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頸部切断物語

作者: はじ



 ―頸部物語―


 首を切断するという行為にはどれだけの意味があるのだろう。

 胴体部と頭部を連結している頸部を剪断する。頭と体のどちらに人間の意思が宿っているのかは知りえないが、その行為を行うことで人一個体の意思を摘み取ることができる。

 即ち、首を切ることで人を殺せるのである。

 僕の眼球が捉えた映像は視神経を介し脳へと昇り処理される。そして僕の脳が下した思考は神経を流れ、首を伝い全身を廻る。現状の認識をし、行動しろと。

 先ずは現状の認識。

 お世辞にもきれいとは言い難い一室。杉らしき素材で作られたテーブルの上には雑然と置かれた書物たちが折り重なりあい、僕の目の前で一つの個体と化している。淡いグリーンをしたリノリウムの床には所々にくすみが見受けられ、部屋の隅には埃の塊が構築されている。

 目を動かして部屋の中を観察する。

 壁にかかっている古時計――二本の針が三と八の数字を指し示している。

 硬く閉ざされた長方形の扉。見るからに堅牢そうで相当の重量があるように思われる。その扉のノブは赤く絢爛な装飾が施されているように見受けられた。

 錆の赤みとは似て非なる色彩。もっと艶かしく、鼓動が高鳴るような……

 ――そうか。あれは、血か。

 近づいて見に行くことは出来ないが、あれは血がこびり付いた跡なのであろう。恐らく、誰かが血の付着した手であのノブを掴みドアを開いたのだ。

 ノブの銀色を鮮血がじくじくと侵食している。世界を蝕む害悪のように、少しずつゆっくりと――だが確かにその侵攻は進んでいる。

 血は人という機関を動かしている動力だ。水車で言うところの流水に当たるだろう。その動力たる血液が枠外、即ち体外に溢れ出すことを出血と呼び、出血は人の機能を徐々に鈍らせ、やがては停止させる。

 血は命の源とも言えるだろう。

 その命の源がドアノブにべっとりと付いている。これは何か事件性を感じざるを得ない。

 僕は血の付着したノブから視線を右側へと移す。――大きな本棚。中には暗い配色のハードカバーが背を揃えて整然とした列を形成している。どうやらこの部屋の主は相当の読書家か文献収集家のようだ。

 ここにも血の痕。

 下から二段目に並べられている書物たちの背に、赤い斑点のような血が付着していた。点々と、スポイトから水滴を垂らしたかのような赤い血が本に塗付されている。

 僕は本棚からさらに右方へと視線を移す。そして、『それ』を発見した。

 それは眠り姫のように美しく寝ている――死体だった。

 シンデレラが着ている純白のドレスと見紛うほど美麗で白々としたワンピース。その胸の前には細く綺麗な指が絡められていて、より死体の神聖さが増している。

 死体の完成形に限りなく近いものがそこにはあった。

 限りなく近い、と表現した理由はその死体に欠落した部位があったからだ。

 顔だ。

 正しくは頭部。

 その疑似完成形には頭がなかった。

 白夜のように曖昧で茫洋とした首の先には、夕日の濃度を倍にしたかのような血溜まり。首の先からまだ血が溢れ出ているようで、粘性を持ったその液体はリノリウムの床を生き物のようにゆっくりと這っている。

 ――彼女は一体『だれ』なんだ。

 僕の知り合いだろうか。はたまた、全くの他人なのであろうか。彼女の顔を見ることができない限り、その問いへの解は導き出せない。

 しかし、彼女が着ている白漂のワンピースには見覚えがあった。僕がとても好きだった服だ。もしかすると、彼女は僕の知り合いなのだろうか?

 そして、最大の疑問。

 なぜ、僕はここにいるんだ?

