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耳に届く音 2

 麻奈とジュリアンはそれぞれバケツを持って、廊下に立っていた。アノ人対策のため、中には水がなみなみと入っていてとにかく重たい。こうしていると何かの罰で廊下に立たされているようだが、二人はどこから校舎内を捜索しようか話し合っていたのだ。


「周りをよく見て、何か少しでも気になった事があったら教えて下さい」


「分かった。でも、ジュリアンはこの建物全部調べたんでしょう」


「勿論調べましたよ。しかし、結局出口は見つからず――。それに、麻奈が来てから建物の形が変わってしまったので、また初めからやり直しです」


 うんざりといった顔でジュリアンは肩を落とした。


「それは、お疲れ様だね」


 学校のイメージを追加してしまった麻奈は、若干の責任を感じて在らぬ方向へ視線を逸らした。


「でも何か手応えというか、怪しい所の目星くらいは付いてたんでしょう」


「それが全く」


 困っちゃいますよね。とジュリアンは軽く笑った。

 麻奈はため息を吐きたくなった。


「じゃあ、一度端から順に調べてみたほうがいいかな」


「そうですね。時間は多少かかるかもしれませんが、それが一番の近道かもしれません」


「それなら、この三階から始めようか」


 麻奈は、ジュリアンの部屋の隣に位置する教室の扉に手をかけた。入ってみると、そこは何の変哲もない普通の教室だった。

 机が整然と並べられていて、教壇が少し高い位置に設置されている。黒板も至って普通の物で、チョークの白い粉の跡が残るそれは授業の名残を思い起こさせる。ざっと見てもおかしな所はまるで無い。今にも生徒が入ってきそうな、そんな雰囲気だ。


 ジュリアンは扉の横に備え付けられている掃除用具入れを開けて中を調べている。そこには汚れて真っ黒になった雑巾と、古い箒が数本入っているだけだった。

 

 出口を探すといっても、何をどうしたらいいのか麻奈には検討もつかない。麻奈は持っていたバケツを近くの机の上に置いて、窓から外を眺めた。どこまでも広がる不気味な電信柱の大群が目に入ってきて、麻奈の心臓がきゅうと一回り小さくなったように締め付けられた。

 不気味な景色。しかし、ただそれだけのはずなのに、訳も分らず妙にそれが気にかかる。湧き出る不快感に戸惑いながらも、麻奈はそれに抗うように窓に近寄っていった。


「開くかな」


 試しに窓を開けてみると、スライド式の窓は問題なく開いた。顔だけ出して下を覗き込むと、校舎の側に作られた寂れた花壇が見えた。校舎の隣に建てられたかまぼこ型の室内プールや、校庭の隅にあるペンキが剥げかけた小さな体育倉庫も麻奈の記憶にあるものと全く同じだった。

 外の空気は冷たくもなく、暖かくもない。室内と全く変わらない空気に、また微かな違和感を覚えた。


「外っていう感じがしませんね」


 いつの間にか、すぐ隣にジュリアンが立っていた。彼は窓から少し身を乗り出す形で外を眺めている。


「風も無ければ、匂いも無い。温度も湿度も部屋の中と変わらない。変だと思いませんか」


「そうだね。まるで、この学校ごと大きなドームの中にでもいるみたい」


 麻奈は自分で発した言葉をもう一度頭の中で転がしてみた。

 もしかしたら本当にそうなのかもしれない。この不可思議な場所で感じる息苦しいような閉塞感はきっとそのせいなのだ。現に、この校舎は透明な何かで覆われている。それは何かの加工を施したドーム状の建設物かもしれない。そうなると、出口は校舎の中ではなくて外にあるってことになる。

