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かつての怪談

作者: めいそ

 浜本が亡くなったと友人から電話で連絡があった。

 浜本は小学校のときに仲の良かった友人で、当時はずいぶんとつるんだものだが、会う機会がなくなるに従って交友も立ち消えてしまったうちの一人だ。疎遠という言葉で表すには複雑な経緯もあったし、もっと親密だったように思うが、やはり疎遠の枠組みにすっぽり収まってしまうような関係だった。

 そういった経験を持つ大勢と同じように、かつての友人の死の報せを聞いたとき、恐ろしさや悲しみがない混ぜになった感情が閃光のように走った。おそらくこんなことがなければ決して、もう一度会っておけばよかったなどと考えさえしなかったのだろうが、会おうとしなかったことを猛烈に後悔した。

 学童期を終えて一〇年以上も経てば、周囲の人間が死ぬことにも慣れてくる。同級生が死ぬことももう初めてではない。それでもかつて本当に友人だった相手の死は、慣れることなく悲しい。

 でも今回の浜本の場合はそれだけではない。アルバムの中に仕舞われていたぼやけた写真が途端に鮮明さを取り戻し、その血でかすんだ風景が認めたくない真実でさらに上塗りされていく。それは恐ろしいし悲しいことだと思う。俺はひたすら当惑せずにはいられなかった。


1: 

 浜本と仲良くなったのは、組替えでそれまでの友だちとばらばらになり、次の友だちを求めていた5年生の春のことだった。

 「伊藤、お前さ、下の毛生えてる?」

 天然パーマで顔の長い三枚目な少年がひょこひょこと俺の前に歩いてきて神妙な面持ちでそう訊いた。それは道徳の授業のディベートの準備時間のことだった。ディベートのテーマは忘れてしまったが、下の毛の話でなかったのはたしかだ。

 「は?」

 少し軽蔑を込めて俺は返事をした。いきなりやってきてなんだこいつは、と思った。それが俺と浜本との最初のやり取りだった。

 「そんな言い方すんなよ。教えてくれ、頼む」

 浜本は悲しそうに言う。

 「実は俺、最近生えてきてさ。不安なんだよ」

 「まあ、ちょっとはな」

 あんまりにも悲しそうな顔をするので、俺は同情して答えてやった。

 「まじかよ! どれくらい!」

 「でかい声で言うなよ!」

 俺は周囲を見回す。幸いみんな仲間同士でのやり取りに夢中でこちらを見るものはいなかった。

 「ごめん、どれくらい」

 「一センチくらいだよ」

 「すげーな、俺より長い! 師匠だわ」

 「お前もいつかは追いつけるよ」

 「言うことも師匠っぽいな、師匠って呼んでいいか」

 「いいよ」

 こうして俺たちは友だちになった。

 陽気でひょうきんな浜本には男子の友だちが多く、そのおかげで組替えで寂しい思いはせずにすんだ。



2:

 浜本の家に線香をあげに行こうと思った。浜本の家は片親で、母親に育てられていた。浜本の家には何度もお邪魔したことがある。大勢で浜本の家へ押しかけ、迷惑も考えずにばか騒ぎしていたというのに、おばさんはいつも歓迎してくれていたのを思い出す。

 おばさんはどうしているだろうか。可愛がっていた一人息子が自分より先に死んだとあっては相当気落ちしているのではないだろうか。

 だがその心配はなかった。

 おばさんはすでに亡くなっていた。浜本が高校生の時だったそうだ。それからは親戚の援助とバイトで学費を捻出し、土木作業員として働いていたという。

 俺は何も知らなかったし、知らされなかった。浜本にとっては相談するにも値しなかったのかもしれない。そりゃあずいぶん疎遠になってしまった友人に身内の不幸や困窮を告げるのははばかられることなのだろうけれども。

 浜本のことを伝えてくれた友人は皆川というのだが、皆川もまた別の友人から浜本のことを知ったらしい。直接は付き合いがなくなっても、どこかで人脈というのは切れないでいるのだろう。

