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よみがえりの木

作者: マイマイ

「メイ! ありがとう、忙しいのに」

「ううん、美奈も連絡ありがとね。こんなことでもないと、なかなか帰るようにならなくて」

 地元に帰ってきたのは、何年ぶりだろう。

 大原美奈の懐かしい笑顔を見ながら、月野メイは地元を離れてからの年月に思いを馳せた。


 高校卒業と同時に県外へ出て、もう十年になる。

 大学生の頃は、まだ頻繁に帰省していたけれど、就職してからはよほどのことがないと時間がとれなくなった。

 最後にこっちに戻ってきたのは、三年前、二十五歳の年。

野乃塚蘭の、結婚騒動のときだった。


「それで、蘭の様子が変って、どういうこと? やっぱり、あのことが原因?」

「うん……ずっと気にはしていたんだけどね。わたしもいろいろ忙しくて、しばらく会えなかった間に……」

 速足で歩きながら、美奈が深いため息をついた。


☆ ☆ ☆


 メイと美奈、そして蘭は、幼稚園から高校までずっと同じところに通い、家も近所同士の仲良し三人組みだった。

 美奈は、勉強も運動も学年の中で常にトップ、美人でいつもシャキシャキしていて、みんなのお姉さん的な存在。

 蘭は、勉強も運動もまるでダメだったが、お嬢様育ちの品の良さと、可愛らしい容姿が幸いして、みんなに好かれていた。

 メイは成績も容姿も常に中の上、実家はさほど裕福でもないが、貧しくもない。

平凡を絵にかいたような存在だと、自分でも思う。

 タイプの違う三人だったが、かえってそれが良かったのか、大きな喧嘩をすることもないまま大人になった。

 

『三人の中で、一番結婚が早いのは、きっと蘭ちゃんだよね』

 子供の頃からの予想通り、蘭は二十四歳のときに見合いをし、その相手と翌年に結婚が決まっていた。

 当時、まだメイにも美奈にも、結婚を意識するような相手はおらず、新妻となる蘭をふたりでさんざん冷やかしたものだ。

 ところが。


 あと一ケ月で結婚式、という時期。

新郎となるはずだった男、高原和輝が、突然姿を消したのだ。

 住んでいたマンションの荷物も、順調だった仕事も、すべてを放置して。

 彼自身の両親、そして、婚約者である蘭、その家族や友人も手を尽くして探した。


 だが、あれから三年が過ぎたいまでも、彼の行方はわかっていない。

 

☆ ☆ ☆


「ああ、メイちゃん、久しぶり! 元気にしてた? 美奈ちゃんも一緒なのね、さあ、上がって」

 駅近くの、高層マンション。

 広い玄関に走り出てきた蘭は、子供の頃と変わらない、弾んだ声とふんわりとした微笑みで迎えてくれた。


 雪のように色白なのも、部屋の中でもきちんと髪を整え、ひらひらとしたワンピースを好んで着るのも、昔のままだ。

 ……べつに、なにもおかしいところなんてないじゃない。

 ちらりと視線を向けると、美奈は黙ったまま、小さく首を左右に振った。


 細い廊下を抜け、リビングルームに案内される。

「おじゃまします……」

 部屋に入ろうとしたメイは、思わず息をのんだ。


 視界が、緑に埋め尽くされる。

 二十畳はあろうかという、広い空間いっぱいに。

 あらゆる種類の観葉植物らしき鉢植えが、足の踏み場のないほどずらりと並べられていた。

 むせかえるような、土と緑の匂い。

 美奈が、隣で悲しげに眉をひそめている。


「あ、あの……す、すごい、部屋、ね」

 何か言わなくてはいけない。

 そう思うのに、メイは混乱するばかりで、たったそれだけの言葉を絞り出すことしかできなかった。

「うふふ、ここはね、パパのマンションなの。一番日当たりがよくて広いお部屋、もらっちゃった」


 野乃塚家は、昔から不動産業も手広くやっており、この町では有名な富豪だ。

 だから、そのひとり娘である蘭が、贅沢三昧な生活をしていても不思議はない。

 問題は、誰が見たってわかる。

この、山のような鉢植えは、いったい何?