 血の巡りが悪くなっているようで、頭が痛い。僕はなんでここにいる。そもそも僕は誰だ。思い出せない。

 いや――元々知らないのか? それすらも僕は分からない。

 僕は、自分のことを知っているのかということすら知り得ない。

 ここはどこで、彼女は誰で、僕は誰で――僕は何故このような場所にいて、彼女はどうして首がないのか。

 その全ての答えが分からない。

 痙攣する喉から空気が漏れる。頭の痛みがさらに顕著になっていく。冷静になるために頭の中で情報を整理することにした。


 ――先ず、この部屋。

 どこかの司書室のようなこの一室。僕はこの部屋に全くといっていいほど見覚えが無い。

 ――次に、首がない彼女。

 彼女の首は切断されていて、どう見ても事切れている。

 ――最後に僕。

 自分のことながら、誰なのか分からない。記憶がないとは少し違う。頭に霞がかかっているような――どこかはっきりとしない様。思い出せない、というのが一番近似している気がする。

 この三つの事柄から容易に行える推理。

 それは、僕が彼女を殺したのではないかということ。この部屋に見覚えがないことや自我の喪失は、単純に僕がそのことを忘れてしまった――もしくは意図的だが不作為に記憶に鍵をかけて脳の隅に隔離してしまった、のどちらかだと考えられるだろう。

 少し無理やり過ぎるだろうか?

 自身の記憶に関する推理はいささか強引な気はするが、彼女を殺したのは僕、というのは強ち間違いではないと思う。

 僕は彼女の服に見覚えがある。

 この事実は自分のことが分からない僕にとっては重大な意味を持っているはずだ。この事実から、生前の彼女と僕は知り合いであった可能性が生まれる。

 僕と、首の無い彼女には何らかの関係または因縁があり、それが原因となって僕は彼女を殺めてしまった。

 こういった筋書きが一番しっくりとくる。


 僕は首なしの彼女を凝眸する。

 彼女と僕は知り合いだったのだろうか。僕は彼女の素顔を想像してみる。

 天上に座する太陽のように白い肌には、薄く紅がさした頬。細く引き締まった淡い唇。山なりの眉の下には、月輪のように丸く輝く瞳。

 目を閉じれば顔の部位は容易に想像できるのに、その全体像は思い浮かべることができない。それがとても悔しかった。

 ――僕は、彼女のことが好きだったのだろうか?


 何故だろう、すごく眠い。瞼が重力に耐えられなくなったのだろうか。頭がぼんやりとする。小気味よく鳴る時計の秒針が微睡へと誘う。

 心地よい音につられるかのように、僕は時計を見上げた――

 大小二本の針が三と八の数字を指していた。


 ――あれ?


 最初に時計を見た時から、針が動いていない?

 なぜだろう、首の下が、冷たい。

 霞んだ視界を凝らして、ぼくは、視線を下に向ける。

 赤い、あかい水溜りが、ぼくの首の下に広がっていた。

 赤が拡張する様は、世界を犯していくようでとても可笑しかった。

 そして、ぼくは全てを理解し、瞼を下ろした。


 

 

 ―切断物語―


 僕は彼女の首を切断した。

 絹のような白い肌をした首に何度も肉切り包丁を叩き付けた。血はそれほど飛び散らなかった気がする。

 頭と体を切り離し個の性質を失った彼女からは、破裂した水風船のように鮮血が溢れ出した。不思議と怖くはなかった。何故だろう。彼女が願ったからだろうか。

 首を切ってくれ、と。

 僕は彼女に懇願されて首を切断した。

 僕と彼女の関係は所謂、恋人の関係であった。

 互いが好きなものを好きになり、悲しいときは一緒になって泣いて、嬉しいときは一緒に笑った。僕たちは幸せだった。

 僕は彼女が望むもの与えようと努力したし、彼女は僕の願いを叶えようとした。二人で一人。僕たちは、二人揃って始めて一人の人間だった。

 このまま僕らは結婚して家族となり子供が出来て、その子供に看取られて二人一緒に死んでいくものだと僕は思っていた。そうなることを願っていた。

 しかし、彼女はそう願わなかった。

 ――首を切ってくれない?

