大人は爪でも齧ってろ 上
大人って何なのでしょうか。人の数だけ解釈があるし、きっとそれっぽい答えしかないんだと思いますけれど、私は答えが出ない問も好きですよ。大人とはなんなのか。これは永遠の課題だと思います。
癖毛の子
おとな【大人】
①十分に成長した人。(元服または裳着が済み)一人前になった人。成人。「体だけは――なみだ」
②考え方・態度が青臭くなく、老成を示しているさま。「あの青年はなかなか――だ」
③女房などの頭に立つ人。
④子供がだだをこねたりせず、おとなしいさま。「いいこだから――になさい」
⑤天然痘
第三版 広辞苑
私は大人になりたかった。
「じゅうぶんにせいちょうしたらおとななの?」
昔、小学二年生の私が母にそう尋ねた。いや、晩御飯のときに聞いたことだから祖父も祖母も聞いていた。私は母のほうを向いていた。
父はなくなっていた。
「なに、何の話。」
母はいつも怖い声を出していたことを覚えている。とても低くて、底なしに冷たい。そんな声。
どこかけだるそうで、実際いつもため息ばかりしていた。そんな母の肩を笑顔でたたく祖母のことも見ていた。
「ごめんね、なっちゃん。あたしがね。ゆうちゃんに広辞苑をあげたんだよ。」
祖母はいつも私のことを「ゆうちゃん」と呼び、母のことを「なっちゃん」と呼んだ。
そうだ。私は祖母からのクリスマスプレゼントとして、広辞苑をもらった。私が辞書が欲しいことを告げると喜んで私に買い与えた。
「ふーん。で、何の話?」
「なっちゃん。何だっけ?」
「だから、じゅ・・・あれ、なんだっけ」
母は「ふん」と小さくため息を吐いた。私は下腹部が重くなるのを感じた。緊張するといつもこうなる。
「あんたは子供だよ。たぶんあたしが死ぬまで」
母は自分が持っていたご飯のおわんを見ながらそういった。私に。
今思えば母のあの言葉は、私の未来を暗示していた。
私はたぶん、泣いたと思う。当時小学二年生だった私は、母の「あんたは子供だよ」という言葉ではなく、「あたしが死ぬまで」という言葉がつらかった。衝撃が強すぎた。母が死ぬ。
私が泣くと母が大きく舌打ちして、ガタッと席を立つ。わざと大きな音を立ててるのはよくわかった。
下腹部の重りが、私がせぐりあげるたびに頭のほうへ上ってきた。
私はは爪をかんだ。涙を拭いて鼻水を拭いて爪をかんだ。
手の指がぼろぼろになるころには、泣き止んでいた。
その日から、だったろうか。母が知らない男を家に招き入れるようになったのは。
私の記憶が確かなら、ほとんど毎回違う人だった。が、怖そうな人ばかりだったのは覚えている。
母が呼んだ男の人たちは、父と母の部屋に、母と入った。何をしていたのかわからなかったが、その日から
祖母が泣き、祖父がその祖母の背中をさするのをよく目撃するようになった。
父と母の部屋からは時折母の絶叫と、しゃがれた雄たけびが聞こえた。それが聞こえると一層、祖母はなき、祖父は祖母の背中をさすった。
何が起こっていたのか、私にはわからなかった。
母が連れてくる男の人は決まって強面で、筋肉質だった。しかし、その中に一人、とてもやさしそうでハンサムな人がいた。そのとき私は小学四年生だった。
異性に興味を持ち始める年頃だと、先生も言っていた。私は異性に興味などなかった。
しかし、その美しい顔の男性には、えもいわれない引力があった。私はそれに引き寄せられた。
「あれ、娘さん?」
私を見つけたハンサムさんは私を一瞥し、母に尋ねた。
「うん。四年」
「へぇ、かわいいなあ」
ハンサムさんは私の目の前にしゃがみ、私の顔を見た。
「へぇ。お名前は?」
「あの・・・」
言いそうになった。でも、「ちょっと、やめてよ。」と、母がハンサムさんを制した。
「今日、帰る?」
「ちょっと!ごめんよ。本当にごめん。」
母がどうして怒るのかわからなかった。この人は私のことをかわいがってくれている。そうではないのか。母は、大人なのか。大人だったから、私にはわからなかったことがわかったのだろうか。
私にはひとつ、趣味があった。
かえるを殺すのだ。
私の家のまわりはほとんど田んぼだった。田舎だったわけではないが、私の家の周りには特別田んぼが多かった。田んぼと田んぼの間、水が流れている用水路で、カエルをとった。
