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奇妙な迎え 4

「何だ、普通に開くじゃない」


 麻奈は拍子抜けして呟くと、そのまま校庭へ向かって歩き出した。しかし、数歩も行かないうちに足は止まり、馬鹿みたいに口を開けて立ち尽くしてしまった。放心する麻奈の目に飛び込んできたのは、茜色の空と200メートルトラックの白い線が書かれた学校のグラウンド。後ろを振り返れば、近所の見慣れた廃校が建っている。強張っていた肩の力が、すとんと抜けた気がした。


「ここって、家の近くの学校」


 拍子抜けしてしまった麻奈は、そのまま校庭を横切って校門へと歩いていった。何故自宅の鏡が近所の廃校に繋がっていたのかさっぱり分からないが、此処からなら家に帰るのは簡単だ。さっきの男の話も嘘だったようだ。


 麻奈は笑いだしたい気分でグラウンドを横切り校門へと歩いていった。しかし、校門に近づくにつれ、外の景色に違和感を覚えてきた。何かがおかしい。


「何あれ、電信柱……」


 校門の向こう側に細長いシルエットがいくつも見える。いつもの見慣れた交差点も角のパン屋も、麻奈が利用しているバス停も見当たらない。そこにあるのはたくさんの電信柱だけだった。夕焼けを背にして、何百本、何万本という電信柱が隙間無く立ち並んでいる。

 それ以外は何も存在しない、まるでデッサンを間違えた絵のような景色だ。

 夕日を浴びながら、ずらりと立ち並ぶ電信柱だらけの光景は、酷く不吉なものに見えた。


 夜の始まりを告げる夕闇色に染まった世界。

 麻奈はめまいがした。此処は一体どこなのだろう。近所の廃校に似ているが、自分の全く知らない場所に迷いこんでしまたのだと気付かされ、夢の中にでもいるような不気味な光景に身震いした。この異様な世界に当てられて胸が悪くなってくるようだ。自分はもしかして夢の中に居るのだろうか?もしもそうだとしたら、これは絶対に悪夢に違いない。


 ピチャン。


 どこかで魚が跳ねるような水音が聞こえた。麻奈は突然男の言葉を思い出す。出られないんです。彼は確かにそう言った。嫌な予感を感じながら、麻奈は弾かれた様に校門に手をかけた。

 まるで頭のどこかでチカチカと警告ランプが点滅しているようだ。

 校門を持つ手に力を入れる。さっきは簡単に開いた校門は、今は(にかわ)でも張り付いたように動かない。


「何で? 何で?」


 こうなったら乗り越えるしかないと思い、麻奈はそこによじ登ってはみた。しかし、透明な壁のようなものに阻まれてしまい、学校の敷地内から指一本たりとも出す事は出来なかった。麻奈はずるずると校門から滑り落ちていた。


「無駄ですよ」


 いつの間にか麻奈の背後に男が立っていた。麻奈の肩にそっと手を置いて力なく笑う。


「私もここから出ようと何度も試しました。しかし、この敷地内から出ようとすると、さっきのように見えない壁に阻まれてしまうのです。コレを壊そうとしてみましたが、それも全く無理でした」


「そんな。でも、貴方さっき私の部屋へ来たじゃない。あれはどういう事? どこか抜け道があるんでしょ? さっきの大きい鏡は?」


「あの鏡は、今はもう使えないはずです」


 男の声は始終穏やかだった。しかし、その中には微かな諦めが含まれているような気がして、麻奈はだんだんと腹が立ってきた。


「そんなの、やってみなくちゃ分からないじゃない」


「あれは、普段は至って普通の鏡なんです。今から行っても大鏡の中に入る事は出来ません」


「でも、さっきは――」


「えぇ、私たちは大鏡を通って来ました。あの鏡を通るには、条件があるのです」


「どんな」


 男は麻奈を指差した。


「それは、新しい住人が選ばれた時です。新しい住人が選ばれると、鏡は光りその人物を映します。鏡が光っている間に誰かがその人を呼びに行かなければならないのです」


 麻奈は首を捻った。


「呼びに行くってことは、外に出られるんでしょう。貴方はどうしてその時に逃げなかったの。何でまた此処に戻って来たの」


「勿論、そのまま逃げられるものならとっくの昔に逃げていますよ。私も色々試ました。でも、それは不可能だったんです。外に出る時には、目に見えませんが透明な細い糸の様な物がいつの間にか体に巻きついているんです。一定の時間が経ったり、そのまま逃亡しようとしたりすると、ものすごい力で引き戻されてしまうのです」


「それは切ることは?」


「やってみましたよ。もちろん。ですが、それを切ることは出来ませんでした」


 麻奈は泣きそうになってきた。


「此処から出られない事を知ってて、どうして私を連れてきたのよ」


 男の顔が僅かに曇った。


「貴女を巻き込んでしまって本当に申し訳なく思いますが、私たちには貴女の助けが必要なのです。私たちが不本意ながら、新しい仲間を増やすのには訳があります」


 男は悲しい顔をして自分の足元を指差した。男の足はさっき見た時と同じように、皮靴から上の部分が透き通って見えた。(いや)、前に見た時には透き通っているのは脛までだったが、今では膝の辺りまでが半透明になっていた。


「見て下さい。此処に長く閉じ込められると、体が徐々に変形していくのです。自分が一番望む姿に。同時に、一番見たくない姿に……。私も少し前から変化し始めました。姿が完全に変わってしまうと、帰る道が見つけられなくなるのです」


