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サルーンのトラウマ 2

残酷な表現を含みます。

「前にジュリアンが言っていた通り、俺の故郷は内乱の最中でね」


 さりげなく、しかし痛みを伴いながらもサルーンは自分の過去を話してくれようとしている。それは、いつ始まるか分からない過去の暴露の前に、少しでも自分の口から麻奈に過去を伝えようとしているようだった。


「俺の国には二種類の人が住んでいるんだ。『赤い血の民族』と『青い血の民族』。その呼び名の通り、肌が赤みを帯びているか、青みがかっているのかの違いだな」


「肌が、青いんですか?」


 肌が青いと言われても、麻奈にはあまりぴんとこない。彼の世界と、自分の知る世界とでは、やはり相違点かなりあるようだ。


 麻奈はサルーンを見て、彼はどちらだろうかと考えたが、答えはすぐに分かった。彼の肌は青くない。麻奈が知っている一般的な人というのは、サルーンの国風に言うと赤い血の民族ということになるのだろう。


「彼らは、流れている血液が青い色をしている。それが透けて見えるから、肌が青く見えるんだよ」


 サルーンは遠くを見るような瞳をしていた。それは、廃校にいたときの虚ろな表情ではなく、懐かしいものを思い出すような、そしてどこか寂しそうな瞳だった。


「それ以外、彼らは俺たちとほとんど変わらない。食べる物や体の作り、言葉だって同じだ。だが、ただ一つだけ違うものがあるんだ」


「何ですか?」


「彼らの信じる神と、俺たちの信仰している神が違うということだよ」


 いつの間にか、ふたりの周りを赤い光の塊が旋回しながら近づいていた。麻奈は体を強ばらせたが、サルーンは不思議そうな顔を麻奈に向けるだけだった。その目は、これは何だ?と告げている。しかしそこには怯えも動揺も見えない。サルーンは、かなり豪胆な性格のようだ。


「大丈夫です。あれ自体に害はありません。何て言うか――始まりの合図のようなものです」


 赤い光はくるくると回りながら、速度を上げてやってくる。眩しい。これ以上目を開けているのが辛くなり、麻奈は目を閉じた。瞼の裏が真っ赤に染まる。それはまるで赤い血の色のようだと思った。






 目を閉じていたのはどのくらいの時間だっただろうか。麻奈が目を開ける前に、緊張を含んだ細く甲高い声が聞こえたような気がした。それは、まるで人の悲鳴のようだ。


 瞼越しに、赤みを帯びた光が徐々に引いてゆくのを感じて、麻奈は恐々目を開けた。


 熱風が吹きつける砂漠に、麻奈とサルーンは立っていた。幾重にも連なる砂丘が、まるで波のように眼前に広がっている。麻奈は眼を丸くした。こんな景色を生で見るのは、初めてのことだ。ビシャードの国の、湿気に満ちた暑さとはまるで違う熱に、麻奈は知らず知らずのうちにため息を吐いた。

 

 カラカラに乾いた風がふたりの間を通り抜けるたびに、細かな砂粒がザラリとした感触と共に麻奈の頬を撫ぜていく。飴色の砂に埋もれる足を引き抜いて周りを見ると、遠くの方にこんもりとした緑の森がそびえ立っているのが見えた。


 砂漠の真ん中に、まるで大きなブロッコリーが生えているかのような巨大な森は、青々とした木が密集していて、砂漠の景色には不釣り合いな気がした。


 麻奈はサルーンに説明を求めようと口を開いたその時、サルーンが恐ろしい形相で振り向いて、麻奈の腰にその逞しい腕を巻き付けた。麻奈の口からは蛙の潰れたような息が漏れる。


  サルーンは片腕だけで麻奈を抱えると、砂丘の陰に転げながら入り込んだ。口の中に砂が入ってきて、麻奈はじゃりじゃりになった唇を手の甲で拭う。


「サルーンさん、一体どうしたんですか?」


「頭を下げろ」


 サルーンがそう言うのと、空から轟音と共に何かが落ちてきたのはほぼ同時だった。花火が間近で爆発するような音がして、砂丘に煙が立ち込めると、次いでドーンという音が響いた。ふたりはもつれ合うようにして砂の陰に身を隠し、息を潜めて音が止むのを待った。


