夏の思い出(Memorry of summer)
父親が癌の闘病生活の果てに他界して四度目の夏を向かえようとしている。それは自らの人生にも大きな心の転機となった四年目の夏である。よく言われる前世というものがあるとしたらそれを知らさることで自らの今までの振る舞いに納得もし、またある種の懐かしさも感じさせてくれるものである。その日は8月半ば、朝から沸き立つような蝉の声が典型的な夏の日を予感させた。父親の四十九日に合わせ一人6時の東京発博多行きのぞみに飛び乗り三郎は実家のある九州へと向かった。小倉駅までの6時間がぼんやり過ぎていった。夏の帰省客で込み合う小倉駅からローカル電車に乗り換え、昔炭鉱で栄えたとある田舎駅で降り立った。今はもう昔の賑わいは無く、ひとけもまばらな改札口を出ると眩しい太陽と蝉の大合唱が三郎を向かえた。真向かいの古びたバスターミナルへ手をかざして歩き、ベンチに腰掛け、山里へ向かう1時間に1本のバスを額の汗をぬぐいながら待っていた。周りは数人の老人だけが目に止まった。しばらくするとそこへ白のTシャツに白の半ズボンそして白の野球冒でサンダルを引っ掛けた日焼けした小太りの中年男が片足を多少引きずりながらターミナルのわきから誰かを探す足取りで片手を半ズボンのボケットに入れゆっくりと入って来た。「オーイ!」三郎は思わず声をかけた。
入って来た男は三郎の弟であった。幼い頃、川遊びに夢中になり、三郎と一緒に3メートル下の滝壺に飛び込んだおり、岩に片足をぶつけそれ以来、多少足を引きずるようになっていた。年齢のせいか古傷が痛むらしく、たまに病院通いをしていた。弟は三郎に呼ばれ、「おう、あんちゃん。ついたか」ポケットから手を出して合図し,三郎の方へ歩み寄った。「病院から帰る途中や、もうついとらせんかと寄ってみたわ。」「元気しとるか!」三郎は弟の多少引きずる右足に目を落とし笑顔で尋ねた。弟は軽くうなずいて「まあまあやな。」「助かるわ。ほな行こうか。」三郎はゆっくり腰を上げ弟の車へと向かった。助手席に座ってそのまま弟の車は駅を後にし、山々が連なる方向を目指して走り出した。途中、行き交う石炭舟で川面がびっしり埋めつくされという大きな川にを渡り、その後は行き交う車も人気もまばらとなった。小高い峠を越えると大きく育った緑鮮やかな稲穂に包まれた過疎の山里が姿を現した。そこは三郎たちが過ごした子供の頃と全く変わらぬ、静かな山里であった。山里の実家へ向かう車中では二月ほど前に父の通夜葬式で心行くまで語り合ったせいか、お互い多くを語らなかった。ただ「もう四十九日か!早いもんやな。」三郎の呟きにハンドルを握った弟は「まあ、親父もやっと三途の川渡って成仏するな。」弟は同じく呟き、フーッと息を軽く吐いた。そして弟は「なんか親父はまだそばにおるごとある」そうも語った。「成仏したんやないのか」三郎は怪訝そうに答えた。弟はふいと助手席の兄にその日焼けした顔を向け「兄ちゃんが来るの待っとったな。親父は」三郎は弟に突然顔を向けられ、一瞬はっとし、また東京から急ぎ足で来た自分にとってその言葉がなぜか重く感じた。
翌日、照りつける太陽が激しい性格の父親を思い浮かばせた。実際三郎が小学生だった頃、一学期の通信簿に1があった時、珍しく6時前に帰宅してひと風呂浴び晩酌で上機嫌だった父親は、三郎の通信簿を見るなり、夕食中の三郎を庭先へ放り投げたのであった。それほど激しい父親であった。その父親の法事は近場の親戚のみ参加し、納骨した寺から呼んだ住職の読経が広い昔ながらの居間に響いた。弟は足が痛むのか真っ直ぐ片足を突き出し白帽子を脇に置き、両手に数珠を掛け座布団に腰を沈めていた。そばには三郎が背筋を伸ばしたまま痺れてくる自分の足に我慢しながら早く読経が終わらないかと多少住職の背中がうらめしく感じた。やっと読経が止むと住職は一同に深々頭を下げ、銘々に焼香を促し、短い住職の説諭が終りゆっくりとした足取りで近所の寺へと戻っていった。夕方には親戚も引き上げ老いた母と三郎、弟だけが頑固親父の笑みを浮かべた遺影の前のちゃぶ台でくつろいでいた。弟は白帽子を被ったまま横に寝そべってビールを片手に既に酔いが回った様子でテレビの野球中継に見入り、母親は最後の親戚を見送ってやっと済んだ法要にほっとしてしたかのように熱い湯飲みを両手で持ち茶をすすっていた。三郎は今はなき親父がいつも腰掛けていた黒光りした大きな大黒柱の脇にあぐらをかき、庭先に咲いた夕顔をぼんやり眺めていた。すると弟がふと三郎に向かって呟いた。「親父が来とったな」
