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サルーンのトラウマ 7

 麻奈とサルーンは、過去のサルーンたちを捕らえた一団を追って行った。森は静かに更けてゆく。ここが戦場だと思えないくらいだ。しかし、これだけ深い森なのに虫や動物の姿はない。何か不思議な力があるためか、それとも動物たちでさえも禁忌の場所だと認識しているのだろうか。


 トリアーニー達に付いてゆくうちに段々と森が変化していくのが分かった。いままでは鬱蒼と茂った誰の手も入っていない様子だったのに、人が通りやすいように小さな道が出来ている。


 麻奈の隣を歩くサルーンもそれに気が付いているようだが、何も言わず進んでいる。隻腕の彼の方が苦労することも多いはずなのに、サルーンは麻奈が歩きやすいように時折手を差し伸べたりと、何かと世話を焼いてくれる。


 トリアーニーを先頭に進む一団は、小規模なキャンプに行きついた。明かりも灯さずにひっそりと隠れるように並ぶテントは、この森に溶け込もうとしているように麻奈には感じられた。それは、以前サルーンが言っていたおおよその数よりもずっと少ない数だった。


 テントの側の木の前にユゥジーンとサルーンを縄で縛りつけると、見張りを付けることもせずに、トリアーニーたちはテントの中へと入って行った。麻奈たちはまた草の影からその様子をじっと息を潜めて見ていた。


 縛られたサルーンが隣のユゥジーンに声をかけた。ユゥジーンはまだ気を失ったままくたりとした身を背後の木に預けている。


「ユゥジーン。大丈夫か?」


「お前には、これが大丈夫に見えるのか?」


 ユゥジーンは血の混じる咳をしながら眉をしかめて見せた。


「それだけ喋れるのなら大丈夫だ」


「ここが彼女たちの秘密基地ってわけか。目隠しをされていないのが幸いか」


「逆だ。俺たちが何を見ようと気にしないと言っているのさ。最初から生かして返す気はないんだろう」


「参ったなぁ……」


 ユゥジーンの情けない呟きにサルーンが同意のため息を吐いた。すると、ふたりから離れた所にある一番大きなテントからトリアーニーが顔を出した。


 きりりと吊り上った彼女の目元が青く腫れあがっている。急に土産を持って戻ったことで仲間と揉めたのだろうか。


 トリアーニーは手に大振りのナイフを持っていた。サルーンのコンバットナイフだ。彼女は抜き身のそれを弄びながらサルーンとユゥジーンの前に立った。


「そっちの男も目が覚めたようだな。お前には少し聞きたいことがある」


 二人を見下ろしたその瞳は冷たく光る。


「お前は我々のことに詳しいようだが、どうやってその情報を手に入れた?」


 ユゥジーンの前にコンバットナイフが光る。ユゥジーンは何も答えずに、じっとトリアーニーを見上げていたが、彼女が焦れたように唇を噛むと、ようやく口を開いた。


「神の前では皆等しく同じ、誰もが与えられた肉を借りているのだ」


「それは――」


「君も良く知っているだろう? 祈りの一節だよ。俺も小さい頃からそれを教えられて育ったんだ。俺のばあちゃんは青い色の血をしていたからね」


 ユゥジーンの言葉に、トリアーニーが小さく息を飲んだ。


「昔、ほんのわずかな間だが、青い血の民族と融和政策を試みた時期があるのを知っているだろう? その時にばあちゃんは使節団の一員として砂漠を渡って来たんだ」


「融和政策など嘘だ! お前たち赤い血の奴らが彼らを拉致同前に連れていったのだろう」


「そっちではそういう事になっているのか。でも、俺は本人から直接話を聞いたんだから間違いない。自分たちがお互いの架け橋になればいいとばあちゃんはいつも言っていたよ。それなのに、こんな事になって……きっと空で悲しんでいるだろうな」


 ユゥジーンは空を仰いでから、そっと目を閉じた。


「黙れ! 戦いを嘆くならお前はどうしてここにいるのだ。どうせ殺しに来たんだろう?」


「殺していない。俺は誰も殺していないし、これからも殺さない。ただ、あんた達青い血の民族を間近で見たかったんだ。子どもの頃からずっと、あんた達とこうして話をしたかったんだ」


 ユゥジーンはそう言うと、トリアーニーに笑顔を向けた。それは、懐かしい友人に向けるような柔らかい微笑みだった。


 トリアーニーは信じられないものを見るような顔でユゥジーンを見下ろしている。驚いて言葉もないらしい。しかし、彼女の頬がほんの少しだけ色づいて見えるのことに、麻奈は気が付いていた。


 トリアーニーは小さく何かを呟くと、突然背を向けてその場を去って行った。今まで微動だにせずやり取りを見ていたサルーンが窮屈そうに首を鳴らした。


「尋問失敗だな。プロならばあんなやり方はしないだろう。彼女はほとんど素人だな」


「そうかもしれない。だけど、彼らの身体能力はプロの軍人並みだ。彼らには軍隊のようなものは存在しないはずだけど――。この集団が一体何なのか、いまいち理解できないな」


