表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/101

サルーンのトラウマ 8

「いつまで後を付いてくるつもりだ」


 サルーンの言葉に麻奈はどきりとした。過去の人々に、自分たちの姿が見えているわけはない。しかし、サルーンの瞳は真っ直ぐに麻奈たちを見据えていた。麻奈がどうしようかとおろおろしていると、後ろの茂みがガサガサ揺れてそこからトリアーニーが出てきた。


「なぜ撃たないんだ?」


 疲れの見えるサルーンの問いに、トリアーニーは小銃を下ろして黙ったまま視線を下向かせた。彼女の敵意に燃えていた瞳には、今は戸惑うような色が浮かび、自分でも何をしているのか分からないというような顔をしていた。


「俺たちを監視して殺すつもりか?それとも、何か別の思惑があるのか?」


 トリアーニーは唇を引き結んだ。何かと葛藤するような厳しい表情をして、彼女はサルーンとユゥジーンを見つめている。


「――今、私たちは神に祈りを捧げる時間だ」


 やっとトリアーニーの口から出た不可解な言葉に、サルーンは眉をひそめた。


「私たちの祈りは、神との約束を確認することだ。神を恐れ敬うこと、盗まないこと、そして……同胞を殺さないこと」


 このとき、サルーンの肩に担がれているユゥジーンがハッと身動ぎした。


「同じシー二―の神を信仰するその男は、残念だが我らの同胞だと私は思う。だから、私はお前たちをこのまま逃がすことにした」


 トリアーニーはサルーンにゆっくりと近付いた。まだ警戒するように慎重に歩きながら、トリアーニーはサルーンに小さな袋を手渡した。


「これは?」


「薬草だ。その男は怪我が酷い。熱がでるぞ」


「それならもう出始めている。これをどうすればいい?」


「本来は煎じて飲む。だが細かく砕いて飲み込むだけでも応急処置にはなるだろう」


 サルーンはユゥジーンを下ろして、トリアーニーの瞳を覗き込んだ。


「信じて、いいのか?」


 トリアーニーはサルーンの手から緑色の葉を引ったくると、迷いなく自分の口に放り込んだ。毒ではないという証明だろう。それをよく咀嚼してから、トリアーニーはユゥジーンに顔を近づけた。サルーンが止める間もなく、彼女は口移しでユゥジーンに薬草を含ませた。苦しそうにしながらも、ユゥジーンは必死でそれを飲み込む。


「これで、そのうち熱は下がるだろう」


「すまない」


 ぐいと口許を拭うトリアーニーに、サルーンは礼を言った。


「これだけだ。私がするのは、お前たちを殺さないことだけ――後は、自分たちで森を抜けろ。神がお前たちを生かすと決められたら、抜けることが出来るだろう」


「俺まで殺さないのは、どういうわけだ?」


「足がいるだろう。もしもそいつが五体満足だったなら、お前は生きていなかったかもな」


 トリアーニーはにこりともせずに淡々と話す。


「もう行け。じきに祈りの時間も終わる。――皆にはその男の事は話していないから、見つかれば撃たれるぞ」


 サルーンは頷くと、また渾身の力を振り絞るようにユゥジーンを背に担いだ。ぐったりと力なく背負われるユゥジーンが、このとき小さな声をあげた。


「俺たちを逃がして、君は大丈夫なのか、トリアーニー?」


 トリアーニーは、微かに目を剥いた。自分の名前を口にしたユゥジーンに驚いているようだ。


「お前には関係の無いことだ」


 彼女はユゥジーンを鋭くねめつけてから顔を背けた。ユゥジーンは高熱で震える唇を、少しだけ上げた。


「ありがとう。君のことは、忘れないよ」


「わ、私は……お前たちなど知らん」


 トリアーニーはそれだけ言うと背を向けた。サルーンはユゥジーンを背負ったまま、複雑そうな顔をしている。そのとき、不吉を告げるような低い音がして、空に小さな機影が映った。月の光を浴びて輝くそれは、規則正しい隊列を組みながら森へと近づいてくる。


「あれは?」


 皆が空を見上げた。


「軍の戦闘機だ。偵察にしては数が多すぎるな」


「まさか――」


 ユゥジーンの言葉を遮って、ザァっという激しい雨が降るような音が降ってきた。


「焼夷弾っ」


 サルーンが叫ぶ声をかき消すように、雨音のする爆弾が森に落下した。落ちた地点は、サルーンたちからは離れた所だったが、激しい火柱が上がるのを誰もが見た。すぐに第二、第三の弾頭が投下される。


「まさか、絨毯爆撃をするつもりかっ」


 サルーンは空を睨みながら呟いた。その額には、汗の玉が浮いている。


「あの方角は――」


 トリアーニーが、弾かれたように爆弾が投下された方角へと走って行った。止める間もなく、彼女は木々の闇に姿を消した。


「サルーン」


 サルーンの背中に負われているユゥジーンが、小さな声を上げる。サルーンは頷いてから、彼女の後を追いかけて森の中へと消えて行った。


 爆弾の投下されている所に、何があるというのだろうか。麻奈は真っ赤に染まっている空を仰いで彼らの行先を思った。すると、何の前触れもなく麻奈の見上げた空が崩れ始めた。また場面が変わるのだ。


「サルーンさん、この後何が起きるんですか? あの先に何があるんですか?」


 麻奈は飛び出して行った過去のサルーンたちの身を案じて、そう訊ねずにはいられなかった。サルーンは唇を一文字に引き結んで沈黙している。額には、小さな汗が浮かんでいた。


「サルーンさん?」


「いや……大丈夫だ。もしかしたら、君はこの先目を閉じていた方がいいかもしれない」


「いいえ。大丈夫です」


 サルーンの大きな体が心なしか震えているように見えた。しかし、過去の再現は止められはしない。麻奈はサルーンのじっとりと汗ばんだ背中に手を添えた。


 何が起きても、今度は一緒に過去を見届けよう。麻奈は固く唇を噛んで辺りを見た。もう、景色は色と形を成し始めている。もうすぐ始まる。そして、サルーンの記憶の終わりが近いことが麻奈にもわかっていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