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求めていた答え 2

 ガルドは声もなく涙を流していた。大分腫れぼったくなった瞼を擦り、彼は小さく鼻をすすった。その仕草は妙に幼く見える。


「悪かったな、どうせ俺はいつだって余計なことしかしねぇよ。姉ちゃんは皆の犠牲になってそれで満足かもしれないけど、残される方だって辛いんだよ。しまいには俺のほうがどんどん年取っていくし、これじゃあ俺が姉ちゃんを置き去りにしている気分だ」


 ガルドは麻奈たちへと向き直った。もう彼の涙は乾いていた。


「誰かリーズ連れて鏡の中に入ってくれないか? こいつ元に戻して、絶対連れて帰りたいんだ」


 麻奈たちが口を開く前にリーズが首を振った。フワフワの髪が遠心力で空中に広がる。


「それは不可能なんだよ。私はバクそのものになったの。自分の腹の中にある、世界を繋ぐ出入り口にはどうやったって絶対に入れない。だから、私はもう――本当に此処から出られないんだよ」


 リーズは小さな桜色の唇を噛みしめる。握りこんだ小さな拳がフルフルと震えているのはきっと悲しみだけではないのだろう。危険な場所まで自分を連れ戻しに来てくれた弟を追い返さなければならない。それがどれほど嬉しく、同時にどれほど絶望的な気持ちだろう。この小さな少女はそれらを全て押し殺し、平気な顔をして小首をかしげている。


「だから、鏡に連れて行くならガルドをお願い。この子はまだ元の姿に戻れるんだから、誰か一緒に付いて行ってくれる? 引っこ抜くときに少し衝撃があるかもしれないけど、植物ならすぐに死んだりしないと思うわ」


 彼女のお願いに、チラリと視線を交わしたユエとサルーンが無言で動いた。ガルドの両脇にそれぞれ陣取り、彼の脇の下に手を入れる。しかし、ガルドは途端に暴れ出した。


「やめろ、触るな! 俺は行かないからな。姉ちゃんと一緒じゃなきゃ絶対にここを動かない!」


 顔を真っ赤にして暴れるガルドは小さな子どものようだ。例えるなら、まるで注射を嫌がる駄々っ子のような抵抗ぶりだ。


「触んなって。リーズも一緒じゃなきゃ意味ない! なんのために俺が此処まで来たのか分からないだろ!」


「ねぇガルド、こんな時に我儘言わないで。そのままの姿で鏡を通り抜けようとしたって、巻きついているバクの舌に絡み取られてまた此処に連れ戻されちゃうの。それを引きはがすには、元の姿にもどらなくちゃ駄目なのよ。折角私が此処から出してあげようとしてるんだから、大人しく言うことを聞きなさい。見て――」


 リーズは窓に近づいて空を指差した。その細い指の先には青白い月が浮かんでいる。麻奈は声を上げた。以前サルーンと共に見た時とは形が違っている。


 空の高い所に浮かぶ月は、今は潰れたような三日月になっていた。以前は真ん丸だったのになぜ? 麻奈は混乱してリーズを見た。彼女は麻奈の動揺を心得ているように小さく頷く。


「あれは月なんかじゃない。あれはね――バクの目なのよ。腹の中の餌が不穏な動きをしないように見張るための目なの。でも見て、細くなってほとんど閉じかけているでしょ。バクが眠り始めているの。ここしばらくバクは満腹だったから、眠くて仕方がないのよ。良くあるでしょ? お腹いっぱい食べると眠くなっちゃうっていうこと。今の内なら私が此処から出してあげられる。私はバクの一部だけど、私という意識は完全に切り離されているから、バクの寝ている間に口を開くことも出来る」


