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サルーンのトラウマ 4

 前を歩いていたサルーンの足が再び止まった。すぐに身を低くするように手振りで指示すると、彼は耳をそばだてながら前方に注意を向けている。全身で何かの気配を感じ取ろうとしているその姿は、毛を逆立てて警戒する野生の獣のようだ。


 隻腕の手負いの獣。麻奈の頭にそんな言葉が浮かんで、すぐに消えていった。目の前でガサガサと大きな音を立てている茂みを見つめながら、息を止める。


 麻奈が地面に伏せながらそろそろ顔を上げると、大きな黒いアーミーブーツが草を踏み締めながら歩いてくるのが見えた。大柄な体格。恐らく男だろう。


 草の影で小さくなっている麻奈たちの前を、彼は大股に通りすぎていく。ヘルメットから覗く顔を見る限り、若い青年のようだった。切れ長の目元と通った鼻筋の綺麗な顔をした男だ。


「止まれユゥジーン」


 ユゥジーンと呼ばれたその男の後ろから、不機嫌な顔のサルーンが追いかけて来た。無精髭もなく、両腕もまだ揃っている。過去の再現が始まったのだ。


「止まれ。これ以上単独で進むのは命令違反だ」


 眉間に深い皺を刻んでいるサルーンを見て、ユゥジーンは目尻を下げて柔らかく笑った。まるでサルーンが軽い冗談でも言ったような顔だ。


「サルーンは本当に真面目だなぁ。キャンプの回りを見回るだけなんだから、細かいこと言うなよ」


「キャンプからどれだけ離れたと思ってるんだ。今すぐ持ち場に戻らなければ罰則だ」


 ユゥジーンは面倒くさそうに両手をあげる。


「はいはい、分かりましたよ。お前って昔から母親みたいに口煩いよな」


「お前が軽率すぎるんだよ」


 ユゥジーンは肩をすくめると、牧羊犬に追い立てられる羊のように大人しくサルーンに従った。しかし、こっそり口を尖らせている様子は、反省しているようには見えない。


 そんな二人の様子を、草陰に身を潜めながら麻奈とサルーンは見送っていた。隣にしゃがみ込むサルーンの横顔に曇りはない。むしろ、目を細めて懐かしいものを見るような柔らかい表情をしていた。 麻奈たちはどちらともなく立ち上がり、前を歩く二人の後を追いかけ始めた。


「奴らを見るために抜け出したのか?」


「何だって?」


 ユゥジーンはすっとんきょうな声をあげた。対するサルーンの表情は真剣そのものだ。


「どうして持ち場を離れたんだ」


「お前、一体何が言いたいの?」


 ユゥジーンはサルーンの強い視線を浴びながら、小首を傾げる。その無邪気な仕草は、このやり取りを楽しんでいるようにすら見える。


「青い血の民族を自分の目で見るために、キャンプを離れてこんな所までひとりで来たんだろう?」


 ユゥジーンは切れ長の瞳を大きく見開いたが、その後声をたてずに笑いだした。


「なんだよ、それ。持ち場を離れたのは、ちょっとさぼりたかったからに決まってるだろう」


「さぼるためだけに命をかける者はいない」


 ユゥジーンの笑顔が、ぎこちなく崩れ始めた。


「いつ敵の遊撃部隊が出てくるかわからない場所で、命令違反を犯してまで単独行動をするほどお前は馬鹿じゃない。それに――」


 サルーンは一度言葉を切ると、口を真一文字に引き結んだ。彼は何かを言い淀んでいるようだったが、ほんの少し迷ってからまた厳しい目をユゥジーンに向けた。


「それにお前は、青の民族の血を引いているんだろう? 彼らがどんな者たちなのか、確かめに来たんだ」


 ユゥジーンの片方の眉毛がぴくりと動いた。


「誰に――いや、アリーシャに聞いたのか」


 神妙に頷くサルーンに、ユゥジーンはふぅと息を吐き出して見せた。


「あいつ、お前にそのことを話したんだな。いや、俺も口止めしなかったから別に構いやしないんだが」


「アリーシャはお前を心配していたぞ。婚約者が心ここに在らずだったり、突然戦地に赴くことを志願したりすれば、誰だって心配するだろう。結婚間近なんだから、あまり彼女を不安にさせるなよ」


 サルーンの言葉には所々に棘が含まれている。ちくりちくりと痛そうな顔をしながらユゥジーンは頭を掻いた。


「実に耳が痛いね、お前が言うとなおさらだ」


「ふざけるな。アリーシャのためにも、これからは軽率な行動を慎め。ただでさえ、俺たちの部隊は危険なんだ」


「どういうことだ?」


「いや、何でもない。それに、俺はお前を必ず連れ帰ると彼女に約束したんだ」


「お前、あいつとそんな約束したの?」


 ユゥジーンは、信じられないと呟いて肩を竦める。


「好きな女の婚約者を守るなんて、お前は真性マゾかよ」


「……幼馴染みを守ることは、そんなにおかしいことか?」


 静かな、しかし真摯な言葉を前にして、ユゥジーンはそれ以上サル―ンを茶化すことを止めたようだ。


「そうだな、悪かったよ。お前の言う通り、青い血の民族を探していたんだ。戦闘が始まる前に、彼らを一目見ておきたかったんだよ」


「見てどうする? その瞬間に殺されていたかもしれないんだぞ」


「分からない。ただ、そうする事で俺の中で何かの踏ん切りがつくような気がするんだ」

 サルーンは難しい顔をしている。言葉少なな彼は、感情が表に出やすいようだ。その顔に浮かぶ怪訝な表情は、分からないと言っているのと同じだ。 ユゥジーンもそう思っているらしく、サルーンを見て苦笑した。


