第一章 炎のHERO
ある日目覚めると、俺は炎が怖くなっていた。
いつもと変わらない目覚め、なんてことはないいつもの朝だった。
初秋の少しひんやりとした空気が布団から出ようとする俺の体に突き刺さる。
若い若いと思ってるうちにもう31歳。家庭を持って子宝にも恵まれたが、突然の隣県への転勤。
説得はしたものの受け入れてもらえず、身重の妻を実家に預け、俺は単身赴任の生活を送ることになった。
「寒くなったな。」
隣県にもかかわらずこちらの秋冬は訪れが早く、持ってきた装備には限界がきていた。今度帰ったときに冬物を持ってこなければ。
こんな朝は熱い味噌汁に限る。とはいってもそこは単身赴任、所詮インスタントしかないんだが…無いよりはマシだろう。
いつものようにヤカンに水をいれコンロのつまみをひねる。
チチチチッ…ボッ
順調に火がともり、そして
………カチッ
俺はコンロを止めた。
「え…?」
自分の意思ではないようだった。手が勝手に動いたのだ。…いや、手が動く一瞬前に感じた寒気。
あれは疑いようの無い、明確な恐怖だった。
結局俺はコンロに火をつけることができないまま会社へむかった。初めての感覚。火への異常なまでの恐怖。
逃げ出すことはできない。目の前の炎を消さなくてはいけないという使命にも似ていた。
「どうだ?一服しないか?」
昼休みに同僚の近藤に言われたが断った。自慢じゃないが同僚内じゃ俺が一番のヘヴィスモーカーだったから近藤には驚かれた。
「禁煙か?やめとけって、お前には無理無理。」
別に止めたくて断ったわけじゃないが、ライターが怖いなんて言えるはずもなく。その場はうまく言い逃れをした。
「いつまで続くか見ものだぜ」けけけと笑って近藤は喫煙室へむかった。
その日の仕事には手が付かなかった。ニコチンを求める気持ちと火への恐怖がせめぎあってそれどころではなかったのだ。
そわそわしたまま17時きっかりに仕事をたたみ車に飛び乗り帰路につく。
街中を走っているとやけに交通人が同じ方向に走っていくのが気になった。
不審に思いその方向を見ると空に黒煙が立ち昇っている、火事だと本能で気づくより先に俺はハンドルを黒煙に向けてきっていた。
火事現場は人だかりで埋め尽くされていた。
「消防車はまだか!!!」
「邪魔だ!!邪魔!」
炎の音と周りの喧騒であたりは騒然としている。
見ると民家の2階をオレンジ色の炎が包み、今にも飲み込もうとしていた。
ぞくり…
その時、冷たい手で背中を触られるような寒気が俺を襲う。
同時に心拍数が早くなっていき興奮を抑えきれなくなっていった。
今日火を前にして何度も感じた感覚だがこれほどまでに大きな反応は初めてだった。
そして呼吸が乱れ始め、手のひらに汗をかき出したころ、俺はこの恐怖の正体に気づいた。
これは恐怖ではなかった。
抑えきれない興奮と衝動…目の前の炎をどうしても消したいという気持ちに他ならなかった。
次の瞬間俺は走り出していた。
一気に人ごみを抜け、玄関から民家に飛び込んだ。
一瞬背後から何かを言われたような気がするけど気にしない。恐ろしいまでに本能に忠実だった。
無事な1階を駆け抜けて2階へ駆け上がる。一番置くの部屋を開けると、黒煙に視界を奪われる。
何とか薄目をあけるとそこはカーペットやカーテンが燃え上がる子供部屋だった
上着を脱ぎカーペットの炎をばたばたと叩いた。もちろんその程度で消える火ではない、でもやめることができなかった。
次第に意識が朦朧としだして、膝からがくんと崩れ落ちる。
ムニュ…
その時、床に着くはずの手が何か柔らかいものに触れた。見ると子供が倒れていた。
俺の記憶はここで途切れている、この後の映像はもやがかかったみたいに曖昧で正直何がなんだかわからない。
後から聞いた話だが俺はこの子供を救出して玄関からでた直後倒れたらしい。
それからの数週間は大変だった。
病院のベッドで目覚めると俺は子供を救い出したヒーローになっていた。
その子が感謝しにやってくるくらいなら別に構わなかったが、地方紙の取材を受けたり、消防署の偉い方から賞状をもらったりした。
すぐに退院したものの、俺は家にこもり続けた。
俺の心は興奮状態を保っていた。
火を消すあの快感を忘れることができず、コンロの前に座り付けては消し、付けては消すという毎日を過ごした。
チチチッ…ボッ………カチッ
チチチッ…ボッ………カチッ
駄目だ。この程度の火では何も満たされない。
ブブブブ…ブブブブ… 携帯のバイブレーションが鳴る。見ると妻だった。
チチチッ…ボッ………カチッ
チチチッ…ピッ「はい?」
『あなた…いろいろ大変でしょう?もうちょっと休みをとって帰ってきたらどうかしら?』
ボッ………カチッ「ああ…そのうち帰るよ」
チチチッ…ボッ『それとね、あなたお腹の子が…』ピッ ………カチッ
火が欲しい。火を消したい。
何も耳に入らない…何もする気が起きない。火を消したい…それ以外は
翌日、臨時ニュースが放送されていた。
この国にミサイルが着弾したそうだ。
着弾したのは隣県の都市、俺の故郷だった。
町は壊滅…生存者のいる可能性は絶望的らしい。
あそこには両親がいる。妻がいる。子供がいる。
それなのに俺の心は嬉々として興奮していた。
悲しさは不思議となかった。
なぜかって?
臨時ニュースの映像を見ろよ。
あんなに燃えた町を見たことがあるか?
火だ…あそこには火がある。