 誰もが息を飲んだ。此処から出られる。その具体的な方法と有力な協力者が現れたのだ。


「だからお願いガルド、鏡に行ってきて。今なら皆が元の姿に戻る手伝いをしてくれるわ」


「嫌だ」


「どうして!」


「また姉ちゃんを犠牲にして逃げられるかよ!」


 ふたりの話は平行線だ。どちらも折れない。折れたら最後、大事な双子の片割れが不幸になるのだ。麻奈はそれを思うと胸が苦しくなった。


「あの、ね……少しガルドも考える時間が欲しいんじゃないかな? リーズちゃんも、もしかしたら鏡を通ることが出来る方法があるかもしれない。もっとお互い良く考えよう」


「でも、もたもたしてたらバクが目を覚ますかもしれない」


「そうだとしても、今のままじゃガルドは納得しない。それじゃあ堂々巡りだよ」


「くそ、じゃあどうすりゃいいんだよ。俺が問答無用で引っこ抜けば決心がつくか?」


 ユエがまるでバックドロップでもするようにガルドの胴にぐるりと腕を巻きつけた。慌てたガルドは悲鳴を上げる。麻奈は慌ててユエの裾を掴んで止めた。


「駄目だよユエ、それじゃいくらなんでも乱暴すぎ! ちょっと二人で話し合う時間をあげよう。それでふたりが納得いく結論を出してもらうの」


「話し合って結論出るのかよ?」


「他人の私たちが決めるよりいいでしょ。ガルドもリーズちゃんも、そうしてみない? せっかく久しぶりに会ったんだから、落ち着いて話をしてみたら?」


 提案する麻奈とお互いを順繰りに見て、双子は同時にため息を吐いた。仕方がないなと言わんばかりにふたりの肩から力が抜けた。


「分かった。自分たちのことは自分たちで決める。あんたら邪魔だから、どっかそこらへん散歩でもしててよ。もしかしたら此処の景色も見納めになるかもしれないからね。嬉しいだろ?」


「そうね。私がガルドを説得してる間に、皆はちょっとその辺りを見てきたら? 勿論忘れてなんかいないだろうけど、ジュリアンがまだ隠れたままなんだからさ。彼も一応仲間なんでしょ?」


 麻奈以外の者が顔を顰めた。あの温厚なサルーンでさえちょっと嫌そうな顔をしていたのが、麻奈にはショックだった。


 かくして、リーズの言う通り双子たちの会議の間に、消えてしまったジュリアンを探すこととなった。麻奈は勇んで歩きだし、それ以外は何となく重い足取りで木工室を出た。


「余は探したくはない」


「そうは言っても、彼をこのまま放ってはおく訳にはいかないだろう」


「俺はどっちでもいい。適当にぶらついて、見つけたら引きずって来てやるよ」


「私も探します。みんなそれぞれ分かれて探しましょう」


「余は嫌だ」


 麻奈は口をへの字に曲げて腕組みをするビシャードを見上げた。そんなに頑なに拒まれたら捜索に加わってくれとは頼みづらい。


「じゃあ、陛下はどこか落ち着けるところで待っていて下さい。少ししてから、またこの廊下で合流しましょう」


「何を言っているんだ。余はミナカミに付いて行くぞ」


「でも今、探したくないって――」


「当たり前だ。余は死神を探しに行くのではなく、ミナカミを独りにするのが心配だから後を付いて行くだけだ」


 しれっとした様子でそっぽを向くビシャード。きっとこれは彼なりの照れ隠しなのだろう。それなら初めから手伝ってやると言えばいいのに……。麻奈は苦笑した。


「それじゃ、行きましょう。もしジュリアンを見つけたら、どんなことをしてでもここに連れてきてください!」


 麻奈が冗談半分に言った言葉に、それぞれが頷いた。誰もジョークだと思っていないところが恐ろしくも頼もしい。


 思い思いの方向へ散って行くユエとサルーンの背中を見送った後、麻奈は彼らとは違う方へと歩き出した。ビシャードは何も言わずに後ろをそっとついてくる。ジュリアンが潜んでいそうな場所に心当たりは全くないので、麻奈とビシャードは当てもなく進んだ。


