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無理難題 5

 麻奈は躊躇うことなくサルーンに近づいて行った。彼はさっと六本の腕を組んだ。それは、まるで彼が自分の身を守る姿のようだ。これ以上自分の中に踏み込ませないという無言のメッセージ。麻奈はそれに気が付いていたが、足取りを変えることなく彼に近づいて行く。


「私、此処から出る道を見つけます。貴方を家に帰してあげる。それが私からのお礼です」


 そう言ってサルーンを見上げれば、麻奈と視線を合わせない瞳が静かに左右に振られた。


「それは無理だ」


「どうしてですか?」


「お前も、聞こえているんだろう?」


 麻奈は大きく首を傾げた。彼の言いたいことがいまいち分らない。サルーンは視線を逸らすことがあっても、話を逸らしたことは今まで無かったはずなのに。


「どういう事ですか」


「何が聞こえるのかは、人それぞれだ。初めはただ聞こえるだけ。だが、段々それが見えるようになる。そして、そのうちに目の前に現れるんだ。まるで、すぐ側に本当に居るかのような圧倒的な存在感を持って――。 そうなったら、もうこの場所に囚われて抜け出せなく……」


 突然サルーンがびくんと体を震わせて動かなくなった。その瞳が、たちまち霞がかったように虚ろに濁ってゆく。

 俯いた彼の唇は震えていて、血の気が一気に引いてゆくのが分かるほどに青褪めていた。

 麻奈が心配になって声をかけようとしたその時、サルーンが突然顔を上げた。


「アリーシャ」


 ふらふらと覚束ない足取りで後ずさりながら、サルーンは自分を抱き絞めるように六本の腕を体に巻きつけた。


「アリーシャ、すまない。許してくれ」


 突然怯えたように謝るサルーンに、麻奈は唖然とするばかりだった。サルーンは麻奈の存在を忘れたかのように項垂れて、ぶつぶつと独り言を呟いている。

 一体なにがどうなったのだろう。様子のおかしいサルーンを前に、麻奈はどうして良いのか分からずに、ただおろおろするしかなかった。しかし、サルーンが苦しげな声を上げて膝から崩れ落ちるのを見て、慌てて側に駆け寄った。


「大丈夫ですか、誰か呼んで来ましょうか」


 サルーンの横に膝を付いて、苦しげに荒い息を吐く彼の顔を覗き込んだ。その額には脂汗が浮き出ていて、体は小刻みに震えている。何か悪い病気の発作のようにも見える。

 麻奈はサルーンの背中に手を触れた。じっとりと汗が滲んでいる。遠慮がちに背中を撫でると、サルーンは顔を上げて縋る様な瞳で麻奈を見つめた。

 何か言いたげに彼の唇が動いたが、そこから言葉は出てこなかった。いよいよ彼の顔色は悪くなり、麻奈は誰かを呼んで来ようと腰を浮かせたその時、サルーンが突然動いた。


「アリーシャ、そんな目で見ないでくれ……。そんな目で、俺を見るなぁっ」


 サルーンは突然腕を振り回して麻奈を払い退けた。サルーンの長い腕が鞭の様にしなり、麻奈のわき腹にそれがめり込む。一瞬息が詰まるほどの強い衝撃を腹に感じて、麻奈の視界は大きくぐるりと回転した。

 サルーンに殴り飛ばされたのだと理解する前に、麻奈の体は激しく床に叩きつけられていた。


 体が動かない。麻奈の意識は、徐々に暗い淵へと沈んでいった。








「う……痛ぁ」


 どの位気を失っていたのだろうか。気が付くと、麻奈は埃だらけの床に頬を付けて横たわっていた。

 何が起きたのか理解出来ずに、ごほごほと咳き込みながら、ぼんやりと床の模様を見ていた。

 ずきずきと痛む脇腹が妙に気になる。頭だけ動かして周りを見渡すと、部屋の隅に何か大きな塊がある。

 目を凝らしてよく見ると、それはこちらに背を向けて巨体を丸めたサルーンの背中だった。その背中は小刻みに震えていて、そこから切れ切れに彼の苦しげな独り言が聞こえてくる。

 麻奈は起き上がろうとする。しかし、体のどこにも力が入らない。


「サ、ルーンさん……」


 どうして? の言葉の代わりに咳が込み上げてきた。


「はい、そこまで」


 コツコツと響く軽快な足音を伴って、ジュリアンが涼しげな声で部屋に入ってきた。彼は目を丸くする麻奈の元に跪くと、立てますか? と声を掛ける。

 無言で頷くと、ジュリアンは麻奈を抱き起こしてから肩を貸して支えてくれた。


「ジュリアン、サルーンさんが」


 掠れた声で訴えるが、ジュリアンは首を横に振った。


「ああなったらもう手に負えません。今は此処を離れましょう」


「でも……」


「私達に出来る事はありませんよ。また殴り飛ばされるだけです」


 麻奈は後ろ髪引かれる思いだったが、大人しくジュリアンに従った。今の自分には何も出来る事はないのだ。それに、息をするだけでもわき腹に激痛が走る。麻奈は体を動かす度に走る痛みに、息を詰まらせながら廊下へ出た。


「リーズガルドの所に行く前に、怪我の手当てをしましょう。放っておいても治りますが、痛むようですね。それに、雑菌が入ったら大変ですから」


 ジュリアンが麻奈の二の腕の傷を指しながら提案する。麻奈は今の出来事のショックが抜けきれずに、こくりと頷く事しか出来なかった。

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