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ジュリアンのトラウマ 4

「先生、僕のキャッシュカードが見当たりません」


 前触れもなく突然転換した場面で、ジュリアンが手を高く上げて発言した。


「体育の授業の後に鞄を見たら、カードが無くなっていました」


 麻奈はデジャビュを見ているような気持になった。それはまるで、ついさっき見た場面のリピートのようだ。ただし、配役は全く違っている。


「何だ? またカードを紛失したのか。貴重品は事務に預けろと何度も言ってあるだろう」


「すみません。今度からは気を付けます」


 ジュリアンが殊勝な顔で謝罪した。それを、少し離れた席に座っていたひとりの生徒が落ち着かない様子で見ていた。彼は前回キャッシュカードを無くしたと挙手していた高梨という名の少年で、自分が仕掛けた時と全く同じような事態に戸惑っているようだった。


 そんな中、またひとつ手が上がった。教師に指名されて立ち上がったその少年は、高梨と一緒にジュリアンを窃盗犯に仕立て上げた少年だ。


 麻奈は、これから何が始まるのかと固唾を飲んで見守った。


 立ち上がった少年はとても緊張しているようで、なかなか言葉が出てこない。それでも、吃音混じりの言葉でようやく話し始めた。


「あの、僕……た、体育の時間に最後に教室を出たんですが、その時に高梨君とすれ違いました」


「大和、お前何言ってんだよ!」


 名指しで疑惑を向けられた高梨少年が慌てたような声を出した。


「あの、高梨君が鉢巻きを忘れたと言って教室に戻って行く時には、教室には誰もいなかったと思います」


 早口で一気にまくしたてると、大和という少年は席に付いて下を向いてしまった。彼の発言を皮切りに、「俺も見ました」という声が幾つも上がり始めた。


「何だ、何だ? 皆高梨が盗ったと言いたいのか?」


 教師は教壇の上から困ったように首を傾げた。


「俺、絶対そんなことしてませんから!」


 高梨が慌てて否定したが、果たしてそれを何人のクラスメートが信じただろうか。


 麻奈はこのとき、静かに自分の席に座っているジュリアンの様子を見た。彼は実にしおらしく着席している。少し困ったように眉を下げ、姿勢をきちんと正しているその姿は、本当にただの被害者にしか見えない。


 しかし、麻奈は知っている。たった今、高梨が怪しいと発言した大和という少年も、彼の意見に賛同した少年たちも、ジュリアンがお金をばら撒いて懐柔した者たちだった。


 ジュリアンは彼らをこっそり味方に引き入れただけでは飽き足らず、高梨を皆の前で裏切らせたのだ。高梨少年の苛めは悪質だった。しかし、ジュリアンのそれは輪を駆けて狡猾で悪趣味だ。


 麻奈は隣で腕組みをしながらことの成り行きを見ている今のジュリアンを見上げた。さぞかし、してやったりという顔をしているだろうと思ったが、彼は眉間に皺を寄せてミカエラを見つめていた。


「先生、誰もジュリアンのキャッシュカードを盗んだりしていません」


 ミカエラが突然、緊張した面持ちで立ち上がった。その足は小刻みに震え声も裏返っていたが、はっきりした口調で話しだした。


「ジュリアンのカードが、彼のロッカーの下に落ちていました。僕がさっき拾ったんですが、着替えるのが遅くなって渡しそびれてしまって……」


 ミカエラは自分の鞄の中を探ると、一枚のカードを取り出した。それを教師に手渡してから、また震える足取りで席まで戻った。


「これは、間違いなく田中の物か?」


 驚いた瞳でミカエラを見つめていたジュリアンに、教師がカードを差し出した。ジュリアンは呆気に取られたような顔をしてそれを受け取ったが、カードに印字された文字を見て、こくりと頷く。


「後でミカエラに礼を言うんだな。皆も、この件はこれで終わりだ。さぁ、遅れた分の授業を取り返すぞ」


 教師が疲れたように肩を回して授業に入った。生徒たちは束の間ざわついていたが、そのまま続けられる授業にいつの間にか集中しだし、そのうちに教室は静かになっていった。ただひとり、ジュリアンだけが怒りと焦りを交ぜたような複雑な顔でミカエラを横目で睨んでいた。





「さっきのは一体どういうことだよ!」


 ジュリアンは誰もいない教室で、怒りに任せて机を蹴とばした。


「何で俺の邪魔したのか、ちゃんと説明してみろミカ!」


 ジュリアンが鋭い目つきで窓を睨んだ。そこには白いカーテンがかけられているのだが、それが妙な形で膨らんでいる。丁度、子どもがひとり中に入っているほどの大きさに。


「だ、だって……」


 ジュリアン以外の生徒はいないと思われた教室には、ミカエラが隠れていた。


「だって、ジュリアンが高梨君にあんな風に仕返ししようとするから――」


「当たり前だろ! 俺を敵に回したらどうなるかを教えてやろうと思ってたのに、どっかの阿呆が邪魔するから」


 ジュリアンは歯ぎしりせんばかりに悔しがった。相当頭にきているらしい。


「だから、それが駄目なんだよ。高梨君がもっと仲間をつれて復讐しにきたらどうなるのさ? きりがないよ。もっともっと敵を作ってることと同じなんだ。そんなのジュリアンの為にならない」


