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耳に届く音 3

 L字型の校舎の二階、東側の長い廊下の突き当たりに放送室はひっそりとあった。ジュリアンは、音が漏れるのを防ぐための分厚い鉄の扉を開けようとしたが、何度ドアノブを回しても扉は開かない。鍵がかけてあるらしい。ジュリアンは歯軋りした。珍しく焦っていたために、鍵がかかっている可能性を失念していたのだ。


 廊下には、未だノイズに混じってボソボソと低い声が響き渡っている。

 いっその事蹴破ろうかとジュリアンが考えたとき、麻奈がユエを伴って現れた。

 ジュリアンはにやりと唇を吊り上げた。渡りに船とはこの事だ。


「ユエ。このドアを破壊して下さい」


 突然の無茶な要望にユエは腑に落ちない顔をしながらも、走ってきた勢いのまま扉に思い切り蹴りを入れた。バキンという鈍い音がして、蝶番が壊れて扉はゆっくりと内側に倒れていった。

 ユエの隣で麻奈が信じられない物を見る目つきで扉とユエとを見比べていた。


 ジュリアンは二人に構わず暗い部屋の中にするりと滑り込んだ。

 いつの間にか奇妙な放送は止んでいた。ジュリアンが部屋の中に入った事に気が付いて、麻奈も慌てて後を追ってきた。


「誰もいない」


 そこは小さな部屋だった。部屋の真ん中に放送用のマイクや機材が並べられていて、床にはCDや年代物のレコードが入った一抱えほどのダンボールが積み上げられているだけで、どこにも人の姿は無い。

 古い埃の臭いが鼻に付く。ジュリアンが窓に引かれたままのカーテンを開けると、シャッという音と共に部屋は茜色に照らし出された。そこには人が隠れられるような場所など無かった。


「どうして、さっきまで放送がかかってたのに――窓から逃げたの?」


「それは無いでしょう。ほら、窓には鍵が掛かっています。それに、床の埃には私達の足跡しか付いていません」


「じゃあ、どうやって逃げたんだろう」


 麻奈は不可解な出来事に不安になった。これでは推理小説の安い密室トリックみたいだ。

 麻奈が心の中で悪態を吐いたのも束の間、ジュリアンの一言を聞いて麻奈は蒼白になった。


「この機材、どうやら使った形跡がありませんね」


 分厚い埃が溜まっているそれは、触れればはっきりと指の跡が付くほど汚れていた。しかし、機材には指の跡はおろか何の痕跡も残っていない。長い月日の間に積もった埃が厚い膜となり、機材の上を覆っていた。


