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遭遇 6

「まずは、麻奈の部屋を決めましょう」


 ジュリアンは足取りの重い麻奈を伴いながら廊下を進む。


「今はほとんど学校になっていますが、探せばまだホテルだった頃の部屋が残っているかもしれません」


「ホテル?」


 麻奈が首を傾げた。たったそれだけの動作なのに酷くだるい。


「えぇ。少し前まで、此処はホテルだったんです。探せばまだ一部屋ぐらい残っているかもしれません」


「良かった、ベッドで寝られるんだね。最悪、机を並べてそこで寝るのかと思ってたよ」


「それは、痛そうですね」


 ジュリアンが呆れ顔で言った。

 二人は手近な教室を、一部屋ずつ探して回ったが、どこも机が並べてあるだけのただの平凡な教室だった。そろそろ当たりを引き当てたいところで、麻奈が思い出したように口を開いた。



「そういえば、此処って私の中学の時の校舎にそっくり」


「何ですって?」


 麻奈の何気ない呟きを耳にして、ジュリアンが振り返った。


「え? ほら、このジャージなんかそのまんま私の中学校の時のものだよ」


 麻奈は、傍のロッカーから取り出した紺色のジャージをジュリアンの目の前で振って見せた。ジュリアンは驚いてジャージを見つめている。どうやら、小物まで細かく再現されている事に驚いているようだ。


「全く。考えても、考えても此処の謎は答えが分らない――。最早、これは怪奇現象なのではないかと思えてきますよ」


 ジュリアンは深いため息をつくと、軽く目頭を揉んだ。彼は一旦考えるのを止め、解けない謎を頭の中から追い出すことにしたようだ。









「あぁ、有りましたよ」


 暫くして、二人はようやく目当ての部屋を見つけることが出来た。ジュリアンは、『2-4』の札がかかっている扉をからりと開けて麻奈を手招きした。それを受けて、麻奈は横開きの見慣れた扉の脇から中を覗いてみた。

そして、驚きのあまり口が半開きになった。

 そこは、眩しいほどに白い小奇麗な部屋だった。床は白く光る大理石で出来ていて、アンティークのソファー二組にサイドテーブル。部屋の奥にあるダブルベッドには、世の女性達の憧れである天蓋がついている。麻奈は嬉しさを抑えきれずに、夢見る様に胸の前で手を組んでいた。


 しかし、ジュリアンは部屋を見渡して眉を寄せた。部屋の隅に置かれた場違いな物が気にかかったのだ。

 ジュリアンは部屋の隅に近寄ると、それに手を触れてみた。そこにあるのは、巨大な水槽だった。天井まで届きそうな高さと、大人が両手を広げてもまだ余裕がある幅。奥行きもかなりあるようで、巨大な鮫でも楽に入れる事が出来そうだ。

 しかし、こんなに大きな水槽はこの部屋には似つかわしくない。おまけに、中は水で満たされてはいるものの、魚は一匹もいなかった。麻奈も不振に思って水槽に近づく。


「コレ、何かいたのかな? ジュリアンの所では客室に水槽があるのは普通の事?」


「いいえ。観賞用の魚がいるのならまだ分かりますが、こんな水だけの水槽を客室に置いたりはしません」


 ジュリアンは水槽に顔を近づけたが、何かがいた痕跡は見つけられない。水は透明で浮遊物は何もなかった。


「よっぽど大きな魚を入れるつもりだったのかな? ……まぁ、いいや。ちょっと邪魔だけど、生活するのに問題はないし。それより、バスルーム見てくる」


「あぁ、使い方が麻奈の時代と少し違うかもしれません。説明しますよ」


 ジュリアンが後を追ってきた。


「ん? ってことは、ジュリアンの馴染み深い場所っていうのがこのホテル?」


「えぇ、そうですよ」


 ジュリアンはあまり話したくないのか、それだけ言うと麻奈の背中をとんと一つ押して、一緒にバスルームへと入った。麻奈は、男の人と一緒にバスルームに入るのが何となく恥ずかしかったが、中に入ってみて更に驚いた。

 大きなドレッサー付きの脱衣所の奥には、床に埋め込むタイプの丸い湯船があり、その隣にはシャワーブースまで付いている。ドレッサーの上には様々なアメニティーが並べられていて、引き出しを開けると化粧品まで揃っていた。


