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脱出 1

 麻奈とジュリアンが鏡から出て来ると、螺旋階段にはビシャードの姿は無かった。何となくふたりは顏を合わせ、照れくさくなり麻奈の方が先に視線を逸らせた。


 麻奈の口づけを受けた後、ジュリアンは麻奈の顔を正面から見ながら「ありがとう」と言って笑顔を見せた。それは憑き物が落ちたような柔らかい顔だった。


 その後、あっさりとまた鏡を潜って廃校へと戻ってくることが出来たということは、ジュリアンの中でのトラウマが解消されたということなのだろう。麻奈はいよいよ、あともう一息でこの奇妙な空間ともさよならが出来るという期待に胸を膨らませた。あとは、あの双子がどういう結論を出したのか。


 その時、一階の方から怒声のような興奮した様子の声が上がった。麻奈とジュリアンは顔を見合わせた後、直ぐに階段の踊り場から階下へと走りだした。


 麻奈が心配した通り、ガタガタと激しい音を立てて扉が揺れているのは木工室の札がかけられている教室だった。廊下には誰もいない。これだけの騒ぎが起これば、誰かが駆けつけていても良さそうなのにと麻奈は首を捻った。鏡の前で待機していたはずビシャードがどこにもいなかった事も気に掛かる。


 ジュリアンと四苦八苦しながら揺れている扉を開くと、そこから緑色の何かが勢いよく飛び出してきた。それが麻奈に触れる前に、ジュリアンが麻奈の腰に手を巻き付けて横に飛び退いた。扉から溢れだすように飛び出してきたのは、ガルドの蔦植物だった。


 まるで氾濫する川の水のように奔流するそれは、激しい意志を持って廊下へと広がる。その中の数本が麻奈たちを求めるように絡みつこうと近づいてきた。


「何これ? どうしてこんなことになったの?」


 麻奈は必死でそれを避けながら、木工室の中の様子を探ろうとした。しかし、中は暗く荒れ狂う蔦が邪魔してガルドの姿は見えない。きっと、ビシャードも何かしらの異変が起きたことに気が付いて、鏡の前を離れたのだろう。


「何なんだ。他の奴らやリーズはどこにいったんだ!」


「私ならここにいるよ」


 そう言ってふたりの前に姿を現したリーズは、なぜか空中に浮いていた。いつもの彼女は飄々とした態度を取っていたのに、今のリーズは細い肩を落として悲しげに眉を歪めている。


「ガルドはどうしちゃったの? ふたりで今後どうするかを話し合ってたんじゃなかったの?」


「ごめんね麻奈。話はやっぱり平行線だったの――あの子は私を置いて行くことを認めなかったし、私もあの子が残ることを許さなかった」


「その結果、彼は実力行使に出たわけか?」


 ジュリアンが足に這い上がってくる蔦を払いのけながらそう尋ねた。リーズは悲しそうに頷いた。


「本当にごめん。それだけじゃなくて、ガルドは貴方たちも此処から出さない気なの」


「どうして?」


「私はもう、バクにこれ以上の食事を取らせる気はないの。皆が此処から出られたら、そのままずっと口を開かせないつもりだから」


「断食させようとしてるの? でも、それじゃあリーズまで死んじゃうんじゃ……」


 麻奈は走りながら空中に漂う少女を見上げた。


「そうよ。本当はバクと同化した時からそうしようと思ってた。でも、その後すぐにガルドが来ちゃったから、ずっとその計画も先延ばしにしていたのよ」


「そんなことが出来るの? バクは嫌がるんじゃない?」


「バクが嫌がったって関係ない。私には出来る。だって私には恐怖心が無いからね。でも、それを言ったらガルドがキレちゃって。バクと私が飢えないように此処から誰も出さないって言いだして――」


「それはそうでしょう。私がガルドだってそうするよ。ねぇ、本当にリーズが此処から出る方法はないの?」


「……ないわ。大体、あるんだったらとっくの昔にそう言ってるわよ、馬鹿」


 相変わらずの口の悪さに麻奈はムッとして口を閉じた。しかし、彼女は悲しんでいるのだ。それは弟がいる麻奈にも理解出来る。


「もうあの子を説得するのは無理なのかもしれない。こんな所から早く出て欲しかったのに……」


 リーズはますます肩を落として項垂れた。そんな彼女の様子に気を取られ、麻奈は両足にガルドの蔦が絡んでいるのに気が付かなかった。ジュリアンがそれに気づいて手を伸ばしたが間に合わず、麻奈の体はあっという間に木工室へと引きずり込まれてしまった。


 暗い室内に人影だけが見える。目が慣れるのに少し時間がかかったが、麻奈にはそれがガルドに見えなかった。自分と同じ背丈だったはずの彼にしては、随分高い所に頭がある。あれでは天井に触れてしまいそうだ。おまけに、まるで蜘蛛の巣のように部屋中に蔦が張り巡らされているので、まるで彼の巣に引き込まれてしまったような圧迫感を感じる。