 麻奈は耳をふさぐことも出来ずに、体を震わせながら大きな爆発音を聞いていた。


「大丈夫だ」


 すぐ近くから聞こえる、サルーンの低い声がそっと麻奈を包んだ。彼の隻腕にも力が入る。彼の高い体温を感じながら、麻奈は子どものようにサルーンに体重を預けた。


 しばらくして、ようやく辺りが静かになった頃、ふたりは顔を上げて砂の中から這い出した。まずサルーンがゆっくりと立ち上がって辺りをうかがう。麻奈は、空に立ち上る黒い煙を一筋見つけた。その根元を辿っていくと、炎を上げている黒い塊が見えた。


「あれは?」


「森から攻撃されたのだろう」


 豆粒のように小さく見えるがそれはどうやら車らしい。麻奈は被害の様子を確かめようと、危険な状況下に居るのも忘れて、それに近づいていった。慌てたような声が背中にかかるが、麻奈には聞こえていなかった。


 麻奈は走った。今の出来事は、本当に起こったことだろうか。何が起きたのか確かめたい。その気持ちだけで、麻奈は恐怖も忘れてその煙の源まで走った。


 辺りは先ほどとは打って変わって静かだった。麻奈は自分の呼吸する音だけを聞きながら、その黒い物体に近づく。焦げ臭い臭いに交じって何かが焼かれている臭いに気が付いた。


 黒くひしゃげてしまっているのは、大きなジープだった。幌が付いた荷台には火が燃え移り、そこから血まみれの人影が覗く。麻奈はそれを見た途端、息をするのを忘れた。


 凄惨な死体は、一つではなかった。砂に埋もれている者、車体の下敷きになっている者、たくさんの人であった塊を目にして、麻奈は咄嗟に息を止めた。周りの砂は血を吸って赤黒く固まっている。


「君は何を考えているんだ。こんなに近くに来ては危険だと言っただろう」


 その場に立ち尽くす麻奈の手を取ったのは、サルーンだった。彼は麻奈を引っ張るように車から引き離すと、森から陰になっている砂の山まで引きずる。警戒するように辺りを窺っていたが、何も聞こえないのを確認してから、麻奈の手を放した。


 麻奈が死体を見たのは、二度目だった。しかし、ビシャードの時とは違い、まだ血が流れているそれらと、焦げた肉の匂いが相まって、生理的な嫌悪感が湧いてきた。


 死体とは、もっと存在が薄くなるものだと麻奈は思っていた。しかし、目の前にあった亡骸は強くその存在を主張していた。確かにここにいるのだと、聞こえない声をあげているようだった。


 不意に、麻奈の体がぐらりと揺れた。力が抜けて、立っていられない。そう思った時には、麻奈の目の前はすぅっと暗くなっていた。

 

 麻奈の膝が地面に触れる直前、サルーンの力強い手がその体を抱き止めた。その衝撃で、麻奈は一瞬失いかけていた意識を何とか取り戻した。隻腕のサルーンに度々迷惑をかけてはいけないと、足に力を入れて何とか踏み止まる。


「いいんだ」


 頭上から、サルーンの低く柔らかな声が降ってきて、麻奈はその声に身を委ねてしまいたくなった。


「君にはショックが大きかったのだろう? 正直、俺でもこの光景は未だに慣れることはないんだ。無理をするな」

 

 麻奈は泣き出したくなった。しかし、麻奈はサルーンに預けていた体を起こした。


「すいません、もう大丈夫です」


 鼻に付く焦げた臭いは、砂を飛ばす熱風が一緒に吹き飛ばしてくれた。これからサルーンの過去が始まる。彼に付いていくと決めた以上、自分の足で歩いて行かなくてはならない。


 麻奈は震える足を力強く踏み出して、顔を上げた。


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