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奇妙な迎え 3

 いつまで経っても、鏡にぶつかる衝撃は襲ってこなかった。麻奈は何か奇妙なことが起きているのだと分っていたが、恐ろしくで目を開けることが出来ない。ただひたすら、唯一の命綱のように男の手をぎゅっと握りしめていた。


 すると、たちまち四方から強く引っ張られるような感覚が襲ってきた。身体を滅茶苦茶に振り回されているような強い力を受けて、麻奈は前後左右が分からなくなってしまった。


 強い遠心力に三半規管が耐えられなかった。何とも言えない気持ち悪さに身震いすると、すぐ近くから男の声が聞こえてきた。


「もう少しで収まりますよ」


 男の言う通り、身体を揺さぶる力がゆっくりと消えていくのを感じて、麻奈はそっと目を開けた。そこは一面真っ暗な闇が広がっていて、二人は何も無い空間にゆらゆらと所在無さ気に浮いていた。視覚で確認してしまうと、足元の覚束ない感覚が更に増した気がした。


 二人から遠く離れた所で、微かにきらきらと淡く光っている物が目に付いた。目を凝らして見ると、色とりどりの光が瞬くように点滅をくり返している。今の状況も忘れて、麻奈は素直に綺麗だと思った。赤や黄色、緑にピンク。暗い闇に光を放つその景色は、星を散りばめた宇宙空間のようにも思える。


「ここ、どこ」


 半ば独り言のように呟いたのだが、以外にも返事が返ってきた。


「私にもよく分かりません。強いて言うなら、『鏡の中』ですかね。さぁ、行きましょう」


 男は麻奈をリードするように歩き始めた。それに促されて麻奈も慌てて足を出すが、靴底からは何の感触も感じられない。悪戦苦闘している麻奈を見て、男はやれやれといった顔で彼女の腰を更に引き寄せた。麻奈はこの時だけは、自分の腰に男が手を回している事に感謝した。


 どのくらい歩いただろうか。男が紫色の光の前で足を止めた。良く見ると、それは人の背丈を軽く超えた巨大な鏡だった。額も何もついていないただの裸の鏡だったが、こんな所に鏡があること自体が、麻奈には不気味に感じられる。


「今度は何の衝撃も無いですから、安心して付いて来て下さい」


 男はそう言いながらも、麻奈の腰に巻きつけている手を決し離そうとしない。逃亡を防止するためなのかもしれないと考えて、麻奈は少し男を恐ろしく思った。


 来た時と同じように、男が何の抵抗もなく鏡に身を投じる。麻奈も仕方なしに息を止めて後に続いた。またしても、ぬるっとした冷たい鏡の感触が全身を包む。おかしな出来事続きで感覚が麻痺していた麻奈だったが、もう後戻り出来ないような予感が一瞬頭をよぎった。


 鏡を抜け出ると、そこは薄暗くひんやりとした空気の室内だった。高い天井。吹き抜けになった螺旋階段。その踊り場に立っていると分かった時、麻奈は自分の身に何が起こったのか信じられずに何度も辺りを見渡した。


 薄汚れて何色かも分からない陰気なタイルの床に、冷たい鉄の手すり。しかし、どこか懐かしい雰囲気を孕んだ見覚えのある場所のように感じる。振り返ると、後ろには麻奈の背丈よりも大きな鏡が取り付けられていて、まだ仄かに紫色の光が零れていた。


「お疲れ様でした。着きましたよ」


 男はそう言うと、麻奈の腰に回していた手をようやく離した。解放感を感じるよりも、縋り付く対象を失って麻奈は不安になった。


 この異様な出来事を前にして、麻奈の頭は上手く働いてくれなかった。男に文句を言ってやりたいのに、何をどう言っていいのかが分からないのだ。不安そうな表情で辺りを窺う麻奈に構わず、男は螺旋階段をどんどん下りて行く。


「私達、あのぉ、まさか……この鏡から出てきたの?」


 麻奈は言葉を慎重に選びながら男の背に声を掛けた。


「そうです。貴女も早く降りて来て下さい」


 階段を下りきった男が、吹き抜けを下から見上げている。逃げるのなら今かもしれない。一瞬麻奈はそう思ったが、今来た道を戻る気にはなれなかった。階段を上がって他の出口を探そうかとも考えたが、それは諦めることにした。自分の足の遅さでは、きっとすぐに追いつかれてしまうだろう。


 逃亡計画を断念する自分を不甲斐なく感じながら、麻奈は手すりに掴まって階段を下り始めた。何気なく上を見上げる。緩いカーブを描きながら上階へと続く階段はとにかく長い。円を描く階段を見上げていると、暗い穴の中に落ちてしまったような錯覚を起こさせる。


「足元に気をつけて下さい」


 男はにこやかに微笑みながら手を差し出してきたが、麻奈は首を振って断った。ついでに非難を込めた視線を男へ送る。それは麻奈に出来る、ささやかな抵抗だった。しかし、実際に優しく笑いかけられると悪い気はしない。整った顔立ちのこの男ならばなおさらだった。


 麻奈は男の顔から無理やり視線を引き剥がした。男を責める気持ちが、この笑顔の前では挫けてしまいそうだ。


 男は付いて来るように言うと、ゆったりした足取りで歩き出した。


「此処はどこなの」


「此処がどこで何なのか、実は私にも良く分からないんです。何しろ、此処は随分と風変りな所なので」


「どういう事? 何処かも分からないのに、どうやって私を連れてきたの?」


「此処に入るのはそう難しいことではないんですよ。現に、先程貴女は入って来たじゃないですか」


「私が? さっき此処に? そんなはずないわ」


「いいえ。貴女が息を切らして駆けて行くのを私は見ましたよ。あぁ、あの時は黒いタイツを履いていたのに、今は履いていないんですね」


 麻奈は息を飲んだ。帰宅するまで履いていたレギンスの色は確かに黒い色をしていた。男は振り返ることなく先を歩きながら続ける。


「問題は、此処に来ることではなくて、此処から出ることなんです」


「どういう事」


 男は、察しが悪いな。という目を麻奈に向けると軽くため息を吐いた。


「出られないんです。此処から」


「……嘘」


「残念ながら本当です。試しにそこから外に出てみますか?」


 男が指差した先には、木で作られた下駄箱がずらりと並んで置かれている。一段下がった所にはスノコが置かれていて、その先にはガラスで出来たスライド式の扉が付いている。麻奈はそれらを見て学校を連想していた。そこはちょうど、学校の玄関口のような場所だった。


 麻奈はガラス戸に手を掛けると、それを思い切り引っ張った。レールが軋んで嫌な音を立てたが、扉は予想に反して何の抵抗もなく開いた。

読んでいただいて本当にありがとうございます。もう少ししたら登場人物増える予定ですので、もうしばらくお待ち下さい。

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