 皆川がこの話を聞いた先も実は小学生のときの同級生で、村田といった。頭の良い物静かな少年だった。懐かしい名前で、当時浜本の家に入り浸っていた一人だった。大勢集まると直接は仲良くのないやつが一人は出てくるものだ。とりわけ仲が悪かったわけではないが、他のメンバーほどは親しくなることもなかったのだ。

 電話で浜本の訃報を聞いたあと、改めて食事でもしようということになった。人生のあっけなさにお互い不安になり、たしかであるはずの日常を確認したくなったのかもしれない。

 学生時代から行きつけの大衆食堂。俺はカツカレー、皆川は豚のしょうが焼き定食を注文する。

 「昔は二人前頼んでいたのに」

 俺がからかうと、

 「この前の健康診断でちょっとな」

 皆川は太鼓腹をポンと叩く。

 「可愛い子供までいるんだからメタボには気をつけないとな」

 「やめてくれ、耳が痛い」

 皆川は真面目に、

 「お前はいくら食っても太らないからいいよな」

 と言う。

 「人間にはいくつかは長所があるからな」

 「はは」

 ちょっとした歓談のあと、一瞬もの悲しい沈黙が生まれる。

 「あの頃のメンバーともお前以外とは付き合いなくなっちゃったな」

 気持ちのままに俺は口を開く。

 「そうしたもんだろ。俺だって伊藤と村田だけだ」

 「お前は村田と仲良かったよな。俺は村田とは二人で遊んだことなかったなあ」

 「それを言うなら、俺なんて浜本とそんなに仲良くなかったぜ。伊藤や村田がいるから一緒にいただけで」

 「そうだったのか」

 今さらになって、意外な事実を知る。自分が見ていた景色との相違になんとなく寂しさを覚える。

 「勿論嫌いじゃなかったけどな。楽しかったよ、あの頃は」

 「今は?」

 「今とは種類が違うよ。ああいう感じは二度とないと思う」

 「そうだな」

 「あのさ、一不思議って覚えてるか?」

 出し抜けに皆川が言う。

 「ああ」

 その言葉を聞いただけで、苦いものがこみ上げてきた。

 馬鹿みたいな名前のその怪談は俺たちに長い間トラウマを植えつけた。忘れるはずがない。

 「うちの学校には七不思議はないけどさ、でも一個だけある。だから学校の一不思議」

 無理やり七不思議の親戚になろうとして浜本が勝手に命名した。そのネーミングからは六つ分以上の不気味さがそぎ落とされてしまっているように感じられたが、ジョークとしては十分だった。

 そんなたわいもない冗談も普通なら自分たちの次の学年では初めから伝わることなく消えていくに違いない。しかし「一不思議」はどうだかわからない。

 実際に一不思議は起こってしまったから。

 


3:

 「一不思議って知ってるか?」

 浜本の家でお泊り会をした夜だった。浜本の問いかけに一同は首を振った。

 「今作ったろ」

 俺は言った。

 「師匠は疑り深いな。股間が毛深いとそうなるのか」

 浜本の言葉に一同が笑い。俺は浜本を殴る。

 「まあ一不思議って名前は俺が付けたんだけど、ほんとにうちの学校にあるんだよ。怪談が」

 「どんな話?」

 瀬戸川が興味深々で訊ねる。心霊の話になるといつも一番に喰いつくのが瀬戸川だ。

 瀬戸川は女子のように線が細く、分厚い眼鏡をかけていつも本ばかり読んでいるようなやつで、少し暗かったけど浜本とは仲が良かった。ちょうど親分と子分のような関係だった。他のメンバーも瀬戸川を少し見下す、というか下に見ているところはあった。

