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麻奈の変化 2

 ほの暗い廊下を歩くサルーンは、廃校に戻って来てからずっと校内を歩き回っていた。目につく扉を片っ端から開いて中を調べて回る。単調な作業だが、サルーンは飽くことなくそれを繰り返していた。全ては、麻奈を探すためだ。


 ユエから自分を助ける為に囮となって走り去って行った少女の背中を求めて、もうどのくらい歩きまわったことだろう。


 あの時のことを思いだすたびに眉間が険しくなるのは、サルーンにとっては仕方がないことだった。


 守れなかった。それどころか、まだ大人になりきれていない少女に、いい大人の自分が守られた。


 あの時の自分を思うと、サルーンは今でも悔しくてやるせない気持ちになる。しかし、その中にほんの僅かだが甘い気持ちが潜んでいることにサルーンは気が付いていた。


 か弱くいつも怯えたような瞳をした少女。彼女を密と、庇護してやらなければならないような気持にさせられる。しかし、追い詰められた時に垣間見える芯の強さは、身震いするほどいじらしいと思った。


 年の離れた妹がいれば、きっとこんな気持ちになるのだろうか。心配で心配で、とてもじゃないが後を追わずにはいられない。親子まで年は離れてはいないし、そこまで自分は枯れてもいないはずだ。


 サルーンはそんなことを考えて苦笑した。実際に妹がいなくて良かった。こんな過干渉な兄貴は、間違いなく嫌われるだろう。


「もしも彼女に何かがあれば――俺はユエを許さない」


 サルーンは自分のテントの中にある装備を頭の中で確認した。その気になれば、ユエを一瞬で吹き飛ばせるほどの火器がこちらにはあるのだ。そんな物を使うような事態にだけはなっていないように祈りながら、サルーンは歩みを進めた。


 広い室内運動場を見て回り、一階にある部屋という部屋を端から順番に調べ、残す所あと一部屋という所でサルーンの足が止まった。中から生き物の気配するのだ。それも、とてもたくさんの気配が。


 サルーンは扉にかけていた手をそっと外し、息を殺して中の様子を窺った。ガサガサという小さな音が無数に聞こえる。申し訳程度についている小さなガラス窓から中を覗いて見たが、部屋は暗く何も見えない。


 サルーンは扉をほんの僅かだけ開けてみた。中にいるたくさんの生き物に気づかれないように、少しずつ少しずつ扉をスライドさせる。開いた隙間から、ムッとする青臭い空気が廊下へと流れてきた。湿気を含んでいるそれは、少しだけ暖かい。


 サルーンがそこへ顔を近づけたその時、扉から何かが飛び出してきた。それは目にも留まらぬ速さでサルーンの体に巻きつくと、驚異的な力で暗い部屋へと引きずり込んだ。


 驚いたサルーンは身を守るのが一瞬遅れた。踏ん張りのきかない足で抵抗したが、全身に巻きついてきた何かは、まるで獲物を逃すまいとする捕食者のようにサルーンを暗い内部へと引きずり込むのを止めない。


 サルーンは巻きつく細い何かに思いきり歯を立てて噛みついた。ささやかな抵抗だ。しかし、それは以外な効果をもたらした。


「痛って」


 甲高い声がして、体に巻きついていた何かが一瞬ひるんだ。その一瞬を逃さずに、サルーンは無数の細い何かを引っ張った。隻腕とはいえ、軍の訓練を受けていたサルーンは常人よりも遥かに力が強い。


「痛ってぇ! ちょっ、マジで止めて。俺引っこ抜けるから!」


 以外にも幼い悲鳴が聞こえ、サルーンは慌てて力を抑えた。まだ暗闇に慣れない目を凝らすと、うっすらと小さなシルエットが浮かび上がる。


「誰だ」


 子どもだからと言って警戒を解くわけにはいかない。敵意を見せたからには、相応の対処をしなければ危ないのは己の身なのだ。


 サルーンは紐状の何かを握りこんだまま。いつでも相手を引っ張れるように腰を落として身構える。


「酷ぇな、俺ここから引っこ抜かれたら多分死ぬと思うんだけど……」


 ぼやくような独り言を聞きながら、サルーンは何となく張りつめていた糸が自然と緩んでいくのを感じた。少年の声に悪意を感じないせいだろう。


「君は誰だ?」


 いくらか口調を和らげたサルーンの問いに答えるように、カーテンが開かれた。夕日の紅い光に浮かび上がる部屋を見て、サルーンは絶句した。部屋の中は見たこともないような毒々しい色の植物で埋め尽くされている。


