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ユエのトラウマ 5

残酷な表現があります

 ユエは馬上から空を見上げていた。月も無ければ星も見えない。ユエは真っ黒な空を見上げたまま、自分の幸運に口元を緩めた。今のユエにとって闇は何よりの味方だった。


 暗闇に紛れて敵の本陣を後ろから叩く。それがユエに与えられた指示だ。敵の総大将を狙うのだから、この戦の花形と言えるだろう。


 ユエは自分の後ろを振り返った。そこには五十人ほどの部下たちが静かにしながら登山を始めたところだった。


 盗賊に正面から当たるリーガンの所には二百人の兵が残っている。約六百人ほどといわれている山賊たちと一戦交えるには、こちらは数の上では明らかに不利だ。


 この戦に勝つには、いかに素早く奇襲を成功させるか、そしてリーガンたちとの連携を滑らかに取れるかが勝敗を分ける鍵だった。


「不利な晴れ舞台だな」


 ユエは誰とも無く呟いた。たとえ不利な作戦でも成功させなければならないのだ。ユエがもっと上の地位に上るためには武功を立ててのし上がるしか方法はない。今はまだ中央の都から離れた田舎の憲兵の副隊長という役職にいるが、それで満足出来るわけもない。目指す地位は大将軍だ。


 リーガンよりも手柄をあげて、いつか彼を追い抜きたい。それがユエの生きる目標だった。ユエは幼い頃からずっとリーガンの背中を追いかけてきた。そろそろリーガンが自分の背中を眺める番だ。彼よりも勝っているのは顔立ちだけなどとはもう断じて言わせない。


 ユエの引き入る奇襲隊は、足音ひとつ立てずに険しい山道を進んでいく。皆の顔には緊張と張りつめた中にも武功を立てようという欲望が見え隠れしている。いい兆候だとユエは思った。しかし、敵の本陣の背後に到着する前にその歩みは止められていた。


 木々にまぎれて道無き道を登っていたユエたちの前に、かがり火を焚いた敵の部隊が待ち構えていたのだ。それも、かなりの数の兵が山の斜面に陣を張っている。


 ユエは舌打ちした。リーガンが飛ばした斥候の報告では、こちら側には敵兵はほとんどいないことになっていたはずだ。


「突撃。力で押し通るぞ」


 見つかってしまっては仕方が無いとばかりに、ユエは後続の隊に向かって突撃の命令をだした。呼応する部下たちの声を背に受けて、ユエは先頭になって馬を駆ける。動揺している隊を立て直すには、自ら先頭に立って道を切り開いていくしかない。


 この隊に自ら志願してきたのは、昼間のユエの活躍を目にしたものばかりだった。ユエが先頭に立てば、彼らは自ずと付いてくる。そして、数で圧倒的に不利な討伐軍にとって、士気の高さだけが唯一の武器だった。


 ユエを先頭とした三角形の隊列は、分厚い盗賊たちの陣形の中にギリギリと食い込んでいった。剣を振るうユエの前には、血しぶきと跳ね飛ばされた盗賊たちの体の一部が踊る。そんな中をユエの馬は駆けてゆく。止まらない。止められてたまるものかと、ユエはただがむしゃらに進んでいた。策を用いるにはユエの隊では時間も数も足りないのだ。それならば、一か八か一点突破を目指すだけだ。


 山間に叫び声が上がっていた。敵も味方も。しかし、ユエは敵を斬れば斬るほど周りの音が遠くなっていくことに気が付いた。聞こえるのは、自分の荒い呼吸と心臓の鼓動だけ。


 ユエの傍らで、味方の兵が弓に喉を射抜かれて倒れていく姿が見えた。敵味方入り乱れるこの密集したこの場所で矢を射掛けてくるとは敵も相当焦っている証拠だろう。


「火だ! 火の手が上がっているぞ」


 誰かの叫ぶ声が耳をつんざき、ユエは飛んでくる火矢きり払いながら空を見上げた。リーガンが向かっているはずの正面の山よりもさらに奥、山頂に近い山の斜面が赤く光って見える。そこから真っ黒い煙が立ち上り、太い線となって空へ吸い込まれていた。


 そこは盗賊たちの貯蔵庫と集落がある場所だった。


「馬鹿な。あそこから火の手が上がるはずが無い――」


 ユエは呆然と呟いた。俄かごしらえとはいえ、リーガンと練った作戦には非戦闘員がいる集落への攻撃は予定されていない。火の手が上がった場所には、家族を持った山賊たちの女房と子供たちがいるはずだと事前に確認をしていた。


 しかし、その場所が今燃えている。ユエは嫌な予感がした。手薄なはずの裏道に敵の兵が配備されていたのも、非戦闘員への攻撃も、すべてリーガンが引き起こしたことのように思えた。