 僕には、彼女の淡い唇から発せられた言葉の意味が理解できなかった。幾秒もの時間をかけて漸く脳がその趣旨を咀嚼した。

 僕の願いと彼女の願いは違っていた。微分と積分くらい違っていた。

 僕は愛すべき彼女と一緒に死にたかったが、彼女は愛すべき人に殺して欲しかったのだ。

 彼女の思考は理解し難かった。僕は彼女とずっと一緒にいたかったし、いつか訪れる最期の日は彼女と一緒に迎えたかった。少しだけ胸が辛かった。僕と彼女は二人で一人ではなかった。一人と一人だったのだ。

 それでも僕は彼女の考えを受け止め飲み込み、望みを叶えることにした。

 彼女の首を切ることにした。

 何故、首を切るのかは分からなかった。彼女に聞いてもそれだけは教えてくれなかった。

 最期の彼女は、僕が一番好きな洋服を着てくれた。白くて美しいワンピース。それを着た彼女はとても綺麗だった。

 睡眠薬で意識を落とした彼女を、僕は市立図書館の司書室に運んだ。僕はこの図書館でアルバイトをしていて作業をするには一番都合がよかったからだ。

 まるで死んだかのように眠っている彼女をそっと床に降ろし、僕は鞄の底から鈍い光を瞬かせる肉切り包丁を取り出した。その名の通り、肉を切る刃物だ。

 その肉を切る為だけに生み出された金属を――僕は彼女の首に、振り下ろした。

 何度も何度も、何度も何度も。機械のように振り下ろした。

 その時の僕は本当に機械のようだった。そもそも、人と機械の違いって何なのだろう。

 そんなことを考えている内に、気が付くと、僕の腕の中には彼女の頭があった。

 彼女の顔は薄っすらと笑みを零していた。その笑みを見て、僕は知った。僕の目からは涙が流れていた。

 彼女は笑っていて、僕は泣いていた。やはり僕たちは、一人と一人であった。

 笑うこと、泣くこと。相反する二つの感情。

 いや、笑い泣きというものも存在するな。なら、笑うことと泣くことは対立の関係ではないのだろう。これも微分と積分のようなものか。

 僕は立ち上がり、彼女を机の上に置いた。本当はいつまでも腕の中に抱いていたかったが、距離を置かないと見えてこないものもあるだろう。

 彼女はとても綺麗だった。死んでいるようには見えなかった。

 ふと、彼女の瞼が僅かに痙攣したのを見て、僕は急に恐怖を覚えた。彼女を殺してしまったことに対してではなく――もし、このまま彼女の瞳が開いてしまったら、僕は彼女を殺し損なったことになる。そうなると彼女の願いは叶わなかったことになってしまう。

 それがとても怖かった。

 今まで僕は、彼女の望むすべてを叶えてきた。それに例外はなく、彼女の最期の望みも叶えるつもりだった。ここでもし、彼女の瞳が開いて話し出してしまったら、僕は彼女の望みを叶えることが出来なかったことになる。

 僕は慌てた。願いを叶えることができなくて、彼女に失望されたくなかったからだ。

 大いに狼狽し、逡巡し、苦悶した末に出した答えは、現状から逃げることであった。

 急いで包丁を鞄に戻し、僕は司書室の堅牢そうな扉から外に出て部屋に鍵をかけた。

 司書室の鍵はこの一つしかない。学生時代から勤勉にアルバイトを続けていた僕は、職員の人から信頼されていたのだろう。僕は一つしかない司書室の鍵を任されていた。その鍵をポケットにそっと仕舞う。

 この鍵さえ大切に仕舞っておけば、この扉が開くことはない。この扉さえ開かなければ、彼女の瞳が開いたかどうかの事実を知ることを先延ばしにすることができる。延滞に過ぎない対処だが、今の僕にはこの方法が最善に思えた。

 そう、この扉さえ開かなければ、僕は彼女に失望されることはない。

 僕は腕時計で時間を確認した。――八時十五分。

 あと四十五分経てば図書館が一般に開放される時間だ。夏休みのこの時期は多くの人が訪れる。現に昨日も多くの夏休み中の小学生たちが訪れた。

 僕は自分に言い聞かせるようにひとり言を口にした。

 「大丈夫、鍵は僕が持っている」

 言い聞かせることで少しだけ安心することが出来た。安らぎとともに、僕はあることに気が付いた。気が付いてしまった。

 ――これでは、僕は彼女を殺したことを隠したいみたいじゃないか。

 そんな心算は微塵もないのに僕の鼓動は少しずつ音を高めていく。口の中に異常なほどに唾が溜まり、それを飲み込んだ。

 ――僕は、どうすればいい?