「仮にそうなったって、そいつらまた引き剥がして高梨には絶対に謝らせてやる」


 ミカエラはカーテンの裏でため息を吐いた。もぞもぞくねくねと動いている様子は、まるで大きな芋虫のようだ。


「それはそうと、お前いい加減にここから出て来い。気持ち悪いんだよ!」


「だって、僕のせいで計画失敗したから怒ってるでしょ?」


「怒ってるに決まってるだろ!」


 青筋を立てて怒鳴るジュリアンに、大きな芋虫は悲鳴をあげて身を竦ませた。


「やっぱり怒鳴ったぁ」


「いいから出ろ。この、阿呆が!」


 ジュリアンはカーテンを掴むと、暴れるミカエラから無理やり引き剥がし始めた。


 本人たちは至って真剣に喧嘩をしているよううなのだが、端から見ている麻奈には、ふたりがじゃれ合っているようにしか見えない。


 ミカエラをカーテンの陰から引きずりだしたジュリアンは、息が上がっているミカエラの肩を掴んだ。


「勝手に俺の邪魔をするな」


 低い声だ。それを聞いたミカエラは、ビクリと身を引きかけた。しかし、ジュリアンがそれを許さない。


「理屈抜きで信頼できるのは、もうミカだけなんだ。それなのにお前があんなことするから、ミカにまで裏切られたのかと思ったじゃないか……」


 ジュリアンは赤くなった瞳を伏せた。そこから一筋、光るものが静かに流れた。ミカエラは強張らせていた顔を弛緩させた。


「阿呆はジュリアンのほうだよ。僕がジュリアンを裏切れるわけないじゃないか。ずっと昔から一緒にいたんだから」


 ミカエラはふにゃりと表情を崩した。それは照れているようにも、呆れているようにも見える微笑みだった。


「小さい頃から一緒に育ったんだから、僕たちはもう兄弟みたいなもんだろ?」


 ジュリアンは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにまた不機嫌そうに口をへの字に曲げた。その様子は、どこからどう見ても照れ隠しだと麻奈は思った。その証拠に、ジュリアンの頬は赤い色をしている。


「……ミカなら俺の妹にしてやってもいい」


「お、弟だろ! それに、僕の方が誕生日早いんだから、僕がお兄ちゃんだからね」


 今度はミカエラも、怒りで顔を真っ赤にして叫んだ。ジュリアンはようやく笑った。少年たちはお互いの体を叩きながら、いつまでもふざけ合っている。


 そんなふたりの様子を眺めながら、麻奈は目を細めてため息を吐いた。昔のジュリアンはこんなにも楽しそうで、心からの笑顔を浮かべていたのか。


「ふたりは仲良しなんだね」


「あぁ、私生児だったミカエラの友達は私だけだったし、私もミカエラには心を許していたからね。この頃はいつも一緒にいたよ」


「ジュリアンすごく楽しそう」


「楽しかったよ。彼はただ一人の大事な私の友達だったからね」


「友達、だった?」


 ジュリアンの言った過去形の言葉が気に掛かり、麻奈は恐る恐る聞き返した。


 ジュリアンはそれには答えずに、何とも含みのある笑みを返して、まだじゃれあっている少年たちに目を向けた。


「この後、ミカエラの母親がミカエラを残したまま突然失踪するんだよ。彼女は真面目で子煩悩だったから、何か事件に巻き込まれたんじゃないかと大騒ぎだった」


「それで、ミカエラさんはどうなったの?」


「彼はそのまま、私の家で面倒を見たよ。私の父がミカエラを養子にして引き取ったんだ」


「じゃあ、ふたりは本当に兄弟になったんだね――」


「あぁ。私が兄ということになっていたけれどね」


 そう言って、ジュリアンは皮肉気に口元を歪めた。


「母親が蒸発してしまって、ミカは目に見えて元気をなくしていったよ。でも、私は彼と兄弟になれたことが単純に嬉しかった。不謹慎だけど、ミカエラとの絆がより強くなったような気がしたんだ。ふさぎ込んだミカエラを元気づけながら、自分の味方をより増やし続けていく。それが私の日常だった」


 ジュリアンは一旦口を噤んでから、苦い物を吐き出すような表情を浮かべた。


「ミカの母親の事も気に掛かったが、得にアクションを起こしたことはなかった。学校生活は楽しかったし、ミカをいたずらに動揺させたくなかった。父にも止められていたのが一番の理由だけどね。それが正解のはずだった。でも、そうじゃなかった……」


 ジュリアンが後ろから麻奈の頭を包み込むようにして前を向かせた。大きな冷たい手に包まれると、麻奈は途端に落ち着かない気分になった。彼の長い指には、鈍く光るシルバーのリングが嵌められているのが目の端に止まる。


「見ていてご覧。何かをどこかで間違えた、哀れな私の現実を」


 麻奈の目の前で、また景色が歪み始めた。まるで、ジュリアンの声が合図だったかのようだ。今度は――


「ホテル?」


麻奈は思わず呟いた。そこはどこもかしこも、光が溢れるような豪奢なホテルのロビーだった。

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