか。
それから私は少しだけ勉強して、少しだけマシな高校へ入学した。でも、中学とさしてかわらない雰囲気だった。つまり私は、まだひとりで本を読んでいた。馬鹿みたいな下ネタであほ面引っさげて大笑いしている男と女。どうせ、セックスのことしか頭にないのだ。猿め。
「ねえ、結城さんだっけ」
同じクラスの女子が話しかけてきた。私は少しだけ、自分が読んでいる本の表紙が相手に見えるように手をひねった。
「うん。なに」
「いやべつに。変わった名前だね。何読んでるの?」
名前をからかわれたことはよくあった。「男みたいな名前だな!」そうからかう男子の名は「望/のぞみ」であった。昔の話だ。
私は高校生になるころには、東野圭吾や、西加奈子などを読んでいた。彼女は私の本の表紙を覗き込むように見て、「へぇ・・・」と、感心したような、失望したような、よくわからない顔をした。私はニヤついていたと思う。
「すきなの?」
「ん?」
「本」
「うん」
「ふーん」
彼女はほかのクラスメイトのところへ歩いていった。私は、自分が人とほとんど話すことができなくなっていることに絶望した。
私の高校生活は、中学生のときに読んだ小説とはほとんど違った。同じ点といえば、主人公と同じく体育で組む相手がいなかったこと、弁当を一人で食べたこと。
それでも私は満足だった。誰も自分の事を見ていなくても、迫害されないだけマシ。そう思った。
私は爪をかまなくなった。
私は3年生の卒業式の日、皆勤賞をとった。つまり、毎日登校した。
自分でも不思議だった。別に楽しかったわけではない。静かに、本当に静かにおとなしくしていた。家でも学校でも。
私は真面目に授業を受け、いつも成績は上位だった。トップ10入りはいつものことだった。そんな私をクラスメイトは「静かで、真面目で、何でもできそう」と思っていた。能ある鷹は爪を隠すのだ。ただ無口なだけだろうか。
そんな感じで、私は少しだけマシな高校から、中の上程度の大学へ進学しようとしていた。
家に帰る。
祖母が泣いていた。嫌な予感がした。
「どうしたの。」
「潤一郎さんが・・・・あああああ・・・・」
祖父の名を何度も祖母は叫んでいた。果たして私の予感は的中していた。
祖父は仕事の過労から、なのかなんなのか。要因はわからないが睡眠薬による自殺をしていた。
葬儀はやはりひっそりとしていた。母のときよりもさらに静かだった。そのとき私は、初めて死体をまじまじと見た。やはりそれは生きていない何かだった。
ありがとうございました。次もよろしく。