 「四階から屋上に上がる階段があるだろ」

 屋上に上がる階段には途中に踊り場があり、そこから今度は折り返すように階段が続き屋上の扉へと続く。

 「夜あの踊り場に行くと誰かに突き落とされるらしいんだよ」

 「誰かって誰?」

 村田が聞く。ガリ勉少年で瀬戸川とは眼鏡仲間ではあったけれども、宿題を写させてくれたりカンニングさせてくれたりと一目おかれている点で立ち位置が異なった。皆川とは仲が良かったが俺とはそれほど会話もなかった。

 「あの場所で死んだ自殺者なんだって」

 「誰から聞いたんだ」

 皆川が訊ねる。

 「遠藤先輩とかだよ。昔からある話らしい」

 遠藤先輩。今年中学に上がった先輩で素行が悪いことで有名だった。

 「うそくせー」

 草別府が言った。草別府はゴリラみたいなやつでみんなと仲が良かったが、家が金持ちなので私立の中学校へ行った。それからは全然知らない。

 「じゃあ遠藤先輩に訊いてみろよ。昔は死んだ人も出て有名だったって言ってたぞ」

 「昔っていつだ?」

 皆川が突っ込む。

 「知るか、遠藤先輩に訊けよ。俺らが入学するより前だろきっと」

 「ふーん、あんまり怖くないな」

 俺は言った。

 「だね」

 「だな」

 「まじ萎え」

 村田と皆川と草別府も頷く。

 「あったまきた。じゃあ今から学校に行って確かめようぜ。そんな勇気はないだろ、口だけ野郎どもめ」

 心外そうに声を荒げる浜本。

 「やだよ。セコム鳴るだろ」

 皆川が言う。

 「鳴らねーよ!」

 「なんで知ってるんだよ」

 「忘れ物取りに行ったことあるからだよ。なあ瀬戸川?」

 「うん」

 「そういやー俺もあるけど鳴らなかったな」

 草別府が同調する。

 「でも今の時間だったら鍵も閉まってるだろ」

 皆川が言う。

 「うっせーデブ!」

 ちくちく刺してくる皆川に浜本がキレる。

 「ぶっ殺すぞ!」

 皆川が立ち上がる。

 「もういい。皆川はここにおいてみんなで行こうぜ」

 「えー」

 誰も賛同しなかった。

 「もう寝る!」

 勝手に電気を消して浜本は布団に潜る。

 「おい!」

 「ま、もう遅いし寝よっか」

 冷静に村田が言う。

 「そうだな」

 各々布団に潜る。

 静かになったころ、浜本がでかい屁をこいて暗闇に爆笑が起こった。



4: 

 地元の中学校を卒業して、すっかり交流が途絶えたあとに、道端で一度だけ浜本と会ったことがあった。

 高二の夏休み、俺は陸上部の練習を終え、まだ日の高い夕暮れを自転車で走っていた。

 「よう、伊藤」

 原付に乗ったまま浜本は手を上げた。中学のある時期から俺を師匠とは呼ばなくなっていた。生え揃ったのかもしれないが、疎遠になったという理由の方がおそらく大きい。

 「おう、久しぶりだな。元気?」

 俺も手を上げ返す。

 「元気だよ! 伊藤は部活?」

 「うん、浜本は?」

 「俺はバイト。まだ陸上頑張ってるんだな」

 「バイトかーいいな、うちの学校バイト禁止なんだよ」

 「はは、こっちは校則守ってるやつの方が少ないから」

 「そうだ、おれ携帯買ったんだ。アドレス教えてよ」

 「……あー、悪い。俺携帯持ってないんだよ」

 「そうなのか。じゃあまたなんかあったら電話してよ」

 「おう、顔が見れて良かったぜ」

 「おう、ほんじゃな」

 短いながら気持ちの良いやり取りで、また遊べたらいいななんて考えたが、それから電話が掛かってくることはなかった。俺も自分の身の回りのことで精一杯で生活の外部である浜本に声を掛けることもなかった。だからそれが俺と浜本の最後のやり取りとなった。