「おまけにこの機材は壊れているようです。電源が付きません」


 パチパチとスイッチをいじるジュリアンが神妙な顔で呟いた。誰かの喉が、ゴクリと音を立てた。


「――どういう事」


 麻奈は震えながら尋ねた。


「分かりません。でも、この放送室では放送を流す事は出来なかったという事です。麻奈、他に放送できる設備はありますか」


「分からない。でも、私の中学校にはここしかなかったような気がする」


 ジュリアンは考え込むように顎に手を当てている。

 麻奈は恐怖が足元から這い上がってくるような気がして、両手で自分を抱きしめた。その手が小刻みに震えているのが分かる。推理小説どころか、一気に怪談になってしまった。


「ユエ、お願いがあります」


 扉にもたれて傍観していたユエに、ジュリアンは声をかけた。ユエはじろりとジュリアンを見ただけで、両腕を組んだまま動かない。


「麻奈を部屋まで送って下さい。こんな状態の麻奈を、この先連れてはいけません」


 麻奈は顔を上げてジュリアンを見た。優しく微笑んでいるのに、冷たい目。足手まといだと言われた気がした。


「大丈夫だよ、私も一緒に――」


「いえ、私も少し調べたい事もありますから。それに、その状態でアノ人に会ったら走れるんですか」


 そう指摘されて、麻奈は膝に力が入らないことに気が付いた。それほどまでに、この場所に恐怖を感じている事に愕然とする。麻奈は悲しい思いでふるふると首を横に振った。


「調べ終わったらきっと報告に行きます。だから、私が戻るまで大人しく部屋で待っていて下さい」


 麻奈の頭がこくりと頷くのを見て、ジュリアンは目を細めて優しくそこに手を置いた。


「では、お願いします」


 ユエの肩を叩くと、ジュリアンは扉を跨いで走り出した。


「――勝手に頼んで行きやがって。俺の意思は無視かよ」


 舌打ちしながらユエは放送室を後にする。麻奈はこんな部屋に一人残されては堪らないと思い、慌ててユエの後を追う。

 廊下に出ると、麻奈を待っていたようにユエが立っていた。彼は突き刺すような視線を麻奈に向けると、無言で歩き出した。付いて行こうか麻奈が迷っていると、いらいらしたようにユエが振り返った。


「さっさと来い」


「……うん」


 麻奈が自分に追いつくのを待って、ユエは再び歩きだした。


「ねぇ、こういう放送は前にもあったの?」


「放送?」


「さっきみたいに、突然四角い箱から声が聞こえてくる事」


「いや、初めてだ。大体、さっきの部屋は一体何だ」


「大雑把に説明すると――あの部屋にある機械を使って、マイクっていう物に話しかけるとその人の声がさっきの四角い箱から流れる仕組み」


「ほぅ。で、誰が放送したのか確かめに行ったらそこには誰もいなかった。おまけに機械は壊れていた。それでお前は怯えてるわけか」


 ユエはのんびり歩きながらにやりと笑った。美しい顔は邪悪な表情をしても美しい。麻奈は意地悪そうに歪んだユエの顔を見ながら頬を膨らませた。


「だって怪談みたいで怖いじゃない」


「そんな事でいちいち怖がれるかよ、馬鹿馬鹿しい。本当に恐ろしいものって言うのは、こんなものじゃない」


 高い鼻の頭に皴を寄せて、なぜか腹立だしげに歩くユエを見ていると、ある疑問が沸いてくる。聞いても良い事かと少し迷ったが、結局好奇心に勝てなかった。


「ユエは普通の姿に見えるけど、どこが変わったの」


 ユエは雷にでも打たれたようにぴくりと体を震わせた。一瞬の間と冷たい空気。ゆっくりと振り返ったその顔は、恐ろしいほど剣呑な視線をしていた。その刺すような視線を浴びた麻奈は、数歩後ろに下がってしまった。


「……知りたいか」


 ぞっとするような響きの低い声に気圧されて、麻奈は慌てて首を横に振った。


「そういうお前は、まだ変化無しか」


「私はまだ来たばかりだから。そんなに早く変わらないんじゃないかな」


「いや、時間は関係無い。あの肉ゼリーは着た早々一気に変わった。名前も名乗らないうちにな。そうかと思えば、ジュリアンみたくじわじわ変わる奴もいる」


「そうなの?」


 もしかすると、自分でも気が付かないうちに変化が始まっているかもしれない。麻奈は青褪めながら自分の体を見回した。服の中に手を入れてお腹や背中にも触ってみる。幸い、異常な感触は無かったので安堵の息を吐く。


「手伝ってやろうか」


 ユエが舌なめずりでもしそうな表情で麻奈を見ていた。


「要らない! 結構です」


 麻奈は首を振りながらユエから離れて歩いた。二人は麻奈の部屋の前まで来ると、ユエが優雅に扉を開け恭しく右手を胸に当てながら一礼をした。


「ご到着あそばしました。怖がりなお姫様」


 それは洗練された美しい所作だったが、明らかに馬鹿にした態度に麻奈はむっとした。しかしその目は主の意思とは裏腹に、流れるようなユエの動作に吸い寄せられていた。

 麻奈はそれが堪らなく悔しくて、ユエに見とれた自分をごまかすように、無言で部屋に入っていった。後ろ手に扉を閉めようとしたその手を、無骨なユエの手が遮った。

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