 ユゥジーンも首を捻る。


「ところで、彼女は最後にお前に何て言っていたんだ?」


 サルーンの問いに、ユゥジーン肩を揺らしてくすくすと笑いだした。


「あれは古くから用いられる呪いの言葉さ。可愛いじゃないか、頬を染めながらあんなこと言うなんて。きっと照れていたんだよ」


 サルーンはユゥジーンに向けてため息を吐いた。


 トリアーニーが去ってから、どのくらいの時間が経っただろうか。サルーンは縛られたままうとうとと微睡んでいた。体力を少しでも回復させようとしていた。しかし、ユゥジーンが大きく咳き込んだのを聞いて目を覚ました。彼がすぐに隣に目をやると、ユゥジーンが小刻みに震えているのが目に入った。


「どうした。大丈夫か?」


 ユゥジーンが苦しそうに息をしながら顔を上げる。酷く青い色をしていた。


「まずいな。傷口から悪い菌でも入ったか」


 サルーンは舌打ちした。そこへ、誰かが近づいてくる足音が聞こえてきた。サルーンが振り返ると、そこにはジャコブが立っていた。彼の細い目が、苦しそうに喘ぐユゥジーンを捉えてさらに細くなった。


「そっちの男は随分調子が悪そうだな」


「傷口が膿み始めたようだ。治療してやってほしい」


 ジャコブは表情を変えずに、ただ黙って二人を見下ろしている。どうやら、彼は動く気はないらしい。


「捕虜を死なせると交渉が上手くいかなくなるぞ!」


「結構だな。俺は交渉などというまどろっこしい事は好かないんんだ。我々の聖地を侵す者には制裁を与えればいい。だたそれだけだ。頭の悪いお前たちでも、何度も敗北すればそのうちに気が付くだろう。ここが我々のものだということを」


 ジャコブが懐に手を入れた。サルーンは彼に気づかれないようにそっと身構えた。サルーンの両手を縛りつけている縄は、あと一息でいつでも抜け出せるようになっている。


「だから、お前たちは必要ないんだよ」


 懐から抜き出したジャコブの手には、案の定小銃が握られていた。サルーンの額に汗が浮いた。一か八かやりあうしかないようだ。


 サルーンが飛び出そうとしたそのとき――


「何をしているの!」


 鋭い声が飛び、ジャコブが声の方を振り返った。そこには厳しい目をしたトリアーニーがいた。


「話し合いの結果、捕虜の件は今のところ保留になったわ。勝手な行動はやめて」


「――必要ないと思わないか? むしろ邪魔だよ。ここに赤い血の奴らがいると思うと虫唾が走る」


 ジャコブは弾丸を装填すると、それをサルーンの鼻先に突きつけた。


「ジャコブ!」


 トリアーニーの手が素早く動いて、何かを投げつけた。固い音がして、サルーンたちの縛られている木に大ぶりのナイフが突き刺さった。


 ふたりはしばし睨み合っていたが、ジャコブがしぶしぶ構えていた小銃を下ろした。


「分かったよ。今はまだ我慢しておいてやる」


 彼は忌々しそうに銃を懐にまた仕舞うと、足音荒く去って行った。トリアーニーはサルーンをちらりと見てから大きく一度頷いた。そして、踵を返すとそのままジャコブを追いかけて行った。サルーンはすぐに縄を抜け出すと、ユゥジーンの額に手を当てた。熱い。やはり熱が出てきたようだ。


 サルーンは木の幹に突き刺さったままのナイフを引き抜いた。手になじむそれは、サルーンのナイフだった。サルーンはそれでユゥジーンの縄を切断すると、彼を肩に担いで歩き出した。もう一刻の猶予もなさそうだ。


「――ていけよ」


 ユゥジーンが小さな呟きを漏らした。


「喋るな。俺に任せておけ」


「置いていけよ。お前だって、ボロボロじゃないか」


「黙っていろ」


「お前ひとりならきっと逃げられる。でも、俺がいたら駄目だ……」


「それ以上言うと、本気で殴るぞ」


 サルーンが声を震わせると、ユゥジーンはそれきり黙った。サルーンはユゥジーンを肩に担いで歩き出した。少しふらついてはいるが、サルーンはしっかりした足取りで森の中へと踏み入ってゆく。方向感覚はないはずなので、進む方角は当てずっぽうだろう。それでも、サルーンはどんどんキャンプから離れて深い森へと入って行った。


 月が青く冴え冴えと輝く森は、今は一時の静寂が支配している。幸いなことに、見張りをするものは一人としていない。聞こえてくるのはサルーンの荒い息づかいだけ。ふと、ユゥジーンを担ぐサルーンの足が止まった。彼がゆっくりと麻奈たちを振り返った。


「いつまで後を付いてくるつもりだ」

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