「話したいことがあったんだよ。丁度あんたが通りかかったから、ちょっと来てもらっただけなのに……本当サルーンは容赦ないよなぁ」


「……すまなかった」


 少年の砕けた口調に毒気を抜かれたサルーンは、つい彼に謝ってしまった。


「どこかで会ったことがあったか?」


 自分の名前を当然のように呼んだ少年に、サルーンは首を傾げた。こんなにも印象的な人物に会ったら、そうそう忘れるはずがないのだが、サルーンには彼の名前が分からなかった。


「直接会うのは初めてなんじゃない。別によろしくする気もないから自己紹介なんてどうでもいいよ」


「どうして俺をここに?」


「だから、話があったんだよ。あぁもう! こんなことになるなんて、マジで最悪だ」


 何かを思い出したようにそう吐き捨ててから、少年はツンツンと逆立った髪を両手で乱暴に引っ掻き回した。怒りのためというよりも、その仕草はどうも混乱しているように見える。


「麻奈が使えなくなったんだよ。あいつはもう姿が変わり始めてる」


「何だって!」


「ユエを元に戻した後、麻奈はジュリアンと一緒に鏡に入ったんだよ。でも、ついさっきジュリアンを戻すことに失敗して鏡から放り出された。これで麻奈はもう鏡の中に入れなくなった……。くそ! 俺はどうなるんだよ。期待させておいて落とすなんて、マジで最低だ」


 頭を掻きむしる少年はいつの間にか鼻を啜っていた。悔しさのあまり涙が出たのだろう。少年は口の中でぶつぶつと文句を言いながら、乱暴に目元を擦っている。


「麻奈は今どこに?」


 少年には同情するが、サルーンは彼の話に出てきた麻奈の居場所の方が気になった。


「二階のあいつの部屋にいる。ねぇ……頼むよ。麻奈を元に戻してくれ。このままじゃ、俺だけ元の姿に戻れない!」


「分かった。俺に出来る限りのことをしよう」


 サルーンはまだ興奮しながら涙を流している少年と約束を交わして、蔦だらけの部屋を後にした。彼のことももちろん心配だったが、麻奈がそんなことになっていると聞いて、彼女の元に向かわずにはいられなかった。


 木工室と書かれた教室を出て、サルーンは一番近くにあった螺旋階段を駆け上がる。相変わらず陰鬱な場所で、空気までが冷たく感じるようだ。階段を上がりながら、サルーンはふと踊り場の大鏡の前で立ち止まった。つい鏡に映る自分の姿を眺めてしまう。


 片腕が欠けてしまった姿。それを見ても以前ほど罪悪感に苛まれないのは、麻奈のおかげだ。もう自分は大丈夫なのだと、心の奥で励ますように力強い声が聞こえた。


 ユゥジーンと共になくなってしまった腕の部分にそっと手を当て、サルーンはまた階段を上り始めた。その直後、今まで沈黙していた鏡が仄かに光りを放った。


 サルーンは驚いて踊り場を振り返ったが、鏡はもういつもの色あせた階段を反射するだけだった。一瞬の出来事だったが、サルーンは確かに淡い光を見た。彼の胸に、もしかしてという想いが湧き上がる。しかし、今はそれを考えている時ではない。


 サルーンは大鏡に再び背を向けて、今度こそ麻奈の部屋へと急いだ。その時、絹を引き裂くような甲高い悲鳴が聞こえ、サルーンは螺旋階段から二階を見上げた。


「麻奈!」


 嫌な予感が頭を占める前にサルーンは駈け出した。

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