 しかし、と麻奈は頭を振った。此処に来た時は鏡を通って来たのだ、少なくともそこは出口の一つに違いない。


 麻奈の眉間はだんだんと狭まっていた。頭の中がこんがらかってきそうだった。

 こんな時にはとにかく動くに限る。思考の迷路に囚われてしまう前に、目の前にあるものに向かって行くのだ。


「ねぇ、ジュリアン。やっぱり踊り場の鏡を先に調べてみよう――」


 ピー……ガガァ……


 麻奈が最後まで言い終わらないうちに、教壇の上に付いているスピーカーから耳障りなノイズが聞こえてきた。


「何? 誰が放送なんて」


「しっ! 静かに」


 ジュリアンがスピーカーを睨んだまま、麻奈の唇に指を当てた。

 スピーカーからは今も耳障りな音が漏れている。麻奈も息を殺して聞き入った。暫くすると、ノイズに混じって微かに人の声が聞こえてきた。


『ここ・・・ガガァ・・・から・・・ピーられ・・・う・・・な・・・』


「何て言ってるの」


「しっ」


 スピーカーから流れる音は低くか細い。聴き取り辛いその声は、何を言っているのかさっぱり分からなかった。

 徐々にノイズが小さくなって声が幾分聞き取り易くなってきた。しかし、言葉が切れ切れにしか聞こえてこないので解読は難攻した。何度目かの放送を聴く内に、麻奈はようやく内容を繋げる事が出来た。


『ここから……で……られると……おもう……な』


「此処から出られると思うな?」


 麻奈は背筋に冷たいものが流れていった。隣ではジュリアンが小さく身じろぎをしている。

 スピーカーからは壊れたように、繰り返し繰り返し押し殺した声が流れている。低く抑揚の全く無い声。人の声ではないような、その淡々とした口調に麻奈は鳥肌が立った。誰かがどこかで自分たちを見ているのだ。


 麻奈はいつの間にか、ジュリアンの手を胸の前で握り締めていた。ジュリアンは震える麻奈に気が付いて、その肩を軽く引き寄せた。安心させるように、震える肩をそっと叩く。ジュリアンの手の温かさに麻奈の緊張は少し解けていった。


「麻奈、放送室はどこですか」


「え」


「この学校は麻奈の通っていた中学校にそっくりだと言っていましたね。だったら、放送室の場所は分かりますね」


 スピーカーからはまだ不気味な放送が続いている。麻奈がはっと気が付いたのと、ジュリアンが踵を返したのはほぼ同時だった。


「行きますよ」


 ジュリアンはそう言うが早いか、麻奈の手を引っ張って駆け出していた。その素早い動きに対応できずに、麻奈はジュリアンに引きずられるように後に続いた。


「どっちですか」


 扉を出た所でジュリアンが麻奈を振り返る。麻奈は遠い記憶を呼び起こそうとして、廊下の天井を凝視した。当時、あまり放送室には馴染みが無かったように記憶していたので、思い出すのに時間がかかってしまった。焦れたようにジュリアンが麻奈の手を強く握る。


「待って! えぇと――確か二階だったはず。……そうだ! 西側の校舎の突き当たり、サルーンさんの部屋の真下」


 ジュリアンはそれを聞くと麻奈の手を離して階段を駆け下りて行った。


「ジュリアン! 待って」


 一人でそこに取り残されるのが嫌で、麻奈もジュリアンを追って階段を走る。しかし、全力疾走のジュリアンには到底追いつかない。みるみる遠ざかって行く彼の背中を、麻奈は必死で追いかけた。しかしすぐに息が切れてしまい、どんどんふたりの距離は離れる一方だった。

 麻奈は、もう見えなくなってしまったジュリアンを追いかけて、二階にある自分の部屋の前をぜいぜいいいながら通過した。奥の廊下に、上等な幾何学模様の絨毯が敷かれているのを見て、顔を歪めた。その絨毯には見覚えがある。


 嫌な事を思い出してしまい、無理をしてでも早く通り過ぎようとした矢先、最も開いて欲しくない扉がガラリと開いてユエが出てきた。ユエは走る麻奈を見つけると驚いた顔をしたが、すぐに美しい顔を不機嫌に歪めた。


「お前か」


 麻奈はユエを無視してそのまま走った。ユエの脇をすり抜けようとした瞬間、突如長い手が伸びてきて走る麻奈の腕を強引に掴んだ。急に走りを止められて、麻奈は肩で息をしながらユエを睨んだ。


「急いでるの! 邪魔しないで」


「この不愉快な声は一体なんだ? どうしてあんな所から声が聞こえる?」


 ユエは廊下のスピーカーを顎で示した。


 どうやら、ユエはスピーカーを知らないらしい。ユエの国には無い物なのかもしれない。


「――来れば分かるよ」


 説明するのが面倒なのでそう答えて、麻奈はユエの手を振り払って走り出した。背後から舌打ちする音が聞こえたが、麻奈はそれに構わずジュリアンの姿を追いかけた。

いつも読んでいただきましてありがとうございます。

小説を評価して下さった方がたくさんいて、とっても驚いております。甘口、辛口どんな評価でもとても嬉しいです。

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