 ユエは知らずに激しく舌打ちをしていた。


「進め。山頂だけをみて一歩でも前に進め!」


 ユエの声は盗賊たちの血を流すような雄叫びにかき消されていた。彼らは家族を殺されたのを見た途端、涙を流しながら目をぎらつかせてユエたちに襲いかかったのだった。


 ただでさえ数の少ないユエの部隊が、両側から挟み込まれるようにすり潰されたから堪らない。怨嗟の声はいつまでも止まずに、高波のようにユエたちへと押し寄せる。


「くそ、こんなところで死んでたまるか」


 ユエの周りにいたはずの部下たちはいつの間にか姿が見えなくなっていた。散り散りになってしまったのか、もう死んでしまったのかも分からない。いくら腕に覚えがあるといっても、ユエにとってもこの状況は絶望的だった。


 がむしゃらに敵の中でもがくユエの目に、敵の後方で見慣れた旗が翻ったのが見えた。白地に血のような赤い文字でリーガンと染め抜かれた旗。それは、リーガンが以前悪ふざけで作らせた彼だけの旗だった。あの旗のあるところに必ずリーガンがいる。ユエは傷ついた腕で長剣を構えなおすと、馬の腹に思いきり蹴りを入れた。あの旗の下までたどり着かなければならない。


 馬は忠実にユエの命令に従って、目の前にふさがる分厚い敵の壁に突っ込んでいった。向かってくる盗賊たちを蹴散らし、斬りつけ、ユエはとにかく剣を振るった。


 そのとき、ユエの頭上から何かの雫が落ちてきた。雨だろうかと気にも留めなかったが、その雫からかすかに異臭がすることに気が付いた。迫る刀を片手でいなしながら、ユエは頬に落ちた水滴をぬぐって鼻に近づけた。


「油?」


 ユエが顔を上げると、山の斜面から桶に入れた液体を撒いている者たちの姿が見えた。


「まさか――」


 ユエがそう呟いた途端、空に無数の日やが小さな花を咲かせるように飛んでくるのが見えた。それらは容赦なくユエたちにも降り注ぎ、たちまち火に巻かれる者が続出した。


 ユエは胃の腑が冷えるのと同時に、怒りで頭が沸騰する思いがした。火矢は味方側から放たれた物であった。この残忍で狡猾な戦のやりようは、間違いななくリーガンの手口だった。幼いころからの友人が、自分がここにいることを知っていて火矢を射かけたりするなと信じたくはなかった。しかし、彼ならばきっと躊躇わずにこうするだろうという確信がユエにはあった。


 ユエは自分でも意識せずに叫び声を上げて馬を走らせた。あの旗までもう少し。混乱する敵の部隊の切れ目が見えてきたとき、ユエの目の前に長槍が突き出された。それを身を捻って避けるユエの左目の視界が、突然真っ赤に染まった。


 あ、と思った時にはユエの左目のすぐ上に火矢が突き刺さっていた。肉を穿つ激しい痛みと、髪の毛が焼ける臭いが鼻についた。それでもユエは馬を走らせ続けた。味方であるはずの、血のように赤い旗を片目で見つめ続けていた。


 敵の陣からひとり抜け出したユエに向かって、水を浴びせる者がいた。


「流石だ。お前なら抜けてくると思っていたぞ」


「リーガンっ」


 水桶を手にしたリーガンがユエの目の前に立っていた。彼は焼けただれたユエの顔など目に入っていないかのように笑いながら右手を挙げた。


 それを合図に、後ろに控えていたリーガンの部隊がザッと前に飛び出した。地響きを立てて、火だるまになっている盗賊たちを切り捨て踏み潰していく。


 ユエは滴り落ちる自分の血と、かけられた水を拭いもせずに馬上から冷ややかな目でリーガンを見ていた。その顔には血の気が全く感じられず、蒼白になっていた。


「これは全部、お前が仕組んだことか?」


「そうだ」


「なぜ本当の作戦を俺に言わなかった?」


 リーガンは意外なことを聞かれたと言わんばかりに、大きく目を見開いた。


「これが一番被害が少ない戦い方だからだ。死ぬために集めたと話せば、お前の隊から脱走する者が出るかもしれないだろう」


「俺に奇襲隊を率いらせたのも、彼らと一緒に殺すためか?」


「まさか。お前なら生き残るだろうと思っていたよ。最後に流れ矢にあたったのは残念だったな。お前の顔よりも綺麗なものは、そうはお目にかかれない」


 リーガンはそう言って声を立てて笑った。屈託のない子供のような顔だった。


「ふざけるなよ! どうして奴らの集落を焼き払ったんだ。そのせいで、こっちの隊がどれだけ犠牲が出たと思っているんだ……」


 ユエは馬を下りてリーガンの胸倉を掴んだ。しかし、疲労と怪我のせいでそのまま意識を失ってしまった。

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