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求めていた答え 1

「おかえりなさい」


 廃校の踊り場へ戻ったふたりは、まず少女の明るい声に出迎えられた。


「きちんと元の姿に戻れたんだね。やっぱり麻奈は図太い神経をしてるわ」


「リーズちゃんこそ、ちゃんと消えずに待っていてくれたんだね」


 麻奈は自分の鳩尾までの背丈しかない少女に微笑んだ。彼女の足には毒々しい色の蔦がぐるりと巻きつき、離すまいと奮闘している。しっかりしがみ付いて離れないリーズガルドが微笑ましい。


「帰ってくるまでちゃんと待ってるって約束したからね。でもここで話すのもなんだし、ガルドがイライラしているからコイツの部屋に行こうか?」


 足に絡まる蔦を優しく撫で、リーズは先頭に立って階段を降り始めた。誰もが彼女に大人しく付いて行く。ようやくこの不可思議な場所の説明をしてくれる人物が現れたのだ、誰がそれに異を唱えられるだろう。


 先頭を歩く少女に付いて行く麻奈の頭に、何かがポンと乗せられた。


「無事に帰ってこられて良かった。心配していたんだ」


 太陽のようにぽかぽかと暖かなそれは、サルーンの大きな手だった。彼はそのまま麻奈の頭をかきまわすように撫でた。


「外からの声は届かないようだったから、見ているこちらはずっとヤキモキしていたんだ」

 

 皆に一部始終を見られていたことに麻奈はいくらかの恥ずかしさを感じた。しかし、またこうして無事に帰って来られた嬉しさの方が何倍も強い。


「しかし、お前は見かけによらず肝が太いな。こいつが頷いたら一緒に死んでやるつもりだったのか?」


 遅れて階段を降りてくるユエが、意外そうな顔でしげしげとビシャードを見ていた。


「勿論そのつもりだった。案外、それも悪くないと思うぞ」


「また甘やかしやがって……。俺ならひっぱたいてそんな気も起きなくさせてやるのに」


 一緒に鏡の中へと行ってくれたのがビシャードで本当に良かった。こっそりとそう思ったのは麻奈だけの秘密だ。隣を歩く薄い胸板の青年を見上げると、ビシャードは相変わらず優しい眼差しで自分を見ていた。途端、一緒に逝ってくれると告げた彼の言葉が頭によみがえった。


 その熱っぽくも優しい言葉に一度は心が揺れた。その方が幸せなのかもしれないと本気で考えた。しかし、ビシャードの優しさはユエの言う通り甘やかす優しさだ。それに寄りかかってしまえば、ビシャードもろとも倒れてしまうだろう。


 甘えちゃ駄目だ。寄りかからずに自分の足で立たなくちゃ。麻奈はそう心に決めた。


「さあ、とりあえず中に入って。話はそれからにしましょう」


 リーズが木工室の扉を開けて麻奈たちを手招いていた。床一杯に広がる植物を踏まないように恐る恐る足を踏み入れた麻奈だったが、入ってすぐにその必要がない事に気が付いた。


 床を覆うほど重なり合っていた葉は部屋の隅に集まり、木工室に初めて人が入れるほどのスペースが生まれていた。


「みんなが入れるだけの場所は空けさせたから大丈夫だよ」


 リーズは部屋の主である少年の隣で手招きながら微笑む。リーズガルドは唇を噛みしめながら彼女を睨んでいた。何か言いたげな顔をしているが彼は何も言わず、その代わりとでもいうように彼の無数の葉が蠢き、部屋の中が激しく波打っている。


 怒っている。リーズガルドを見て麻奈はそう思った。


 小さな少女を穴があくほど見つめるその目は、嬉しさを通り越えて憎しみすら抱いているように見えた。あんなに会いたがっていた少女が、何の感慨もなくあっさり目の前に現れたことが気に入らないのだろうか。