「私、初めてジュリアンに会った時に彼の事を何て胡散臭い人だろうと思ったんですよ」


 沈黙を破って麻奈はポツリと呟いた。無言で顔をこちらに向けるビシャードにというよりも、自分に聞かせるように麻奈は話し続けた。


「その悪い第一印象をずっと持ち続けていれば良かったんですね。拉致同然に此処に連れて来た張本人なのに、優しい言葉にコロッと騙されて、ジュリアンの事を味方だと思って心の支えにして……」


「後悔しているのか?」


「少し、してるかもしれません。でも、自分が馬鹿だったことはどうしようもないし、後悔したところで過去は変えられません。いっそのこと忘れちゃえば楽になれるけど、それじゃあ自分を偽っているだけなんですよね……」


「ミナカミが言うと一際説得力があるな」


 麻奈はちょっと笑った。


「だから……自分で選んだこの選択に最後まで責任を取りたいんです」


「選択?」


 麻奈は一度深呼吸をして、ビシャードを振り返った。


「私ジュリアンが好きです。ジュリアンを見ると苦しくて許せなくて、でもどうしても放っておけない気持ちになるんです」


「――どうして余にそんなことを?」


「鏡の中に入る前の会話を覚えていますか? 私は息が出来なくて死にそうになっていたけど、リーズちゃんたちとの話は全部聞こえていました。陛下はこんな私に純粋な好意を向けてくれて……こんなこと初めてだったから、本当にすごく嬉しかったんです。今までずっといい事なくて、家族にさえも疎んじられていたのに――そのままの私を肯定してくれた」


 麻奈はこみ上げる涙を抑えきれなかった。


「だから、ちゃんと私の気持ち、言わなくちゃいけないと思って……」


 麻奈の声にしゃくりあげるものが混じった。


「ごめんなさい。私は陛下の気持ちには応えられないんです。ビシャード陛下のおかげでこんなに気持ちが救われたのに――いくら感謝してもしたりないのに、いつまでも馬鹿みたいにジュリアンの事を想ってしまうんです。……ごめんなさい。こんなことしか言えなくて本当にごめんなさい」


 ビシャードはゆっくりと麻奈に近づいた。彼は悲しむことも怒ることもせずに、微かに微笑みを浮かべながら麻奈を見ていた。


「謝らなくてもいいんだ。私は多分、ミナカミに貰ったものを少しずつ返していきたいだけなんだから」


「私、陛下に差し上げられるような物なんて、何にも持っていませんよ?」


「確かに貰ったんだよ。おぞましい姿になった余を元の姿に戻してくれた。何より、ミナカミが余の手からナイフをもぎ取り、余を生かそうと奮闘してくれた時に、一生かかっても返せないようなものを貰ったんだ」


ビシャードは更に前に出る。


「好きだよ。ミナカミが余の気持ちに応えてくれなくても構わない。ミナカミが元気で笑ってさえいてくれれば、それでいいんだ」


「どうして、そんなに……」


 想ってくれるんですか?


「あの時ミナカミが惜しんでくれたから、余は命を絶つことを思い留まった。救われた命で何がしたいかと考え、余はミナカミを見ていたいと思ったんだ。ミナカミが笑う姿や、楽しそうにしているのをずっと側で見ていたい。その為にもう少し生きながらえようと思った――だからそんな風に泣くな」


 ビシャードの冷たい指先が麻奈の頬に触れた。高い位置にある彼の顔がゆっくりと近づき、麻奈の額の髪をかき分けた所に唇が押し付けられた。びっくりした麻奈はしゃっくりのような声を上げ、ビシャードを見上げた。


「ようやく涙が止まったな。難しく考えなくていい。慕う女に何かしてあげたいと思うのは当然のことなのだから。それに対して有難いと思ってくれたなら、笑ってくれれば良いんだ。それだけで余は満足だよ」


 柔らかな声、柔らかな笑みを浮べ、ビシャードはもう一度麻奈の額を掠めていった。


「……ありがとうございます」


 ごめんなさいという言葉は喉の奥に飲み込んで、麻奈は涙で濡れた顔に精一杯の笑顔を浮かべた。

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