「分かるはずないよなぁ、きっとお前には。俺の家族はさぁ、見ての通り青の血が濃いわけじゃないんだ。だけど、誇りっていうか概念っていうか、そういうものはしっかり受け継がれてんだよなぁ。これが……」


 ユゥジーンは、ヘルメットから溢れる前髪を払った。


「結構辛いものなんだ。世間一般の教えと家での教育が違うっていうのは。本当の自分の考えはいつも隠していなくちゃいけない。結局、異端者なんだよ俺たちは」


 ユゥジーンは仕方がないというように笑っている。きっと彼は、そうやって今まで何もかも自分の中に飲み込んで生きてきたのだろう。


「アリーシャと婚約をしたときに考えたんだ。自分のような生き方を俺の子供にはさせたくないってさ。でも、親から受け継いだ誇りをすべて捨てる勇気もないんだ」


 ユゥジーンは軽い口調とは裏腹に、とても重たいため息を吐いた。

「青い血の民族を直接確かめてみて、自分とはかけ離れているんだと確認したかったんだよ。そうすれば俺は生き方を変えられる気がするんだ」


 サルーンは何も言わずに、ユゥジーンの肩を叩いた。それだけでこのふたりには通じるものがあるらしい。二人は頷き合うと、無言で歩き出した。





 二人が合流したキャンプは、かなり小規模なものだった。ここが前線であるはずなのに、こんなに小規模なもので大丈夫なのかと素人の麻奈でも心配になったほどだ。


 森の開けた場所に、大小の迷彩模様のテントが身を寄せるように立っている。キャンプの回りには、城壁のように有刺鉄線がぐるりと張り巡らされてはいるが、襲撃に備えての見張りの数が目に見えて少ない。 おまけに兵士たちの数もまばらで、緊張と恐怖で張りつめた雰囲気が漂っている。


 麻奈は首を捻った。戦争をしているにしては、人の数が少ないような気がする。細かい背景は良く分からないが、サルーンの話からすると青の民族を聖地から撤退させることが目的のはずだ。こんな数でそれができるのだろうかと麻奈は不思議に思った。


「随分、人が少ないんですね」


 遠慮がちに質問してみると、サルーンはその通りとばかりに頷いた。


「ここを占拠している敵の人数はおよそ三十人」


「え、そんなに少ないんですか?」


「しかし、敵の遊撃部隊を殲滅するのに、およそその十倍の兵力がいると言われている」


「ということは、少なくとも三百人いなくちゃ駄目ってことですよね」


 麻奈はもう一度キャンプに目を向ける。どう見ても足りない。


「あぁ。だが、我々はこの聖地を出来るだけ傷つけたくなかったんだ。だから大型の火器は使用出来ないことになっていた。つまり、敵方の兵士を見付け出して一人一人駆逐していかなくてはならないのだが――」



「時間がかかりそうですね」


「そう、とてつもなく。だから囮を使ったんだよ。敢えて襲いやすそうな部隊をちらつかせて、敵を一ヶ所に集めてまとめて殲滅しようという考えんだ」


 サルーンは唇を歪めて笑った。つまり、彼はこのキャンプこそが囮なのだと行っているのだ。


「今思えば、下策もいいところだ。人の命よりも、聖地の破損を恐れているなんて」


 麻奈は息を飲んだ。このキャンプは捨て駒にされるのだ。良く見ると、年若い兵士が多い。使い捨てにされる命たち。彼らはこの事を知っているのだろうか。


「そんな作戦、誰が考えたんですか?」


麻奈の声は知らず震えていた。今から、血みどろの戦いが始まるのかと思うと怖くて堪らなくなった。兵士たちの持つ、鈍い光を放つ銃器が妙に存在感を増した気がした。


「作戦を練るのは将校連中だ。要は参謀と呼ばれる者たちのことだな。大佐、中佐――少佐あたりまで加わるかな。奴らは安全圏で高みの見物だよ」


 いつも穏やかなサルーン の口調が、急に怒りを含んだものへと変わる。


「全線を任されるのは大抵上位下司官だ。そして、使い捨てにされるのはいつだって兵卒なんだ」


 吐き捨てるようなその答えを、麻奈は不思議な気持ちで聞いていた。自分には馴染みのない単語がたくさん出てきた。自分の知らない世界。遠い世界のことなのに、それがこんなにも恐ろしい。

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