「うわぁ、何か無駄に豪華だねぇ。当然の様に大理石だし」


「気に入りましたか?」


「それはもう」


 ジュリアンはなぜか得意げに笑うと、浴槽の傍にあるボタンを指差した。


「このボタンが浴槽にお湯を溜めるもので、こっちがジェットバス。これはバスソープに間接照明。シャワーは此処に手をかざすと出てきます。此処に立つとエアータオルです」


 説明を受ける麻奈の目はキラキラと輝いていた。


「脱衣所に洗濯乾燥機があるので、汚れた服はそちらで洗って下さい」


「え、そんなの無かったよ」


 ここです。と言ってジュリアンがドレッサー脇のボタンを押すと、壁から四角い箱が迫り出してきた。どうやらこれが洗濯機らしい。


「はぁ、何かすごく便利だね。指先一つで何でも出来ちゃう」


 ジュリアンはやはり得意げに笑う。


「他に分からないことがあったら呼んで下さい」


「ありがとう」


「では、ゆっくり休んでください。肉体的な疲労は問答無用でなかった事にされますが、精神的な疲労はどんどん蓄積されていきます。一度睡眠をとるのがお勧めです」


「そうする。何だか色々あり過ぎて頭がパンクしそう」


 ジュリアンの言葉通り、麻奈に肉体的な疲労はもう残っていなかった。あれだけへばっていたのが嘘の様に、いつの間にか疲れが消えてしまったのだ。今から校庭を走ってくる事だって出来そうだ。しかし、なぜだか気だるい疲労感がこびり付いているような気がしてならない。


「それでは、お休みなさい。起きたら私の部屋に来てもらえますか。残りの人達を紹介しますから」


「ジュリアンの部屋はどこ」


「私は三階の『1-2』と書かれた部屋にいます」


 途端に麻奈の顔が曇る。


「遠いね。三階にまだアノ人がいるかもしれないし――」


 麻奈は無意識にジュリアンの袖を掴んでいた。それを見てジュリアンは、やんわりとため息を吐いた。自分の袖を掴む麻奈の手を優しく剥がす。


「では、暫くしたら私が迎えに来ます。此処の時計は止まっているのでいつとは言えませんが、それでもいいですか」


「うん、お願いします」


 麻奈は大げさなほど頷いた。一人で廊下はしばらく歩けそうにない。


「あ、もしも迎えに来た時に私がまだ寝てるようだったら、部屋に入って直接起こしてくれる? 私、ノックの音で起きる自信がないから。それじゃあ、早速お風呂使わせてもらうね」


 そう言うと、麻奈はくるりと踵を返してバスルームへと消えて行った。後に残されたジュリアンは何ともいえない顔でその場所に立ち尽くしていた。


「直接起こして良いって――。麻奈はついさっき会ったばかりの男に寝姿を見られても平気なのか?」


 ぼそりと呟きながら麻奈の部屋を後にする。その顔には今まで見たこともないような暗い笑みが浮かんでいた。


「信用している、という事か? だとしたら、とんだ勘違いだよ」


 ジュリアンは自嘲気味になおも笑う。


「私がどんな人間なのか知ったら、君は一体どうするのだろうね」


 ジュリアンの靴音が夕焼けに染まった静かな廊下に響いてゆく。

 不意に立ち止まり、彼は自分の足元に目を落とした。透けることなく夕日を反射している革の靴。そして、消えかけた足。もう膝まで透けている。きっと足の先は完全に透明になっていることだろう。


 消えていく体。

 廊下の壁を見ると、そこにも鏡が掛けてあった。ジュリアンは鏡の中の自分と目が合い、笑みを深めた。

 ジュリアンは考える。もしかしたら、自分はもう狂い始めているのかもしれない。

 麻奈に最初にした忠告を思い返してみた。此処に住む人達に気をつけろと、自分は確かにそういったはずだ。


「それは勿論、私も含めて」


 ジュリアンは楽しそうに独り言を続けながら、足元に伸びる影を見つめた。影の足は透けることも無く、長く長く伸びている。ジュリアンは一人くつくつと笑う。とても楽しくなってきた。


 麻奈が自分の過去を知ったら、一体どう思うのだろう。もう話しかけてもくれないだろうか。それとも、目線さえも合わせなくなるかもしれない。

 そんな想像をしながら、しかしとジュリアンは思う。此処に来るように選ばれたという事は、麻奈にも後ろ暗い過去が有るという証拠なのだ。なぜならば、此処に招かれるのは胸に罪悪感や後悔を抱えている者ばかりなのだから。


 紅い廊下にまた靴音が響く。

 コツコツコツコツ……


「所詮は同じ穴の狢。ならば麻奈の望む『いい人』を続けるのも悪くないかもしれない。君はどんな黒い過去をもっているんだ? せいぜい、化かし合うとしよう――私が正気でいられる内は」


いつも読んでいただきありがとうございます。お気に入り登録や、評価してくださった方がたくさんいて、驚くと同時に恐縮しています。本当にありがとうごさいました。

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