世の中には不思議な出来事がよくあるものでこの日の夜、母親は疲れた様子で座敷でひとり早目の床につき、三郎は弟と子供時代に過ごした二階に移り、残り酒を酌み交わした。そして夜もふけ母親が用意してくれた床を並べ互いに横になった。忙しく過ぎて行った今日の一日を想いお越しながら二階の古びた天井を眺めてしばし語り合った。四方の窓は網戸にしてあり時折入って来る涼しげな夜風が心地よく感じられた。三郎は隣で仰向けに下着一枚で痛みを忘れた足を大きく開き両手を突き出た腹に乗せ既にいびきをかきつつある弟に目を向け半分うとうとしながら亡くなった親父についてふれた弟の奇妙な言葉が脳裏をよぎった。。同時に明日はまた東京へとんぼ帰りかとため息も出るのだった。と突然二階の戸がかする音をたてて微かに開き、それとともに窓から入って来る夜風とは全く違う何か生暖かい空気が部屋を覆っていくのを三郎は感じとった。するといびきをかいて天井を向いて眠っていた弟の口から「サブロウ、サブロウ、ヨウ、キタナア」 それはゆっくりと小さな声音で隣の三郎の耳もとへ届いたのだった。
三郎は天井の豆電球の明かりに浮かんでいる眠っているはずの弟を覗いた。弟は仰向けのまま両手を腹の上に置き寝入っている様子だった。しかしその声は続いた。「アリガトサブロ」 「親父か?」三郎は落ち着いて応えた。「ソウヤ」三郎は弟の身体に亡き父親の魂が乗り移ったと感じ、ゆっくり弟の方に半身になり、肩肘ついてそばの煙草に火を付けた。「親父今どうしとる?」三郎は質問した。「ダイジョウブ、ウエカラミトッタ」「そうか、天か空からか?」「イイヤソコマデウエデナイ」
「そうか、死ぬ時は苦しかったやろ!」三郎はまた尋ねた。「クルシカッタ~」絞り出す小さな声と同時に両手を載せた突き出た弟の腹がフウセンの如くしぼんでいった。
「今も苦しいか?」「イマハダイジョウブダ。オカアサンニハダイブクロウカケスマナカッタ。ズットオカアサンノソバニイタ。」「心配ない。元気や。」三郎はそう応えた。「カグラガナッテル、タイコ、フエガチカズイテクル。」そう父の魂は語った。「わしには聴こえん」三郎の耳には網戸の外の虫の鳴き声のみであった。
「親父は出雲出やから石見神楽が呼んどるんやろ、きっと」「ワシハゼンセデハアシガルヤッタ、イクサアルトキハウマヒテイクサニデタ、カグラヲ ミニイクノガ タダタノシミヤッタ。」「親父は前世は侍だったのか?」多少驚いて三郎は応えた。「アシガルヤ、オマエハチガウ」三郎は父親の言葉に聞き入った。「オマエハサムライダイショウヤッタ。タケダシンゲンニツカエタ。シンゲンナキアトイエヤスニツカエタ。アカヨロイデタタカッテイタ。サイゴノオオイクサハセキガハラダ。」三郎は自ら沸き立つ気持ちを抑えるかのように二本目の煙草に火を付けた。
弟の口から発する父の言葉に三郎は自分の思春期に差しかかった頃感じた不思議な感情が蘇ってきた。それはたまたま偶然父の書斎の傍らに積んであった太閣記を読んだ時であった。戦慄に似た感情が突然身体中沸き上がったのを今でも記憶している。何度も何度も太閣記を読み返しそれ以来戦国時代を舞台とする歴史小説を貪っていった。。三郎にとってそれは興味というものではなく、沸き上がってくる説明のつかない発作のようなものであった。東京の大学では文学部に入ったが、ろくに授業も出ず史跡巡りに没頭したのだった。父が語る言葉に今まで不思議な感情に捕らわれていた心が解き放たれていく思いであった。
亡き父が語ったサイゴノイクサ、セキガハラその言葉の意味するものが自らの前世におけるクライマックスであり、最後の瞬間であることも感じた。「天下分け目の大いくさに徳川軍として赤鎧を纏って石田三成率いる西軍と戦って敢えなく討ち死にしたんやな。」 三郎はそう親父に尋ねた。目を閉じ天井を向いたままの弟の口から父は応えた。「チガウ、オマエハセキガハラデ ヨクハタライタ。イエヤスヒキイルトウグンハカッタ。オマエハ イキテイタ。シカシ」三郎は戦国絵巻の舞台にいる自らを思い描き父の言葉に耳を傾けた。夏の夜の暑さも忘れその語りに引き寄せられていく己れを強く感じていた。