 麻奈は立ち上がろうとして、床に手を付いた。しかし、ガルドに掴まれた足が高く上がり、一気に逆さまに吊られた。


「何するのよ! 苦しい、下ろしてよ」


 頭に血が集まる苦しさを訴え、麻奈は逆さまになったガルドを睨んだ。しかし、その顏は影になっていて見えない。


「悪いけど離さない。リーズから話を聞いたでしょ? あいつ死ぬつもりなんだよ。それもこんな所でたった独りで――そんなのってないと思わない? どうせ助けられないのなら、せめて……」


 ガルドは高く麻奈を持ち上げる。高く高く、天井に届きそうなほど。ようやく麻奈はガルドと目があった。


「せめて、リーズが寂しくないように此処を賑やかにしてやりたいじゃないか。そうだよ! 意外と皆で楽しくやれるかもしれないだろう。だから、麻奈も此処に残ってくれよ」


 ガルドは笑っていた。長く伸びた植物の下半身を蛇のようにくねらせて。


「絶対に出さない。全員ここに残ればいいんだよ。此処にいれば死ぬことも無い、年も取らない。不老不死だ!」


 麻奈はぼぅっとする頭を振って拒絶の意を表すが、ガルドはそんなことは目に入らないらしい。うっとりとした顔で空中を見て、独り言を呟いている。麻奈は震えた。完全に常軌を逸している。


 そんな彼が、「ぎゃ!」という悲鳴を上げて急に麻奈を床に放り捨てた。麻奈は背中から落下して、息が詰まった。


「麻奈、大丈夫か?」


 ジュリアンの声がした。痛みに耐えながら顔を上げると、彼が手に光る細長い物を持ちながら教室に入って来た。彼は絡み付こうとするガルドの蔦を光る棒で切断しながら、麻奈の側までやって来た。葉や蔦を切られるたびに小さく悲鳴を上げるガルドだったが、ジュリアンは躊躇わない。


「お前がこんな風になるとは残念だ。だけど、私たちは此処から出るよ。麻奈はお前も連れて行きたかったみたいだけど、どうやらそれも無理そうだな」


「なんだよジュリアン、元の姿に戻っちゃったのかぁ。残念だよ、小さい方が可愛げがあってまだマシだったのにね。悪いけど誰も此処から出さないよ。俺がそう決めたんだからさ」


 ガルドがくすくすと笑うと、更におびただしい数の植物が床を突き破って現れた。それらは一本一本は華奢で脆いが、捻じれるように寄り集まると太く強度を増していく。


 ジュリアンが焦った顔で舌打ちをするのが聞こえた。麻奈は波打つような床から何とか起き上ると、ジュリアンに縋り付いた。もうこの少年を説得することは不可能だと感じた。麻奈の不安を感じ取ったのか、ジュリアンは強くその肩に手を置いた。


「私が合図したら、扉まで走って」


 麻奈にしか聞こえないように小さな声で囁くジュリアンだが、ガルドはそれを鼻で笑った。


「聞こえてるよ。この部屋にいくつ俺の耳があると思ってるんだよ」


 肩の上に置かれたままのジュリアンの手が、緊張したように強張った。


「俺ね、この姿が嫌いだったよ。意味わかんない、気持ち悪いにもほどがあるってずっと思ってた。でも、ようやく分かったんだ」


ガルドは自分の蔦の一本を手に取った。


「俺はリーズを独りにしたことをずっと後悔してた。此処に来た時だって、二度と離れるもんかって考えてた。だから、俺は植物だったんだよ。此処に、つまりはリーズに根を張って、無意識に離れないようにしてたんだ」


 ガルドは嬉しそうだった。仕方ないという顔をしながら、彼の口元は緩んでいる。


「狂ってる……」


 ジュリアンが小さく呟いた。麻奈も口には出せないが、同じことを考えていた。リーズが悲しそうに、説得するのは無理だと言った訳がようやく分かった。もう、一刻も早くこの教室から出て行きたかった。


 ジュリアンと目が合い、無言で頷き合った。ふたりが走りだしたのは、ほとんど同じタイミングだった。足もとをうねる植物を踏みつけ、麻奈とジュリアンは全力で扉へと走った。ガルドの蔦がふたりの逃げ道を阻んだが、麻奈はそれを夢中で振り払った。絡み付く葉を手で破き、茎を足で引きちぎる。


 痛みを感じると言った通り、麻奈が植物を傷つける度にガルドは呻く。後ろ暗い罪悪感を感じながら、それでも麻奈はがむしゃらに走った。


「麻奈が泣くことないじゃない。仕方ないんだ」


 ジュリアンが麻奈の手を掴んだ。麻奈は苦しい息を吐きながら頷いた。ふたりはそのまま走り続けた。木工室から飛び出しても、ガルドはしつこくふたりの後を追いかけてくる。動きはそれほど早くはないが、行く先々の窓や天井からいつの間にか近づいてくる蛇のような植物は酷く不気味だった。