 

「さあさ、座って。有名ホテルから取り寄せたケーキがあるの、メイちゃんはチョコが好きでしょう? 美奈ちゃんは生クリーム」

 ゆるゆると歌いながら、蘭はキッチンへとむかう。

 しかたなく、鉢植えの隙間に体をねじこむようにして、美奈と肩を寄せ合いながら床に座った。


「……ちょっと、これ、いつから? っていうか、なんなのよ、あの子、植物園でも始める気?」

「わたしに怒らないでよ、メイ。うーん、一昨年くらいから、兆候みたいなのが、ないこともなかった、っていうか」

 言葉を濁しながら、美奈がぽそぽそと呟いた。


 あの結婚が破談になった一件の後。

 蘭はよくわからない『おまじない』のようなものに凝り始めたらしい。

 どこから聞いてくるのか、あやしげな壺を手に入れてみたり、どう見ても価値のなさそうな石ころを集めてありがたがってみたり。

 それが落ち着いたと思ったら、この鉢植え収集が始まって、それから本格的に言動がおかしくなってきたのだという。


「……これで、帰ってくる、って言うんだよね。カズくんが」

「え? カズくんって、婚約者だった、あのひと?」

「そう。わたしにも、ほんとに意味がわからないんだけど」

 頭を抱えた美奈の後ろから、すっ、と綺麗なケーキがのせられた皿が差しだされた。


 いつからそこにいたのだろう。

 蘭は微笑みを顔にへばりつかせたまま、また歌うように言う。

「知らないの? カズくんはもうすぐ帰ってくるわよ」

 だって。

 種を植えたら、実がなるでしょう?

 カズくんの種、たくさん植えたんだもの。

 だから、もうすぐ、あの木の中のどこかから、カズくんが産まれてくるのよ。

 この部屋にある木は全部『よみがえりの木』なの。


 滔々と語る蘭に、口をはさむことはできなかった。

 そのガラス玉のような瞳は、メイや美奈を通りこして、ずっと遠くを見ている。

 よみがえりの木。

 たしか、この町の古い伝説に、そんな話があった気がする。

 何かの木の根元に亡くなった娘の体を埋めたら、翌年、花が咲いて大きく膨らんだ実の中から娘が帰ってきた、とか。

 地元の人間なら、誰でも知っている。

 もちろん、ただの昔話だ。

 