 浜本もずいぶん大人になったな、などと当時の俺は思っていた。それがおばさんを亡くしてすぐだとは思いもよらなかった。

 そんな俺が師匠だなんて呼ばれようはずがなかった。



5:

 五年生のころのお気に入りの話題は、好きな女子について。

 皆川はマセていたし何故かモテたので、毎度その時付き合っている女子の名をを真面目な顔で挙げみんな冗談にしないくらいドン引きしていた。

 俺はクラスで一番可愛い吉崎さんを一年貫き通した。幸いにも仲間内で好きな対象が被ることはなく、気持ちの上では彼女を独占できた。

 浜本は恥ずかしがって絶対に口を割らなかったのでホモだと言われていた。

 瀬戸川は一つ二つ下の学年の女子の名前ばかり挙げるのでロリコン。村田は美人の隣のクラスの担任だったが、途中彼女が結婚しガチヘコみ、次からはクラスの背の高い女子に変わった。

 草別府は毎回相手が変わるのでヤリチンと言われていた。浜本の師匠だった俺は成長が早かったためみんなよりちょっとばかりそうした話題には関心があったしよく知っていた。

 将来の夢についても話した。

 皆川はお父さんと同じ料理人。お前は食べる方が向いてるよ、と浜本が茶化して追いかけっこするのが常だった。

 俺はブライアン・ルイスに憧れていたので陸上選手。俺が走るのはもっぱら長距離だったけれども。

 浜本は剣士だとか教師だとか当時流行っていた漫画のキャラクターの職業ばかり言ってふざけていたが、時々漏らすお笑い芸人というのが本当だったと睨んでいる。

 瀬戸川は小説家。いつも何かしら読んでいたから順当だと思った。村田は医者。俺を診察するときは半額にしてくれとみんなで早めに予約しておいた。彼ほど賢かったらなれると思ったから。

 草別府は社長。草別府が自力で立ち上げるのは無理かもしれないが、環境のおかげでなんとかなりそうではあった。

 結果はどうかというと、この中で夢を叶えられたものは一人もいない。ただ草別府は今どうしてるか知らない。だからもしかしたら社長になれているのかもしれない。だとしたら靴を舐めてもいいから何か役職にヘッドハントしてくれないものだろうか。

 いずれにせよ、好きな相手と結ばれることも夢を叶えることもあのころ思っていたほど簡単ではなかったらしい。


6:

 ある暑い日の夕暮れ、俺と瀬戸川とは浜本の家で夕食をご馳走になっていた。

 浜本のおばさん料理が上手なので、食費のことなど考えたこともなかった俺は時々おじゃましていた。うちの母親に「迷惑だからよそでご馳走になるのはよしなさい」と頻繁に言われていたが、浜本のおばさんはいつもニコニコして迎え入れてくれるので何が迷惑なものかと思っていた。

 実際浜本のおばさんは人がよかった。浜本の友だちだからというのもあるが、それにしてもいつも良くしてくれた。内心クソガキだと思っていたらあそこまではできないと思うし、息子である浜本を見ていたら分かるものだ。