「さてと、まずどこから話そうかなぁ……」


 少年のそんな様子に少しだけ苦笑してから、リーズは近くで揺れている毒々しい色の葉っぱをそっと握りしめた。それを見つめる少女の眼差しは、優しくて少しだけ困っていた。


「まどろっこしいこと言わずに結論から言えよ。お前は誰で、此処はどこだ」


 とっくに痺れを切らしているユエが不機嫌全開で少女に噛みついた。大人気ないと思いながらも、麻奈もそれが一番知りたかったことなので黙って頷いた。


「結論ねぇ。良いけど、皆きちんと理解できるのかなぁ」


 少しだけ小馬鹿にしたような笑みを浮かべる少女に、麻奈の背後からバリリと歯切り聞こえ始めた。張りつめる緊張感の中、少女は面白そうに笑って口を開く。


「じゃあリクエスト通り結論からね。――私はガルドの双子の姉で、此処はバクの腹の中よ」


「双子? それに腹の中だと?」 


 ユエはイライラしたように聞き返した。麻奈も不安に駆られてつい部屋の中を見回す。固い木目の床に、葉っぱの隙間から覗く薄汚れた天井。これが生き物の腹の中だとは到底思えない。


「なあに? 皆はバクを知らないの?」


 眉を寄せて怪訝な表情を浮かべている面々を見てリーズは可愛らしい目を丸くさせた。


「バクは人の魂を食べる妖怪よ。一番の好物は、不安や怒りや後悔を感じている魂。長い鼻で好みの魂の匂いを嗅ぎ分けてその人間を丸飲みするの。そうして、腹の中で擦り切れるまでしゃぶり尽くす」


「獏のことか……?」


 ユエは低く呟いた。麻奈はバクと言われても、白と黒の動物円で見たあの動物しか思い浮かべることが出来なかったが、ユエには何か心当たりがあるらしい。


「私の国ではバクが悪さをしないように、何年かに一度生贄を差し出すのよ。つまりは餌ね」


「もしかして、君は――」


 サルーンが気の毒そうな目で泥だらけの服の少女を見つめた。


「えぇ。私はそれに選ばれて、バクを祀る祠で生き埋めにされたの」


 少し困ったように自身の過去をリーズは語る。まるで恐れるそぶりも見せずに淡々と語る彼女は、どこか奇妙な笑みを浮かべている。その彼女の微かな笑みを見て、麻奈は背中に嫌な冷たさを感じた。どうして彼女はこんなに恐ろしいことを平然と話していられるのだろう。


「それで、リーズちゃんは死んじゃったの……?」


「嫌だなぁ、勝手に殺さないで。私はまだ死んでないよ」


「でも姿を消せるし、どこにだって現れるし……どう考えても幽霊でしょ?」


 その時、むっつりと口をへの字にして黙っていたリーズガルドが初めて口を開いた。


「お前、今まで一体どこに隠れていたんだよ――俺が決死の思いでバクの腹の中まで探しに来たっていうのに、どうして逃げ回るような真似したんだよ!」


「ごめんね」


「やっぱり麻奈の言った通り……姉ちゃんはもう死んでるのか?」


 自分の鳩尾までしかない少女に縋り付くようにして、リーズガルドが床に崩れ落ちた。その目には大粒の涙が浮かんでいる。


「ごめんね、ガルド。でもそうじゃないの。いっそ死んでいたほうがアンタを傷つけることもなかったんだろうけど。――私はね、バクの一部になってしまったの」


 リーズは今まで浮かべていた微かな笑みを消して、初めて泣き出しそうな顔をした。それは、まるで母親とはぐれてしまった幼女のような切羽詰まった寂しい顔だ。


「祠の入口を塞がれ、私はそこでバクに食べられた。痛みはなかったわ、皆だってそうだったでしょう? 腹の中には私独りだった。他にも生贄として捧げられた人たちがいるはずなのにね。私はすぐにおかしいと思ったわ。でも、良く考えたら不思議でもなんでもなかったの。皆孤独と恐怖に耐えかねて自ら命を絶っていた」