「え? 種って」

 あの話の通りに考えるなら、植木鉢には『種』が埋まっているということになる。

 でも、それは。

 そんな。

 まさか。

「あ、あはっ、もう、メイったら、そんな顔しないの。おまじないの続きなのよ、ね? そうでしょ、蘭」

 場をなごませるためか、美奈が取りつくろうように笑った。

 植木鉢の土をよく見ると、それぞれの鉢ごとに何かがはみ出している。

 銀色の腕時計の金具。

 男性用の靴下、ハンカチ、皮の小物らしきもの。

 おそらく、和輝が消える前に残した、彼の持ち物なのだろう。

 あれが、種か。


 蘭はゆったりと首を振る。

「ううん、帰ってくるの。だって、たくさん植えたもの。もしかしたら、もういるのかもしれないわ、ほら、あの中に」

 か細い指が示したのは、部屋の中でも一番大きな、ヤシの木に似た植物だった。

 大きな葉が何枚も重なって繁った、そのすぐ下。

 ちょうど、背を丸めた赤ん坊ほどの大きさの実が、ぶらんと重そうに揺れている。


「い、いやっ」

 美奈の手から、ケーキ皿とフォークが落ちて派手な音を立てた。

 それと同時に、蘭がハッと顔を上げる。

 焦点の戻った目で、哀しげに割れた皿を拾う。

「ごめん、わたし、また変なこと言ったのね。ケーキ、まだあるから、もうひとつ取ってくるね」

「蘭……」

 くすん、と鼻をすすりながら、再びキッチンへとむかった蘭の後ろ姿を見ながら、美奈がぽろりと涙を零した。


「正気のときと、さっきみたいに気味の悪い話を続けるときがあるの。だんだん、妄想に浸る時間が増えてきているみたい」

「そう……」

 妄想話が、だんだんと具体化されていくのが怖い。

 あんなふうに、彼が『帰ってくる』と断言しはじめたのは、ここ最近のことで、誰が何をいっても聞き入れない。

 美奈は、自分の心の平静を取り戻そうとするかのように、早口でメイに吐き出した。

「やばいよね? あんな顔でさっきみたいなこと言われたら、ただの妄想だってわかってたって、怖くなっちゃうよ」

「うん、それはわかる。わたしもちょっとゾクッとした」

「もう、あんな男のことなんて、さっさと忘れちゃえばいいのに。蘭、かわいそうで見ていられない」

 ……かわいそう、ね。

 美しく整った顔をくしゃくしゃにしながら、しゃくりあげる美奈の姿を、メイはどこか冷めた目で見つめていた。


☆ ☆ ☆


 三年前。

 ちょうど蘭の結婚式の半年ほど前に、メイは美奈から相談を受けていた。

 許されないことをしてしまった、どうしよう、と。


「わかっていたのよ、悪いことだって。でも、こんなに男の人のこと好きになったの、初めてなの」

 美奈は、高原和輝と体の関係を持っていた。

 それも、蘭がメイたちに婚約者として彼を紹介してくれた、その日のうちに。

 実際、魅力的な男ではあった。

 雑誌から抜け出てきたモデルのような容姿で、大企業に勤め、豪華なマンションに暮らし、会話の引き出しも多い。

 和輝は『蘭のことで相談がある』と美奈を呼び出し、酔わせた上で自宅に連れ込み、最初は強引に犯されたのだという。


『こんなことをして、ごめん。蘭なんかより、君の方がずっと綺麗だったから』

『親同士の関係で、しかたなく見合いをしたけれど、僕は君に恋をしてしまった』

『君さえいれば、なにもいらない。好きだよ』


 ベッドの中での甘い囁きから、彼がどんなふうに美奈を抱くのかという赤裸々な話まで、メイは全部知っている。

 美奈が、どこか得意げに話して聞かせてくれたからだ。

 結局、その関係も彼の失踪と共に消滅した。

 そんな調子で、女関係にだらしのない男であることは、友人の間では有名だったらしい。

 だから、行方不明になった当初も、どうせ何処かの女と駆け落ちでもしたのだろう、とたいした騒ぎにはならなかった。


 ……あんなことをしておきながら『蘭がかわいそうだ』と泣くのね。

 いかにも、友達想いだという顔をして。

 その神経が、メイには信じられなかった。


☆ ☆ ☆


「さあ、お茶も淹れなおしたから、気分直しに食べて。わたしったら、いつまでもひきずって……情けないね」

「ううん、そんなことない。でも、ほんと、いつか彼が帰ってきてくれるといいね」

 力無く肩を落とす蘭の肩越しに、ちらちらと美奈がさっきの鉢植えを気にしている。

 彼女の考えは、手に取るようにわかった。

 まさか、蘭が彼になにかして、埋めちゃったわけじゃないよね?

 その目は、ぼんやりとした疑惑をはらんでいた。

 

 ふふ。

 ……笑える。

 ふたりとも、馬鹿みたい。

 よみがえりの木、なんてあるわけないじゃない。

 それに、甘えっ子の蘭に、彼をどうにかすることなんて、できるはずもない。

 メイは甘すぎる紅茶を啜りながら、自身の腕の中で息絶えた、高原和輝の最期を思い出していた。


☆ ☆ ☆


あの男が手を出したのは、美奈だけじゃない。

 そっくり同じことを言って、メイにも近付いてきた。

 そして、メイも美奈と同じく本気になった。


『あいつと結婚なんて、やめたい』

『メイと、ずっと一緒にいたいんだ』

 週末には、わざわざ県外にいるメイのところまで訪ねてきてくれた。

 蘭に、悪いと思った。

 でも、理屈じゃなかった。

 止められない気持ち。

 好きで、好きで。

 だから、彼の欲しがるものは、なんでもプレゼントした。

 ブランド物のサイフも、高価なスーツも、車でさえも。

 OLの微々たる給料は、あっというまに消えた。

 足りない分は、体を売って稼いだ。

 嫌だったことなんて、ひとつもない。

 夢中で、楽しかった。

 少しでも、彼に満足して欲しくて。


 なのに。

 

 蘭との式の日が迫ってくるのに、ちっとも婚約解消しようとするそぶりがない。

 ある週末、メイのところを訪れた彼を問い詰めると、鼻で笑われた。

『悪いけど、体を売るような女とは結婚できないな』

『蘭は、頭は弱いけど、あの体は悪くない。それに、親の権力もすごいからな。結婚を止めるなんて、できるわけないさ』

『面倒なことを言うなら、これでサヨナラだ』

 ごみくずでも捨てるような言い方だった。


「そんなの、許さない、あなたは、わたしと結婚するの」

 脅すつもりで振りあげた包丁が、彼の首をかすめた。

 ひゅうっ、と空気の抜けるような音がして、景色が赤に染まり、彼が声も出せないまま倒れていく。

 そこからは、ほとんど無意識に、体だけが動いた。

 動かなくなった彼をバスルームに引き摺っていって、汚れたフローリングを丁寧に拭いて、それから。

 肉を削ぐのが、あんなに大変だとは思わなかった。

 骨は、それだけでもけっこうな重量がある。

 血を綺麗に洗い流した後、ほとんど空っぽだった冷蔵庫と冷凍庫に、ぎっしりと詰め込んだ。

 あとは、食材に紛れさせて、少しずつ食べた。

 川魚と鶏肉の間のような味がした。

 あれから三年。

 いまも、冷凍庫には彼の一部が残っている。


 美奈と蘭が、不思議そうな顔をして、メイを見つめていた。

「どうしたの? 黙っちゃって」

「ああ、ごめんね。あの木、ほら、あの実から、ほんとに彼が産まれてきたら、なにを話してくれるのかなって考えてたの」

 あの、嘘つきな口で。

 美奈は口をつぐんでうつむき、蘭はあいまいな表情で首を傾げた。


(おわり)


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