 テレビでは真夏の心霊特集と題された番組が放送されていた。

 俺たちは自分たちがビビっていることを隠して過剰なまでに平静だった。

 番組が終わろうとするころ浜本が言った。

 「なあ、今からみんな誘って肝試し行こう」

 「やだよ」

 俺は断る。

 「師匠ビビってるの?」

 「師匠がビビるか」

 「瀬戸川は行くよな」

 「え、うん。そうだね」

 「え」

 俺は瀬戸川を見る。

 「瀬戸川行くってさ。じゃあ他のやつらも誘ってみるわ」

 浜本は固定電話の受話器を握って他のメンバーに電話を掛けようとする。

 「肝試しってどこ行くんだよ?」

 俺は訊く。

 「一不思議の階段に決まってるだろ」

 浜本が答える。

 「瀬戸川怖くないのか?」

 俺は尋ねる。

 「う、うん。怖いの結構好きなんだ」

 たしかに瀬戸川が読んでいる本の表紙にはおどろおどろしいものが多かった。

 「他のやつらがどういうかだな。三人で行ってもつまんないし」

 「オッケー」

 浜本は次々と電話を掛けていく。

 そして、

 「草別府は来るってさ」

 「他は?」

 「村田は土日塾の試験で、皆川はセコム鳴るから無理だって」

 「うーん、たしかにセコム鳴るのは嫌だな」

 「鳴ったら逃げればいいだろ。それに鳴らさずに入る方法知ってるんだよ」

 「なんでだよ」

 「お前らがうるさいから一人で試してみた。何ともなかったぞ。怖くもなかった」

 少しずつ俺の退路はなくなっていく。

 「草別府にも師匠来るって言っちゃったし」

 「行こうよ、伊藤くん」

 「ま、まあ、ちょっとだけだぞ」

 「やったー」

 「さすが師匠」

 二人にそんな風に言われては悪い気はしない。

 「さてあと問題は――」

 浜本は長い顎に指を当てて考える。

 「うちのおかんに見つからずにどうやって行って帰るかだ」

 「俺らは普通に帰るって言うから、浜本はちょっと遅れてからこっそり出てこいよ」

 「簡単に言ってくれるな」

 「大丈夫だよ、お前はセコムをかいくぐれる男なんだから」

 「それもそうだな。頑張る、先行ってて」

 

 

7:

 午後十時過ぎ俺たち四人は学校の校庭に集まった。

 蒸し暑く、汗の臭いを撒き散らす俺たちの周りにはたくさんの蚊が集まってくれたが、見慣れた学校の別の顔というのは想像したより恐ろしく、安心させてはくれなかった。

 「おまたせ」

 浜本が息を切らせてやってきた。

 「遅い!」

 俺と草別府が怒鳴る。

 「いや、なかなか良いタイミングがなくってさ。バレないように走ってきたし」

 よほどおばさんが怖いようだ。そんなに怖いなら肝試しなんて言い出さなきゃいいのに。

 「じゃあさっさと案内してくれよ。その侵入場所にさ」

 「ちょっと待って、休ませて」

 浜本が座り込んで息を整える間、さらに蚊が集まってきた。何故か俺ばかり刺されたのを覚えている。

 「んじゃ、そろそろ行きますか」

 「おう」

 「よっしゃ」

 夜の世界で行う秘密の潜入にすっかり気分が乗っていた。

 浜本のあとに付いて校庭から中庭へと歩いていく。浜本、瀬戸川、俺、草別府と一列に並んでかなり挙動不審に進んだ。誰かに見つからないように黙る必要が生じたため、すっかり静かになった闇にだんだんと恐怖が募りだす。