「この場所で死ぬことが出来るのか?」


 サルーンが不思議そうに訊ねる。


「即死ならね。時間が巻戻ることも出来ずに一瞬で死ねたら大成功」


「酷い話だ。余の国なら、生贄などどいう制度は廃止してやるのに」


「ありがとうビシャード。でも、きっと仕方がないことなのよ。餌を与えなければもっともっと大きな被害が出てしまうから。――私は独りで恐怖と孤独に耐えた。だって、私がここに居る間は少なくともバクの食欲を抑えておけるんだもん、意味のあることなんだって思って頑張れたんだよ。でもある時、突然限界がきたの。恐ろしさと孤独で気が狂いそうになってしまった」


 リーズは目を伏せた。悲しそうに大きな瞳が潤んでいる。


「此処から出ることは出来ないし、自殺も出来ない。私が死ねば、きっとまた新しい生贄が選ばれるから。もしかして次に選ばれるのはガルドかもしれない。そう考えたら怖くて死ねなかった。だから、私は――バクの一部になりたいと思ってしまったの。そうすればもう恐怖を感じなくて済むと思ったから。――そしてその通りに変わった。なりたいと思った姿に……」


 リーズは小さな手を皆の前に突き出した。白く、所々乾いた泥で汚れているそれが指先から霧のように細かな粒子に変わっていく。


「この姿は作り物なの。だからどこにでも現れるし消えることも出来る。此処は私の腹の中でもあるんだもん」


「じゃあ、今はもう辛くはないの?」


 麻奈が恐る恐るそう尋ねた。リーズは平然と笑っている。


「もう怖いと思う気持ちはないよ。でも不安はずっと消えない……罪悪感もね。それよりも、今は怒りの方が強いかな。こんなに私が頑張っていたのに、結局アンタまで此処にいるんじゃ意味がないのに。この馬鹿はどうして此処にわざわざ飛び込んで来たのかしらね!」


 後半の言葉は、少女の足元に潰れるようにして蹲っている少年に向けられていた。リーズガルドはまだ涙で濡れている目で少女をジロリと睨む。反論しようと彼が口を開いた途端、それよりも早くリーズの棘のある言葉が彼に降り注いだ。


「大体何なの、その変な名前。なんでアンタが私の名前までくっ付けてんのよ!」


「それは……姉ちゃんが初めから存在してなかったように周りの奴らが言うから。姉ちゃんに助けてもらったくせに、姉ちゃんの存在そのものを消そうとするから、俺頭にきて改名したんだ。姉ちゃんを無かったことになんかさせない、何度でも思い出させてやるって思って……」


「それなのに、結局アンタまでこんな所に来たんじゃ意味ないでしょ。私を探しに来たって言ってたけど、そんなこと頼んでないし、そんな必要なかったのがどうして分からないのよ! この馬鹿!」


 小さな少女が怒鳴った所で迫力はあまりない。しかしガルドには酷く堪えたらしく、唇を噛みしめて下を向いた。


 リーズはまだ興奮した様子で怒りのこもったため息を吐いた。しかし、そっぽを向いたその顔は眉が下がり、泣くのを必死で我慢しているように見える。険しい顔をして意地を張りあっている年の離れた双子を見ていると、麻奈も目頭が熱くなった。彼女が弟の前に姿を見せなかった理由が今やっと解けた。


 バクの一部になってしまったリーズはもう此処から出られないのだ。だからリーズはガルドの前に決して姿を見せず、彼が諦めて帰る方法を探すのをじっと待っていたのだ。真実を知ってしまえば、彼をがっかりさせることになるし、自分も此処に残ると言い出すかもしれないとリーズは考えたのだろう。


 麻奈は無性に彼女の頭を撫でたくなった。見た目が完全に逆転してしまっていても、やはり彼女はお姉ちゃんなのだ。

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