 僕は彼女の願いを叶えたかっただけだ。結果として彼女を殺めることになったが、それを誰が咎めよう。僕は彼女の願いを叶えただけだ。

 いや、違う。頭が混乱していて冷静になりきれていない。

 僕は間違いなく罪を犯した。しかも、それは子供でも知っている罪。

 人を殺してはいけません。

 どんな経緯であれ、僕はそれを行ってしまったのだ。決して許されない。許されようとも思わない。

 僕は、彼女の首を切ると決意した瞬間からその罪を背負う気でいた。

 彼女の願いと僕の望みは似てはいたけれど、その終着点へと辿り着く過程が違っていた。

 僕と彼女は手を繋ぎ同じ道を歩んでいた。同じ速度で、同じ道を。

 僕は彼女と同時に終点へ辿り着くことを望んでおり――彼女は僕に手を引いてもらいその終点へと辿り着くことを願っていた。

 そして、僕は彼女の願いを叶えるために手を引いた――

 自信の犯した罪は認めよう。

 彼女も僕なら何の迷いもなく願いを叶えてくれると思ったから、終着点への道連れは僕という個を選んだのだろう。彼女と過ごした時間はほんの僅かな時間であった。でも、彼女と同じ道を歩み最期の願いを託されたことを僕は誇りに思っている。

 汗で湿った手でポケットの鍵を強く握り締める。硬く角ばったそれは僕の軟らかい指に食い込んだ。彼女の白い首を切断した金属のように、食い込み蝕んだ。

 僕は陰惨とした気持ちを払拭するかのように大きく息を吸った。湿った空気が口内を潤し幾分か気持ちが安らぐ。

 僕は意を決し、背後の司書室に戻ることにした。

 鍵穴にカギを差し込むと、頭の中の鉛が溶解したような心地よさを感じた。ノブを引いて扉を開く。床一面を覆う量の血液が真っ先に目に入った。鼓動の高鳴りと吐き気をぐっと押さえ込み――慎重に部屋へと踏み入った。靴の裏に血の粘り気を感じながら部屋の中央に置かれているテーブルへと足を進める。書物の山の陰から彼女の頭部が見え隠れする。

 僕は思わず息を止めた。

 彼女を失った悲しみが怒涛のように押し寄せ胸の中で息巻く。巻いた渦は涙となって瞳から零れ落ちた。

 僕は、なんてことを、してしまったのだろう。

 止めるべきだった。

 僕は彼女の願望を止めるべきだった。彼女の願いを叶えられるのは僕だけ――そんな慢心は捨て去るべきだった。

 彼女を殺してまで僕は彼女に好かれなくはなかった。

 

 彼女の顔が歪んで見える。きっと視界が涙で霞んでいるんだ。

 今更、後悔なんて遅い。そんなことは知っている。でも――

 でも、最後にこれだけは自分の目で確認しておきたかった。

 彼女の瞳は開いているか。

 テーブルに彼女の首を置いたとき、微かに彼女の瞼が動いたように見えた。それを見た僕は気が動転してしまいその場から逃げ去ってしまったがあれは真実だったのであろうか? 僕の見間違いだったのだろうか?

 あの後、彼女の瞳は開いたのだろうか?

 僕は袖で涙を拭う。視界が少しずつ明快になっていく。


 彼女の瞳は綺麗な一文字を画いていた。


 嗚呼。

 僕は彼女の最期の願いを、叶えてしまったのか。

 

 それは、

  嬉しくもあり、悲しくもあり、

   寂しくはなく、楽しくはなかった。


 これは僕の頸部を切断した物語。



 ミステリー小説を読んでいると頻出する「密室」という要素。それぞれの作家さんたちが工夫を凝らして創る密室のトリックは、すばらしいものが多く、自分ではとても思いつけないよなものばかりです。

 じゃあ、無理やりにでも自分で「密室」を作ってみよう。

 これは、そう思って書き上げた作品です。

 

 感想、意見、アドバイス等ありましたら是非お願いします。

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[一言] 面白かったです。 「二人で一人じゃなくて、一人と一人」っていうのがいいですね。なんだか胸に残る言葉です。 最後、彼女がホラー的未知の力で目を開けて生きているのか、それとも常識的に死んでいるの…
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