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ビシャードのトラウマ 3

 それからどの位経っただろうか。だんだん少年の呻き声が小さくなり、やがてそれも聞こえなくなった頃、麻奈はそっと目を開けた。少年はぐったりした様子で床に横たわっていた。

 麻奈は痛ましい気持ちで少年を見つめる。まだあどけない少年の顔には明らかに憔悴の色が浮かんでいる。こんなに苦しい処置をこんな所で一人でするなんて、保護者は一体何をしているのか。

 麻奈の胸には怒りに似た感情が湧いてきた。


 矢が刺さったということは、それを射た人間がいるということだ。この少年は誰かに狙われたという事になるのだろうか――。

 そう考えるだけで、麻奈の怒りはまた頂点に達しそうになる。しかし、横にいるビシャードが相変わらず瞬き一つせずに少年を見ているのが気にかかった。

 その眼差しは厳しく、辛い表情を浮かべている。何故そんなにも険しい顔をしているのだろう。麻奈はビシャードにそれを聞く事も出来ずに、ただこの二人を交互に見ていた。


 少年はいつの間にか眠っていた。まだ腕が痛むのか、時折眉間に皺を寄せるものの、大分穏やかな寝息を立てている。少年の長い前髪がはらりと落ちて、垂れた目元と目尻に二つ並んだほくろが現れた。少年の顔には少し幼さが残っているが、それはビシャードにそっくりだった。


「陛下、貴方はこの子を知ってるんじゃないですか」


 麻奈の質問に、ビシャードはゆっくり二度瞬きをして、観念したようにため息を吐き出した。


「あぁ。よく知っている。これは――昔の余だ」


 そういってビシャードが左の袖を捲くって見せると、そこには少年と同じ箇所に古いケロイド状の傷があった。


「ミナカミには言えずにいたが、今まで見た光景は全て余の幼い頃のものだ――」


「まさか。あ――でも、それならこの少年が陛下に似ているのも頷けます」


 麻奈はようやく合点がいった。似ているはずだ、彼らは全員ビシャード本人だったのだから。

 麻奈が妙に納得していると、辺りの景色がじんわりと滲み出した。またか、と思う間もなく、まるで演劇の場面転換のように、あっという間に場所が変わってしまっていた。今度は何を見せられるのだろうか。


 次に顔を出したのは、乳白色の巨大な柱が立ち並ぶ、静かな廊下だった。

 胴回りが一抱えほどもある、大きな柱の陰に身を寄せる三人の男たちが見える。その顔は麻奈たちからは見えないが、彼らはひそひそと額をつき合わせて、何事か話しこんでいた。

 本人たちは内緒話をしているつもりだろうが、人通りのない廊下に男たちの声は朗々と響いていた。

 彼らが何を話しているのか、全て筒抜けだ。


「ビシャード殿下がまたお倒れになったそうだ」


「まさか――また殿下を狙う者が」


「今度は毒矢だそうだ。幸いにも命に別状はないらしいが」


「幸いにも、か?」


「しっ、滅多なことを言うものではない」


「だが、ビシャード殿下は病弱過ぎる。月の半分を床で過ごすなどと諸国に知れたらどうなる事か。殿下が次の王になったら、隣国はこぞって攻めて来るかも知れない」


「――まさか」


「いや、あり得るぞ。やはりビシャード殿下は王の器ではないのだ」


「確かに、アナン殿下の方が王に相応しいと私は常々思っていたよ」


「誰もが思っていたさ。だからビシャード殿下の命が狙われているのだろう。彼がいては、アナン殿下に王位は決して回ってこないんだ」


「全く、どこの誰が暗殺を企てているのかは分からんが、やるのならばもっと確実に事を成して欲しいものだ」


「ははは、違いない」


 男たちの軽快な笑い声を聞いて、麻奈は拳を握り締めた。ビシャードの命を何だと思っているのだ。

 怒りのあまり、男たちに石でも投げてやろうと思ったその時、すっとビシャードが麻奈の前を横切った。彼はそのまま、つかつかと先を歩いていく。


「こういう話はミナカミには聞かせたくなかったのだが――」


 とても悲しい顔だった。

 麻奈が首を横に振るのを見て、ビシャードは僅かに表情を緩めた。

 まだ腹の立つ話を響かせている男たちの側を、二人は無言で通り過ぎる。二人の足音がコツコツと鳴っているにもかかわらず、男たちは全くこちらに注意を払うことはない。やはり彼らにも麻奈とビシャードは見えていないようだった。