「どうして」


「気が触れてしますからですよ」


 男は何でもない事の様にさらりと口にしたが、その表情は固いままだ。


「じきに私の姿も完全に変わってしまうでしょう。自分がそうなってみて、初めてその恐ろしさが分かりました。今この場所で姿が変わりきっていないのは私だけなのです。このまま私まで変わってしまえば、私たちは永遠にこの場所に閉じ込められてしまいます。ですが、貴女なら帰る道を見つけられるはずなのです。お願いです。どうか私達を助けてくださいっ」


 男はそう言って麻奈に頭を下げた。その体は僅かに震えている。麻奈は困惑しながら、自分に頭を深く下げる男を見つめた。

 正直なところ、今の説明では納得出来ない事がたくさんある。なにより、こんな事に巻き込んだ男に腹を立てていた。しかし、震えながら恐怖に耐えている男を見ると、胸の奥がどうしようもなく切なくなった。麻奈は少し迷ってから、おずおずと男の肩に手を置いた。


「あの、頭を上げて。まだ貴方の事を許したわけじゃないけど、帰り道を探すのは私の為にもなることだから――私やるよ。こうなっちゃったら一蓮托生だしね。だから――」


 だから泣かないで。そう言おうとしたが、男の人にそんなことを言うのは少し失礼かと思い、慌てて違う言葉にした。


「だから、一緒に頑張ろう」


 男は不意に顔を上げた。びっくりしたような瞳から、涙が一筋頬を流れていく。その顔がみるみる崩れて泣き笑いのような表情に変わっていった。

 可愛い。麻奈がそう思った途端、男が麻奈の両手を掴んだ。息を飲む間も無く男の手に柔らかく握りこまれ、麻奈の心臓は一気に跳ね上がった。


「ありがとうございます」


 痛いほど固い握手を交わしながらにこりと微笑まれて、麻奈はぎこちない笑みを返した。うるさい位に高鳴っている心臓を叱りつけ、男の手を無理やり振り解いたが、激しい動悸はいつまでも治まらない。


「そういえば、まだ貴方の名前聞いてなかった。私は水上麻奈」


「私はジュリアン田中と申します」


「は?」


「ジュリアンと呼んで下さい」


 ジュリアンは笑顔を浮かべている。


「えぇっと。ハーフとか?」


 麻奈はジュリアンの顔をまじまじと見つめた。少し長めの黒い髪や薄い唇、すっきりと通ってはいるがそれほど高くない鼻。とても端正な顔立ちをしているが、どう見てもジュリアンは日本人に見えた。しかし、長い睫に縁取られた少し吊り目の瞳が、不思議な緑色をしている事に気が付いた。


「いいえ、クォーターです。麻奈は名前の通り日本人ですよね」


「まぁ、そうだけど」


 麻奈は心の中で苦笑した。私は貴方と違って見たままです、と。


「私もです。国籍は日本なんですよ」


 親近感を覚えたのか、ジュリアンは更に笑みを深めた。


「ジュリアンはどこに住んでたの?」

 

「火星です」


「……火星って、あの?」


「ええ。火星です」


 麻奈は自分の耳を疑った。聞き間違いにしては酷過ぎるような気がする。しかし、更に聞き直す勇気は湧いてこない。

 そんな麻奈の様子を見ていたジュリアンは、またですか。と呟いてため息を吐いた。


「此処には色々な場所から人が集められています。正直、聞いてもどこの国か全く見当の付かない所から来た人たちばかりです。もしかしたら、世界そのものが違う人達なのかもしれませんね」


 ジュリアンはやれやれと軽く首を振る。


「その様子なら、麻奈は火星をご存じですね」


「一応は」


 こくりと頷く。それを見てジュリアンは微笑んだ。


「麻奈はどうやら私と同じ世界から来たようですね。でも、火星と聞いて戸惑うという事は――。きっと時間が違うのでしょうか。ときに、今は西暦何年ですか」


「え、2032年でしょ」


「成程、そうですか。でも、私にとっては2625年なんです」


 麻奈の眉間の皺は深まるばかりだ。


「どういう事」


「つまり、私は麻奈の時代よりも600年、後の世界から来たということですよ」


 麻奈はジュリアンの話を聞けば聞く程呆気に取られるばかりだ。もう何が何だかさっぱり分からない。


「まさか、信じられない」


「信じられなくても、事実なんですからしょうがないでしょう」


 麻奈はぽかんと口を開いてジュリアンの話を聞いていた。もう、何に疑問を持てばいいのか分からない。

 唸りながら考え込む麻奈の顔を、ジュリアンが心配そうに覗き込んだ。その拍子にジュリアンの胸のネックレスがシャラリと音を立てる。


「私の話が信じられなくても構いません。ですが、これだけは信じて下さい。私は麻奈の味方です。どうか此処から出るために、私に力を貸して欲しいのです」


 麻奈はひとしきり考えてから、何かを吹っ切る様に勢い良く顔を上げた。


「分かった。ジュリアンを信用する。今は考えてもどうしようもない事は置いといて、やるべき事だけを考えよう」


「ありがとう。麻奈は強い人ですね」


 ジュリアンは感心しているとも、呆れているとも取れる顔をした。


「そんな事無いよ」


 麻奈は少し照れて笑って見せた。


「さぁ、まだ校舎の中を案内していませんでしたね。中へ戻りましょう」


 ジュリアンに続いて麻奈も校舎へと歩き始めた。

 麻奈何気なくは校庭を振り返る。なぜだろう。夕日を背にして真っ黒な針のように見えるたくさんの電信柱と、そこから伸びる長い影。それらを見ていると、妙に心がざわめくのだった。

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