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奇妙な迎え 1

 夕暮れ時には何かが起こる。昔から人々はその時刻を逢魔ヶ時と呼んで恐れてきた。なぜ、そう呼ばれるのか……。それは、文字通り「逢う」からだ。魔と呼ばれるモノに。





 腕時計を覗き込みなから、水上麻奈は誰もいない廃校の前で一人悩んでいた。目の前の廃校に侵入して近道をするべきか、それとも普段使う道を通って見たいテレビ番組を見逃すか。


 今日に限ってバスが遅れるなんて本当についていない。こんなことなら最後の講義を欠席して、早く帰ってくればよかったと麻奈は後悔していた。


 今日は朝から小さな不運が重なっている。麻奈は襟元にそっと手をやった。いつの間にか、一番上のボタンがぐらぐらと揺れている。あと一息で取れてしまいそうだ。おまけに、さきほど何かに引っ掛けて破れてしまったレギンスを見ると、ため息がこぼれてくる。ショートパンツから伸びる太ももの裏側に引きつれたような破れ目が出来ていて、そこから日に焼けていない肌が覗いていた。


 この破れ目のせいで、どんなにバスの中で恥をかいたことか。麻奈は今考えただけでも、恥ずかしさで消えてしまいたい思いに駆られる。


 もう一度時計に目をやった。こうして迷っている間にもどんどん時間は進んでいく。辺りは日が沈みかけているせいで薄暗く、廃校には不気味な影が落ちている。僅かに西の空が茜色を残していたが、濃い藍色に押し出されて今にも消えそうだ。


 散々考えた挙句、麻奈は錆だらけの校門をそっとずらし、意を決して中に足を踏み入れた。どうしても今日のドラマは外せない。何しろ最終回なのだ。


 久しぶりに人を招きいれたであろう学校は、奇妙なことに喜んでいるように麻奈には感じられた。麻奈はきょろきょろと辺りを見渡した。校庭には200メートルトラックの痕が所々剥げかけながらも未だに残っている。


「夜の学校って気味悪いなぁ」


 大きな学校である。生徒数もかなり多かったのだと容易に想像できるが、地方の公外に建てられたこの学校は、少子化が進んだために何年か前に廃校になってしまっていた。もっとも、大学に通うために一年前に引っ越して来たばかりの麻奈にはそれ以上の事は分からないのだが。


 草雑だらけの寂しい校庭を抜けて、校舎を迂回するように歩き出した。L字型の校舎をぐるりと回ると、奥には中庭と体育館がある。その先にある裏門を通り抜けようと麻奈は考えていたのだ。ここに入るのは初めてだが、近くを通る度に何となく目をやっていたので、大まかな造りは知っていた。


人気の無い校舎は静まり返っていて、校庭に流れる空気までひんやりと冷たく感じる。それはきっと、ただ単に日が沈んでしまったからだと思うことにした。


 人の居ない建物は傷むのも早い。校門には錆が浮き出ていたし、コンクリートの校舎もあちこち色褪せ、ひび割れていた。それらを見ていると、何とも物悲しい気持ちにさせられる。


 一つ身震いしてから、麻奈は殆ど駆け足で校舎を迂回して裏口へと抜けて行った。脇目も振らずに走っていたせいだろう、校舎の中からじっと自分を追いかけるたくさんの視線に、ついに麻奈は気付く事は無かった。









 家に着いてから、麻奈はまずテレビの電源を入れた。


「間に合った」


 それから破れてしまったレギンスを脱ぎ捨て、買い置きしている冷凍食品を電子レンジに放り込んだ。朝のうちにタイマーでセットしていたご飯を茶碗によそっている間に、テレビからドラマの主題歌が聞こえてきた。一度見たことがある再放送だが、麻奈の好きな俳優が出ているので毎日欠かさず見ている。


 麻奈は茶碗を持って慌ててテレビの前に座った。一日の中で一番好きな時間だ。しかし、今日はその時間をゆっくりと味わう事は出来なかった。なぜなら、テレビの前に座ると同時に、ピンポーンと間延びしたチャイムの音が玄関から聞こえてきたのだ。


「信じられない! こんな時に」


 麻奈はイライラしながら乱暴に鍵を開けた。このアパートのドアには覗き穴が付いていない。勿論、モニターは言わずもがな。そのため、来客のたびに警戒しながらドアを開けなければならない。しかし、今日は早くテレビの前に戻りたかったために、麻奈は勢い良くドアを開け放った。


 ドアを開けると、そこには若い男が立っていた。麻奈は見覚えのない男を見て眉を寄せた。宅配便や新聞関係の者では無いのは一目で分かった。


 男は胸の開いたセーターを着て、その上にラフなジャケットを羽織っていた。光沢のある細身の黒いパンツと黒光りする皮の靴、指にはたくさんのリングが光って見える。両耳にはピアスがずらりと並んでいて、開いた胸元にはシルバーのネックレスが幾重にも巻かれていた。


「こんばんは」


 男がそう言って丁寧にお辞儀をすると、彼の胸のネックレスがシャラシャラと音を立てて鳴った。


「どちら様ですか」


 麻奈の声は固い。男の整った顔立ちは良く見れば麻奈の好みなのだが、何とも言えない奇妙な違和感を彼から感じた。はっきりいって胡散臭い。怪しむ麻奈を気にも留めず、男はにこやかに笑って言った。


「夜分遅くに申しわけありません。突然の訪問にさぞ驚いているでしょうが、どうしても貴女にお聞きしたい事がありまして」


 麻奈は眉間の皺を深くした。男は構わずに話しを続ける。


「貴女、先ほど何処かに立ち寄りませんでしたか」


「……は?」


 思わぬ質問を受けて、間の抜けた返事を返してしまう。なぜそんな事を聞かれなければならないのか、さっぱり分からない。麻奈は完全に不振人物を見る目つきで男を眺めた。


「失礼」


 男はそう言うと、麻奈の左腕を素早く掴んだ。慌てる麻奈を無視して、男は掴んでいる麻奈の腕を顔の近くまで引き寄せた。どうやら腕時計を凝視しているらしい。覗きこむように俯いている男の頬に、癖の無い黒い髪がさらさらと落ちてきて、麻奈はつい男に目を奪われていた。


 男が目線を上げる。前髪越しに男と眼が合い、気まずくなって麻奈の方が先に視線を逸らした。男はくすりと笑うと、腕をそっと放した。


「やはり、私達の前を通ったのは貴女ですね。この止まった時計が何よりの証拠です」


「え、そんな? 電池入れ替えたばかりなのに」


 その時の麻奈は、腕時計を確かめる事に夢中で、男がドアをゆっくりと閉めた事に気が付かなかった。

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