 男たちとすれ違うその一瞬、ビシャードが刺すような冷たい視線を彼らに送ったことに麻奈は気が付いていた。


「余は体が弱かったのだ。見ての通り体つきも貧弱で、剣術も弟のアナンに大分劣っていた。それでも、第一王子にふさわしくなれるように、必死に努力はしたのだがな」


 ビシャードは自分の薄い胸板に手を置いた。横から見ると、彼は気の毒になるほど薄く見える。ゆとりのある服を着ていてこうなのだから、実際はもっと痩せているのかもしれない。


「彼らは陛下の矢傷の話をしていましたね。それって、さっき見た事件の事ですか? あれは暗殺されかけたっていう事なんですか?」


「そうだ」


「どうしてそんな酷い事――」


 ビシャードは麻奈から視線を外すと、未だ柱の陰で団子になって話し込んでいる男たちに目を向けた。


「奴らの話を聞いていただろう。ミナカミの国ではどうか知らぬが、この国では第一王子が必ず国を継ぐ。例外はない。歴代の王は絶対に男子を後継者として生ませなければならないのだ。皮肉なことだ……。血筋を優先したために、皆が王に相応しいと思っているアナンは、王位に付く事が出来ないのだ」


 ビシャードは自嘲する。王様であるはずなのに、自分を卑下する彼は、見ていてとても痛々しい。


「余が即位すれば、次の第一王位継承者は余の子供に移る。貧弱な余の血を受け継ぐ子供にな。さて、ここで問題だ。余ではなく、アナンを王にするにはどうすればよいと思う?」


 少し考えてから、はっとした。ビシャードはその通りとばかりに頷く。


「そう、とても簡単なことだ。お荷物の第一王子を殺してしまえば、皆が期待を寄せる第二王子に日が当たる」


「そんな」


「だが、余は大人しく殺されてやるつもりは毛頭なかったよ。この時、余は誓ったのだ。どんな事をしてでも王座に就き、余を排除しようとした者には然るべき報復をしようと――たとえ、それが誰であっても」


 そう呟いてビシャードが足を止めた。男たちから少し離れた柱の陰に、膝を抱えてうずくまる少年がいた。癖の強い灰緑色の髪、垂れた目元。それは、さきほどの若きビシャードだった。その頬はげっそりと痩せこけ、目の下には既に隈が出来ている。しかし、怒りに瞳を輝かせて静かに涙を流している姿は、鬼気迫るものを感じさせた。

 頬を流れる涙は、触れれば肌を焼く憎悪の涙だ。


「今の話、全部聞いていたんですね」 


「あぁ。だが、今ではあの者達には感謝している。それまでは襲撃に怯え、逃げることしかしなかった余が、反撃する気になったのだからな」


 ぞっとするほど冷たい声を聞いて、麻奈は彼の心の中の暗い闇を覗き込んだ気がした。

 彼は今、王座に就いている。宣言どおり、手段を選ばずに玉座を勝ち取り、彼を排除しようとした者達に片っ端から報復していったのだろうか。

 目の前の青年は、見た目通りの優男ではないのかもしれない。 

 麻奈は握り締めていた拳に、嫌な汗が滲んでくるのを感じていた。ビシャードと此処で二人きりでいることが途端に恐ろしくなってくる。


「陛下、もう行きましょう。此処から出る道を探して、一度廃校に戻りましょう」


 自分でも驚くほど擦れた声だった。なにしろ、彼の過去が目の前で再現されているのだ。もしかしたら、ビシャードが柱の影で笑いあっていた男達に報復する場面が今にも始まるかもしれない。

 せわしなく視線をさ迷わせる麻奈を見て、ビシャードは一瞬全ての感情を押し殺したような冷えた眼差しをした後、そうだな。と頷いた。

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