 「着いた。ここ」

 声をひそめて浜本が言う。

 そこは美術室の手前だった。

 「美術室じゃね、入り口ねーし」

 草別府が不信そうに言う。

 「窓から入るんだよ」

 「は?」

 俺は、浜本には見えないが眉をひそめる。

 「大丈夫だって。俺何委員か知ってる?」

 「保険委員だろ」

 「そうだよ。じゃあ瀬戸川は?」

 「知らん」

 「美術委員だよ。そんで今日放課後掃除と鍵締めの当番は瀬戸川なんだ」

 「わざと一箇所開けておいたのか」

 俺は瀬戸川を見る。

 「うん、浜本くんに頼まれて」

 「でも、防犯センサーとかないのかな?」

 草別府が訊く。

 「以前にも開けたままにしてもらって、一回試したんだ。大丈夫だったよ。ザルだよ、この学校は」

 「金なさそうだもんな、うちの学校」

 「そうそう」

 「いいから入るぞ」

 浜本は窓を開けて枠をひょいと乗り越える。

 「な?」

 「いいぞ、浜本」

 草別府が続く。

 「僕も」

 瀬戸川も浜本の補助を受けながら突破する。

 「置いてくなよ!」

 急いで飛び越えて、着地先で躓きそうになる。三人が支えてくれる。

 「師匠って一番怖がりなんじゃないか?」

 「そうだな、下の毛は生え揃ってるのに」

 浜本と草別府がこそこそと言う。

 「だまれ、さっさと行くぞ」

 俺は美術室のドアの鍵を開けて、廊下へ出る。星明りがない夜だったので数歩先も見えず、思わず後ずさりしてしまう。

 「真っ暗だぞ」

 「懐中電灯忘れた」

 浜本が呟く。

 「瀬戸川は?」

 「僕も」

 「お前ら、だめだなあ」

 草別府はおもむろにズボンのポケットをまさぐりだす。そして取り出したのは、携帯電話だった。

 「これでちょっとは見えるだろ」

 「おお! さすが金持ち!」

 浜本が褒める。

 「ほら」

 草別府は携帯電話を俺に手渡す。

 「は?」

 「先行くんだろ?」

 「浜本が言い出したんだから浜本に任せたい」

 「師匠は本当に怖がりなんだから」

 浜本は嘲るように言って俺から携帯電話を受け取った。俺は黙ってその後ろに付く。嘲られてもいいから先頭には立ちたくなかったのだ。

 浜本も怖いは怖いようで、恐る恐る階を上がっていく。

 行程はとても長く感じた。実際に目的地はもっとも遠い場所でもある。そうすると、一不思議だかなんだか知らないが、はたまたなんでそんな場所に怪談があるんだ。そしてなぜ被害を受けた人間は夜中にこんな怖い思いをして四階階段まで行ったんだ。馬鹿だったのか。俺たちみたいな。そんな風に理屈に合わない、怪談の粗を考えて恐怖を凌ごうとした。凌ぎきれなかったけれども。