クラスメイトに教えることはできない。二年生のときに友達に話したが、かえるを触ることができることが、彼女にとっては衝撃だったようだ。しばらくあたしのあだ名は「ゲロ女」になった。
かえるを捕まえて(茶色だったり緑だったりするがなんでもよかった)体を揉んで弱らせる。弱ったら石の上にかえるを置いて、こぶしサイズの石を持って、カエルの足の骨を折る。4本すべて。
動けなくなったと思っても、意外と動くから、そうしたら高く投げ飛ばす。落ちるとベチャッと音がして、かえるは大体死ぬ。なぜか楽しかった。今思えばおぞましい。
もちろん家族には秘密だった。悪い子だ、と、思われたくなかったから。
ある日、いつものようにかえるを殺していた私を母が見ていた。
しまった。そう思ったが遅かった。母はゆっくりこちらへ歩いてきた。
「何、かえる?」
「うん」
「かえるを、殺して?」
「うん」
「何してんの?」
母の目が怖かった。しかし、私は小学六年だった。生理もきていた。だから私は、母の眼光で泣くことはできなかった。泣くわけにはいかなかった。
「だから、かえる。ころしてんの」
母は動きを止めた。一瞬だけすべての動きを止めて、私をじっとみた。冷たい目で。しかし、母は意外にもあっけなく「あっそ」といって去っていった。
その日からかえるを殺すのはやめた。
母も、男の人を部屋に連れ込むのはやめた。
冬になると、クラスが告白ブームになった。中学を受験する人はほとんどいないため、中学に入学する前に恋人をつくろうとしている人たち(どうしてそうしているのかいまだに意味不明だが、つまり早く恋人が欲しかったのだ。)が3割ほど。残り2割が罰ゲームで告白をさせられた人たち。ほかは告白ブームに乗れなかった人たち。学年の実に半数が告白をしたりされたりした。
私もされた。でも、その男子はほかの男子と一緒に私の席に来て、ニヤつきながら「好きです!」とだけ言った。私は、その男子のうすっぺらい「好きです!」を引きちぎって燃やすように「それで?」と、聞いた。
「え?」
「だから、うちのこと好きだから。それで?」
そこまで言うと、周りの男子も興が冷めたようで「おい。これ、罰ゲーム」と、あっさり種明かしをしてくれた。私は、いつかの母のように「ふん」とため息を吐き
「だと思ったわ」
できるだけ、憎たらしく聞こえるようにそういってやった。
私に告白してきた男子は、クラスのリーダー的存在だった。私の小学校には学級委員長がいなかった。
だから、クラスのほとんどの人間たちは、この偽のトップを崇め奉った。ほとんど宗教のように、皆盲目的に彼を信仰した。だから、彼は私に振られるだなんて思っていなかった。
それから、あたしはクラスのほとんどの人に、いないものとして扱われるようになった。私はできるだけ
クールでいようと。動じずにいようと勤めた。たぶん、母がいつもそうだったから。
私は中学校へ入学してからも、団体行動には非協力的、挙手はしないが授業は聞く、何が起こっても動じないふりをする。口癖が「友達とか要らないわ。一人でいい」になった。つまり、中二病になった。重症な中二病ではなかったと思う。が、当時の私の中二病がどれほどひどかったのか、今ではわからない。
かっこつけたかったのだと思う。前髪を伸ばして、作文の課題ではライトノベルで学んだ「インテリっぽく見える文章」を書いた。内容は、いわゆる「それっぽい」物にした。
先生には「哲学だね」といわれ。普段話さないクラスメイトには「文才あるね」といわれた。私は動じなかった。表面上は。
私は、数学の授業中、ノートの端に
これが大人
と、書いた。
私は、ようやく理解した。そうだ、何事にも動じず、冷静でいる。これが大人なのだ。大人とは、そういうものなのだ。そう思った。実に浅い、理解だった。
どうも、癖毛の子です。
また新しいシリーズを始めちゃったのですが、いろんなシリーズを同時進行することは、難しいとわかっていてもやめられないですよね。わかってくれる人がいることを祈っています。
今度の主人公はゆうちゃんです。上、中、下で完結できればいいなあと思っていますが、そうしていたら一話がとても長くなってしまいました。
大変読みづらいものになってしまいましたが、あとがきを呼んでいただいているということは最後まで読んでいただけたということだと思っています。感謝です。
誤字脱字があった場合報告お願いします。(ちゃんと読んでません)
それでは、