「シカシ、オマエハ オオクノケライヒキツレ ハイソウスル ミツナリヲ オッタ。ヤマヘ ムカッタ。 カチイクサニ ノッテ ミツナリ ウチトル ツモリダッタ。ヨモフケ ケライトトモニ ハヤシノナカノ ヒロイ トコロ デ ジンヲ ヤスメタ。 カチイクサデユダンシテシマッタ。 マワリハ ハヤシノナカデ ヤヲ カマエタ ミツナリノ ザントウニ トリカコマレテイタ。オマエハキズカナカッタ。 イッセイニ ヤヲウチコマレオマエモ ブカモ ミナゴロシニナッタ。ヨクジツ トクガワ ホンタイガ キテ オマエハ テアツク ホウムラレタ。ミツナリノ ザントウハ ゼンメツシタ。」三郎は最後の凄まじい場景が目に浮かんできた。そして現代の自らの生きざまに重なるものを感じていた。東京でのサラリーマン生活。出世街道まっしぐらに登っていくが幾度となく落し穴に落ちて転職を重ねる己れの姿。慢心がそうさせていた。反省して新たな職につくが長続きはしなかった。前世での出来事に思いを巡らしながら我が身の至らなさを痛感するのだった。
「アノトキ、ミツナリサエオワナケレバ」弟の溜め息が聞こえた。父の溜め息だった。「カグラガナッテイル。ワシハイク。カワ ワタッテイク。オマエタチトモ サヨナラダ」「そうか、親父も達者でいてくれ。お袋は心配ない。」三郎は煙草をもみ消しながらそう応えた。弟の両手を置いた腹がすうっとしぼみ、それまでずっと閉じていた弟の目蓋が開いた。弟はきょとんとした様子で豆電球で照らされた天井をしばらく眺め三郎に呟いた。「親父来たか?」「ああ!今、帰った。」三郎は短くそう応えた。「良かったな。」弟は上半身を布団から起こし、肩が痛いのかしきりに右肩を揉んでまた布団に横たわり、眠りについた。三郎も残った酒を一口流し込み、弟の横で眠りに就いた。虫たちの鳴き声と窓からの涼しい夜風が兄弟を深い眠りに誘っていった。
翌朝、蝉の音が一際激しさをます中、暑さで三郎は目を覚ました。上半身裸で向こうを向いたまま寝ている弟を横に床を離れた。一階の居間で朝食を済ませた。母が用意した二人分の焼き魚と目玉焼きそれに刻んだキャベツが添えられていた。時刻は八時を回り母親は庭先で麦わら帽子にモンペ姿で腰を屈め草むしりをしていた。朝食を食べ終わった頃、二階からゆっくり降りて来る弟の足音が聞こえた。顔を洗っている様子であった。三郎は居間を離れ縁側にある古びたイスに腰掛け、草むしりを終えた母親が井戸水をたらいに溜めそこに夏野菜を浮かべている姿を眺めながら茶をすすっていた。「あんちゃん、昨日はよう眠れたや?」箸を持ってぎこちなく座敷の居間に座ろうとする弟が声をかけて来た。「よう眠れたわ。親父と話も出来良かった。」三郎は縁側で茶をすすりながら応えた。「お前は覚えておらんのか?お前の口から親父がしゃべってきたがな?」三郎は怪訝そうに弟に尋ね返した。弟は箸を動かしながら「覚えておらんぞ。ただやたら肩が凝って痛かった。ただ来ているとはわかっとったがな。」弟はゆっくりと味噌汁をすすりながらそう応えた。
三郎は床の間の仏壇に目を向け昨夜父親との会話を思い返し、自分が前世では何者であったか。そして今世での生きざまが続いていることを感じていた。
線香を上げ手を合わせ見送る老いた母親に挨拶した後、弟の車に乗った。青空の下、眩しい太陽と割れんばかりの蝉の中、車は山道を下って行った。三郎は昨夜の亡き父親の魂が弟の口を通して語りかけてきた事を語った。「前世では欲かいたな。深追いが命取りになったな。」弟は苦笑いを浮かべそう言った。「今世も似た感じや」三郎は溜め息混じり応えた。熱が入ると回りが見えなくなる性分は生まれつきのものでそう変わるものではなかった。来る時に降り立った田舎駅でまた正月でもと言い残し弟と別れ三両編成のローカル列車に乗り小倉へと向かった。外には田んぼが広がり、日差しを浴びた青々とした稲が風になびく中、列車はゆっくり進んで行った。再び帰省客でごった返す小倉駅にたどり着き、東京行き新幹線がベルが鳴り響く中滑るようにホームへ入ってきた。三郎は窓側に腰掛け発車を待った。ベルの音が再び鳴り響く中、列車は音もなくゆっくりと動き出し、徐々に加速して行った。外の過ぎ去って行く景色を眺めながら慎重に今の人生を送るよう亡き父は告げにきたのかと思った。また天下分け目の大いくさが脳裏をかすめ本当に自分はあの大いくさに出たのかとまだ信じられない思いであった。三郎が物思いにふける中、列車は風の如く関ヶ原を通過して行ったのだった。