 四階廊下を進んで問題の最奥の、屋上への階段へと近づいていく。

 「あのさ」

 俺は言う。

 「わ、びっくりした。急に幽霊みたいな声出すなよー!」

 後ろを歩く草別府が珍しく余裕のない声を上げる。

 考え事をしていたせいで低い声になってしまった。

 「ごめん。あのさよく考えたらなんでそこの階段で自殺した人ってそんなとこで死んだのかな。屋上から飛び降りたかったにしても、屋上の扉はいっつも鍵掛かってるじゃん」

 「俺にもわかんないよ。開いてると思ったんじゃないかな」

 浜本も緊張した声で答える。

 「瀬戸川大丈夫か。さっきから喋ってないけど」

 俺は瀬戸川に声を掛ける。気づいたら瀬戸川が消えていたなんてのは洒落にならない。

 「だ、大丈夫」

 「頼むからはぐれないでくれよ。探せないぞ」

 「わかった」

 「おい」

 浜本が言った。

 「着いたぞ」

 気づけば目前には例の階段が現れていた。先入観か禍々しいものすら感じてしまう。

 「よし、しっかり確認したし帰ろうか」

 俺は引き返そうとするが、

 「まだだ」

 浜本は俺の襟を掴む。

 「上らないと」

 「俺はいやだ、お前上れよ」

 俺は真剣に抗議する。

 「俺も嫌だぜ、みんなで行くならともかく」

 草別府も手のひらを振る。

 「みんなで行くのもだめだろ」

 浜本は首を振る。

 「こういうのは一人で行かないと」

 「じゃあお前が行けばいいだろ!」

 俺は半分本気で怒鳴る。

 「俺も嫌だ」

 浜本はぬけぬけと言い放つ。

 「じゃあ誰が行くんだよ?」

 草別府は訊く。

 「誰も行かなくていいだろ。帰ろう」

 俺は帰ろうとする、が一人では帰れないので説得を試みる。

 「なんかマジでやばい感じするんだよ」

 「瀬戸川は?」

 浜本が言う。

 「え、僕?」

 「お前なんか平気そうじゃん。師匠こんだけ怖がってるのに」

 「ま、まあ、ちょっと見てくるだけでいいなら行けるかも」

 「マジかー!」

 草別府が感嘆する。

 「瀬戸川すげえ!」

 何も言わなかったが俺もそう思った。瀬戸川を侮っていた。俺には無理だ。

 「じゃあ瀬戸川頼む」

 浜本は手を合わせて拝む。

 「わかった。じゃあ行って来る。携帯借りるよ」

 携帯電話の光で足元を照らしながら瀬戸川は一段一段と登っていく。

 俺は生唾を飲み込みながら見守る。

 靴下でここまで来たものだから、足音もなく瀬戸川は静かに暗闇に消えていく。

 「今真ん中まで来た。大丈夫」

 上から瀬戸川の声が聞こえた。

 俺はいつのまにか止めていた呼吸を再開する。

 「もう少し上ってみるね」

 いや、もういいから降りて来い、俺は思った。そして実際にそう口に出すべきだった。

 「うわっ!」

 背筋が凍るのを感じた。

 瀬戸川の小さな悲鳴が凄まじい早さで俺たちを貫いた。

 静寂をやぶる、人一人が階段から転げ落ちる音。

 またしても静寂。

 「え?」

 俺は動揺して辺りをキョロキョロ見る。

 答えはない。

 「おい、これやばくね?」

 草別府が震える声で言う。

 「おい、瀬戸川どうした!」

 浜本が叫ぶ。

 返事はない。

 「行かないと!」

 浜本が駆け上がる。

 得体の知れない恐怖よりも、実際の目の前に迫った恐怖が打ち勝ち、俺は浜本を追い越す勢いで階段を跳ねる。

 草別府が後ろを付いてくるのがわかった。

 「瀬戸川!」

 俺は踊り場の下りに面した端に転がる小さな光を拾い上げる。草別府の携帯電話だ。こんなところまで飛んできているということは!

 俺は携帯で床を照らして瀬戸川を探す。

 そんな色のタイルがあるわけないのに赤黒い床面が見えた。

 俺は思わず床に触れる。暖かいねちゃっとした感覚。

 その延長線上にあるのは、うつぶせになった瀬戸川の頭だった。

 「うわっ!」

 俺は後ずさりして携帯電話を床に落とす。カタンと音がする。

 草別府はそれを拾い上げる。

 「救急車呼ぶぞ!」

 「頼む!」

 「そんな……」

 浜本は膝立ちになって呆然と空を見る。あるいは何かを見ていたのかもしれないが。



8:

 瀬戸川は目を覚まさなかった。

 これが俺が最初に体験した同級生の死だった。

 打ち所が悪く、脳内出血を起こしてしまったのが直接の死因だったらしい。

 「俺のせいだ」

 浜本はそう言って泣き続けた。

 「俺のせいでもある」

 慰めになるとは言った自分でも思えなかったけれども、俺は言った。本当にそう思ってもいた。

 泣いたり反省して許されることではない。瀬戸川の両親ははっきりそう告げた。その通りだと思った。

 結局のところ俺たちは瀬戸川を軽視していたし、瀬戸川を集団圧力で追い込んだ。瀬戸川は平気なふりをしたが、俺たちとつるもうと今まで無理やり俺たちに合わせていたという事実もあった。

 やはり俺が殺したのだと思った。

 ただし救いはあった。それは本当に瀬戸川に平気で、転倒したのは自殺した悪霊のせいだという可能性だ。

 携帯電話で足元を照らしながらゆっくり上っていて足を踏み外すだろうか。それもうつ伏せに。一番上まで来たならきっとそういうはずだ。

 でもそれは願望によって歪められた可能性であり、実際に起こった死というリアリティに比べてみてはあんまりにも薄っぺらで現実味など感じられはしなかった。もう一度深夜の学校に、今度は一人で忍び込んでももう俺は怖くないだろうし、それどころか悪霊と出会えるなら出会いたいとすら思った。そうすれば少しは気が楽になるだろうから。