「皆はどこにいったんだろう? やっぱりガルドが何かしてるのかな?」


「さぁ。それより、リーズはどうしたんだ。弟がああなったから、私たちを此処から出してくれる約束もご破算にしたのか!」


 麻奈も不安しか感じなかった。あと少しで手が届きそうになっていただけに、頼みの綱を急に切られたのは辛い。


「どうしようジュリアン。もう、何をしたらいいのか分からないよ」


「落ち着け。まずはリーズを探そう。他の連中の事も気になるが、彼女に指示を仰がなけりゃ何もはじまらないんだろう?」


「バクの口を開けられるのはリーズちゃんだけなの。でも、今も助けてくれるつもりなのかな……」


 麻奈は廊下の壁に手を付いた。走り疲れてもう足も体もくたくただ。火照った体に冷たい壁の感触が気持ちがいい。その壁の奥から何かがせり上がって来るのを感じて、麻奈は思わず手を離した。


 突然壁に丸みを帯びた凹凸が現れ、それが少女の形になるのを麻奈は口を開けて見ていた。現実離れした登場の仕方は、麻痺した麻奈の頭では理解の範疇を超えていた。気持ちが悪いという感情すら驚きすぎて湧いてこない。


「大丈夫、まだ助けてあげようと思ってるよ。約束は守るわ」


「リーズ、泣いてるの?」 


 眉を吊り上げて目を擦っているリーズに麻奈は訊ねた。不機嫌そうに噛みしめている唇は、白く変色して跡が付いている。


「泣いてないわよ。あんな馬鹿のことで泣くわけないでしょ!」


 そう言うリーズの目は、ごまかしようがないほど赤くなっている。


「悪いが、あの状態のガルドを元に戻せるとはとても思えない。鏡に連れて行くことする出来ないぞ」


「分かってる。あそこまで思いつめてしまったら、もう力ずくで引っこ抜くことも出来ない。だから、あの子は置いて行って」


「でも、それじゃ貴方たちふたりとも此処に残ることになっちゃうよ!」


「いいの、仕方がないのよ。あの子は他の人たちにも危害を加えてる。このままじゃ本当に此処から誰も出ることが出来なくなっちゃうわ」


 そう言ってリーズは鼻をすすった。年相応のその仕草に、麻奈の目頭も熱くなる。


「此処から出るにはどうしたらいいんだ?」


「鏡を割って」


「何だって!」


 ジュリアンが大きな声を出した。これには麻奈も驚いた。螺旋階段の大鏡が唯一の出口だと思っていたのだ。


「勘違いしないで。螺旋階段の鏡は絶対に割っちゃ駄目。それ以外の鏡を割って欲しいって言ってるの。鏡がたくさんあると世界の出入り口がぶれて、折角バクの口を開けても元の世界に繋がりにくくなっちゃうの。鏡はね、多少なりとも他の世界に繋がっているんだよ。つまり出入り口ってわけ。吸い込み口は狭ければ狭いほど勢いが良くなるのよ」


 リーズの説明を聞きながら、まるで掃除機のようだと麻奈は何となく思った。


「でも、鏡を割っても一定時間経つと元に戻っちゃうんでしょ?」


 全ての鏡を割る。麻奈には、それはとても難しいことに思えた。リーズは神妙に頷く。


「そう。だからみんなで手分けして割ってきてちょうだい。ちょうど上手い具合に各フロアにみんな散らばっているから、私がユエたちにも今の話を伝えてあげる」


 そう言うと、リーズはまた壁に溶けるように姿を消した。麻奈とジュリアンはそれを見送った後、直ぐに行動を開始した。


 素手で鏡を割るのは危険だ。麻奈はまず手近にあった教室に飛び込み、箒を手にした。武器としては締まらないが、これで十分目的を果たせるはずだ。隣のジュリアンを見ると、彼は右のポケットから短い棒を取り出した。ボタンを押すと警棒のように先が何段階にも伸びる仕掛けらしい。違うのは、伸びた部分が光っていることだろうか。


「そういえば、さっきもジュリアンそれを持ってたね。それは一体何?」


「あぁ、いつも護身用に持ち歩いてるんだ。この先の部分がレーザーになっていて、生身の人間に使うとかなりの殺傷力が発揮できる。これは改造して出力を上げてるから、その気になれば人の胴体ぐらい焼切ることも可能だ」


 なんでもない顔で説明をするジュリアンが、恐ろしい危険人物に思えてきた。麻奈は途中から説明を完全スルーして、ただ機械のように頷いていた。


「それじゃあ行こうか。私が先に行くから、麻奈はその後を付いて来てくれ。ガルドの蔦に気を付けて」


 麻奈は光る棒を振りかざすジュリアンから少し離れながら、神妙な顔で頷いた。

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