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ビシャードのトラウマ 5

 王はゆらりと体を傾けて、床を滑るように移動した。その姿はまるで酒に酔っているようだ。その充血した瞳は、もしかしたら本当に酔っているのかもしれない。

 彼は、実に無造作にビシャードへ近づいていった。


「余の血を継がない第一王子を、いつまでもこのままにしてはおけない。なぁ、ビシャード。お前でもそう思うだろう」


 ビシャード王が近づいてきた分だけ下がって、お互いの距離を開ける。


「なぁ、分るだろう。余の本当の子供に王位を継がせるためには、お前を殺さねばならないのだ」


 王はさらに距離を詰めてくる。その手には抜き身の剣が禍々しく光っていた。


「そのために、余は今まで色々と手を尽くしたというのに……」


 王はため息を吐いて肩を竦めた。

 まるで、駄々をこねる子供に手を焼いているような何気ないその仕草に、麻奈は鳥肌がたった。一体この父親は何に手を尽くしたというのか。


「まさか、私を狙っていたのは――父上だったのですかっ」


 王は本数の少なくなった歯を見せて笑う。


「ビシャード、お前は本当に運が強い。余がどんなに暗殺者を差し向けても、持ち前の用心深さと悪運で全て切り抜けてしまった。知っていたか? お前の私室の扉に毒を塗っていた事を。お前は鼻が利く。食事には気を遣っていても、そこならば警戒することはないだろう。お前は爪を噛む癖があるだろう。そこに仕込めば、確実に殺せると思ったのだが――」


 棺を挟んでじりじりと回り続けるふたり。


「一つだけ誤算だった。お前は体が弱いのではない、強すぎるのだよ。毒を盛られても死なないほどにな。お前の体は、ほとんどの毒に耐久性があるらしいな。まったく、厄介なことだ。だから、余は考えた。辛いが、やはり自分で手を下さねばならないようだ」


 棺桶越しに迫る王の剣先を警戒しながら、ビシャードの額に汗が浮かぶ。

 ビシャードは明らかに動揺していた。無理もない、父親に殺されかけているのだ。目の前に写る光景は全て嘘なのではないかと疑っているのだろう。

 ビシャードは、かさかさに乾いた唇から浅い呼吸を繰り返していた。小刻みに揺れている瞳はこう叫んでいるようだ。――信じられない、信じたくないと。


 息子の戸惑いを見抜いて、王が大きく一歩踏み出した。一足飛びに距離を詰めて、ビシャードに切りかかる。

 横薙ぎにされた剣先はビシャードの脇腹をかすめて、彼の服を僅かに破いた。返す刀で王は剣を斜め上に振り上げた。ビシャードは後ろに飛んでそれを避ける。 

 腹と喉。傷を受ければどちらも致命傷だ。


 一切迷いのない剣に、王の本気が伺える。彼の殺意は本物だった。

 いくら老いたとはいえ、王の剣筋はまだまだ鋭い。いつまでも避けきれないだろう。


 ビシャードは護身用に持っていた短剣を懐から取り出した。

 しかし、剣を向けるのを一瞬躊躇ってしまう。心の底では、今まで敬愛してきた父に刃を向けたくないと思っているようだ。しかし、状況はそれを許してくれない。

 ビシャードの僅かな隙を付いて、王の剣が容赦なく襲ってくる。迷った分だけ自分の首を絞めることになるのだ。

 ビシャードは短剣を素早く構えて剣を防いだ。しかし、捌き切れなかった一太刀が、首筋から鎖骨にかけて走り抜けていった。


「くっ」


 傷の確認をする暇もなく、重心の乗った剣が続けて繰り出される。ビシャードは必死にそれを短剣で受け流した。しかし、この短剣では王の剣を何度も受け止める事は出来ない。刀身に差がありすぎるせいで、軌道を剃らすだけで彼には精一杯だった。

 

 王は自分の優位を確信して、歪んだ笑みを浮かべている。

 ビシャードが一瞬目を伏せた。こんな父親を直視できる息子などいないだろう。

 麻奈は幼い頃のビシャードを思い出した。あの時のビシャードの瞳からは、父親を尊敬する気持ちが溢れていた。きっと自分の父親がこんな事をするはずがない。そう叫びたいに違いない。

 ゆっくりと目を開いたビシャードの瞳には、何か強い決意が込められているように麻奈には感じられた。

 

 王はすぐに構えを変えて、強烈な突きを放った。短剣によって軌道が反らされても、確実にビシャードの体に当たるように。

 その意図を読んだビシャードは、素早く身を屈めてそれを避けた。

 ヒュッという空を斬る音が彼の頭上に響く。

 ビシャードはそのまま床を転がり、こっそりと叔父の棺に左手を突っ込んだ。


「ビシャード、もう終りにさせてくれ。お前は誰からも望まれていないんだ」


 その言葉にビシャードは顔色を変えた。確かに、彼は民にも父親にも望まれていない存在だ。青ざめた顔をしながらも、ビシャードは気丈に父親を見据えていった。


「私は――確かに間違いで産まれてきたのかもしれません。ですが、今私は生きているのですっ。誰も私という存在を望んでいなくても、私は――私だけは自分を否定したくないっ」


「お前は存在してはいけない人間なんだっ」


 王は剣を大きく振りかぶると、渾身の力を込めてビシャードの額を目がけ振り下ろした。それが届く寸前、ビシャードは左手に握りしめていた塩を王の顔に投げつけた。


「うっ」


 王が怯んだ隙を逃さず、ビシャードは彼の剣をかいくぐると、そのまま頭を低くして体当たりしていった。肩にぶつかる衝撃を感じながら、ビシャードは目を閉じて呟いた。


「これで、いい」


 みぞおちに体当たりを喰らい、王が息を詰まらせる。

ビシャードは足を踏ん張り、つきすぎた勢いを殺して何とかその場に留まった。彼まで落ちるわけにはいかない。


 王を突き飛ばした先。それは、大きく開け放たれた窓だった。彼は計算して王をこの窓に突き落としたのだった。

 長い悲鳴が尾を引いた。ここは二階、下は石畳。落ちれば無事ではすまない。


「父上、これからは私が王になります」


ビシャードは粗い息を吐きながら、窓の下を覗いて呟いた。

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