 ――これが俺たちが体験した一不思議の正体だった。

 でも全容ではなかった。


 

9:

 「――あのさ、一不思議って覚えてるか?」

 あの日食堂で皆川は言った。

 もちろん忘れるわけがなかった。

 「ああ」

 「こんな時に持ち出す話じゃないと思うだろうが、やはりお前は知らなきゃいけないと思ったんだ」

 「何がだ」

 「覚悟して聞けよ」

 「ああ」

 皆川は躊躇いをかみ殺すように一度奥歯を鳴らす。

 「――瀬戸川が死んだのはお前のせいじゃない」

 「――は?」

 俺は目を見開いた。鼓動の音が聞こえた。こいつは何を言っているんだ?

 「勿論遠因とすれば俺たちに責任があることはわかってる。でもあいつが転んだのにはわけがあったんだ」

 俺は目の前の皿を見つめ続けた。頭の中で意味のない言葉が流れ続けた。

 「あいつはな、事前に浜本に持ちかけられてたんだ。階段の上で軽く転んでくれないかってな」

 皆川は血がにじむほど、手のひらに爪を喰いこませた。

 「俺たちに、ひいては周囲に一不思議を信じさせるために」

 そんなわけが……

 「……あれはな、イタズラだったんだよ。瀬戸川が頭を打つまでは」

 「なんでっ、なんでお前がそんなこと知ってる!」

 俺は叫んだ。周囲の目がこちらを向くのを感じた。でも自分を抑えられなかった。

 「浜本の遺書に書いてあったんだよ。ついに言い出せなかった。すまない。俺は卑怯な人間なんだ。ってな」

 「遺書だと? 浜本はなんで死んだんだ」

 「……自殺だよ。もっとも、体を壊し働けなくなって、うつになったのが原因らしいが」

 皆川はバッグから折りたたんだ紙を取り出す。

 「浜本の親戚が、小学校の同級生宛の部分があるからって連絡してくれたんだ。これはコピーだけど」

 俺は受け取り、貪るように読んだ。文章こそまるで違ったが、その字の独特の字体にはたしかに覚えがあった。

 「そんな」

 「俺たち、なんにも知らなかったんだな」

 俺は返事もせずに、何度も何度も浜本の言葉を読み返す。

 なんで、なんで……!

 「……話くらい聞かせてくれてもよかっただろ」

 それは独り言だった。そして空々しいとも感じた。

 皆川はもとより、浜本に問いかけてすらいない。自分勝手な独り言、実際に相談されて自分がなんと答えていたか、それは浜本を救えたのか、俺は辛抱できたか、いや余計に浜本を苦しめていた可能性すらある。

 浜本が死に向かった理由のうち、瀬戸川のことはおそらくその一部に過ぎないのだろうと思う。もっと実際的な問題もあったに違いない。俺が手を差し伸べられたとしてそれはわずかであり、それすらたらればの、決してしようともしなかったことだった。

 


 一不思議は少年を階段から突き落とした。絶望に命を絶った男をも生み出した。

 まるで呪いのように。怪談の状況を再現するかのように。

 本当に一不思議は作り話だったのだろうか。あるいは本当の話だったのかもしれない。

 ――そうであれば俺たちは悪霊を恨んでいられたのだ。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。夏ホラー期間は終わってしまいましたが、遅ればせながら拝読しました。 小学生の男の子たちの他愛のないやり取りがとても生き生きとしていました。当方女性なので、教室の男子グループが…
[一言]  拝読しました。  ノスタルジックに、そして生き生きと描かれる少年たちの描写が実に仲が良くて、だからこそ起きてしまった事が辛い物語でした。  語り手は「そんな俺が師匠だなんて呼ばれようはずが…
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