ショート:雪だるまの冷蔵庫
「冷蔵庫なんてよく壊せるよね」
背中を向けていた僕に、呆れたような口調でサチエは言った。
「五年ばかり一人暮らしをしているけど、そんな経験ないよ」
作業がもうすぐ終わりそうだったので、その言葉をひとまず無視する。エンターボタンを叩き、プログラムを走らせると、先ほどまで静かだった冷却ファンが音を出し始めた。うちのパソコンのスペックならば、半日もあれば解析結果が出てくるだろう。あとは待つだけだ。モニターの電源を切って、背を伸ばした。
「お前の辞書には慈悲という言葉はないのかね」
座椅子を回転させて、コタツに足を入れながらそう答えた。サチエは持参した小さなぬいぐるみ(タヌキだろうか?)を強く抱きしめながら、僕を睨みつけている。
「あるけど使わないだけ」
そう言って、僕のすねを蹴っ飛ばした。
「タツヤが出張から帰ってきて、ひさしぶりに会えたと思ったのに、ずっとパソコンと睨めっこなんだもん。そんな人に優しさをわけることはできないよ」
「僕だって、せっかくの休みをこんなことに使いたくないよ。でもね、今から計算させておかないと、明日までに間に合わないんだ。遅刻する覚悟があるなら別だけど。本当だったら、部屋をあけていた間に、この計算は終わっていたはずだったんだ」
「でも、ブレーカーが落ちてしまったと。それで、冷蔵庫もダメになったと、そういうことをいいたいわけ?」
「そういうこと。でも、まさかブレーカーが落ちるなんて思わなかったよ。他にパソコンを二台起動させていたのが問題だったのかな? とにかく、原因は不明」
「大方、こたつの電源でも入れっぱなしだったんじゃないの」
サチエはため息をついた。
「だいたいさぁ、普通、ブレーカーってキッチン用とか、分割されているんじゃないの?」
「見ての通り、六畳のワンルームという貧相な部屋だからね。全部まとめてあるのさ」
「最悪。これから、どうするの? 冬まっさかりといっても、部屋の中は温いから、野菜とかダメにならない?」
ふむ、と手を顎にあてて考え始めた。ヒゲが伸びているとか、サチエはどうしてぬいぐるみをいつも手放さないのだろうと、雑念が浮かんでは消える。
そして、冗談めいた考えが形を成した。
「雪を使って、冷蔵庫替わりにするか」
「……はい?」
「せっかくの雪国だ。使わないのはもったいないから……ごめんなさい、冗談です」
思ったよりも反応が薄かったので、すぐに謝った。寒いジョークを引っ張ることほど、寒いものはない。しかし、彼女は感銘を得たかのように、手を叩いた。
「いいじゃない、それ。雪の冷蔵庫。うん、なんとなく素敵だね」
《なんとなく》という表現を使うことから、これはサチエの嫌がらせなんだろう。そう思いながらも、僕は彼女の提案に乗ることにした。身から出た錆だけど、彼女の機嫌が治るだったら、この錆はダイヤモンドと同価値だ。
冷蔵庫の中に入っていたものを全部ビニール袋に詰め込んで、僕とサチエは外に出た。目の前に広がる白い光景は見なれていて、これといってなにも思いつかなかった。冬に雪があるのは当然。ホワイトクリスマスもまた当然。ロマンチックな言葉を当てはめる方はできない。トンネルを抜けたら(以下省略)という文章を考えついた川端康成に対して、尊敬の念を意味もなく抱く。
「スコップでも持ってくる? 雪下ろしのときに使うのが共同倉庫の中に入っているし」
「雪だるまを作る要領で作ればいいんじゃないかな? というよりも、雪だるまでいいじゃない。雪だるまの冷蔵庫。ふふふ、素敵だね」
《なんとなく》が消えたことを僕は聞き逃さなかった。
その提案をすぐさま了承し、僕達は握りこぶし大の雪玉を作って、転がしはじめる。数分で、歪で大きな雪玉と綺麗で小さな雪玉の二つができあがった。僕が作ったのは前者。こういう細かい作業はあまり得意じゃない。
「もうちょっと、まともな形にできないかね」
サチエの言葉を無視して、彼女が作った雪玉を持ち上げる。割れないように配慮しながらも、自分が作った歪な雪玉に叩き付けるように置いた。転がり落ちないのを確認して一息つく。彼女の方を見ると、屈みこんで冷蔵庫の中身が入ったビニール袋を漁っていた。
「本当に冷蔵庫にするんだ」
「冗談を本気にするから面白いんでしょ」
と、彼女は笑っていたが、その表情が怪訝なものに変わる。
「あのさ、なんでこの中にしょう油があるの?」
「なにがおかしいんだ?」
「缶詰めも入っているし、あんた、マジで生活能力ないね」
サチエは立ち上がり、拳を突き出して僕の胸に軽く当てた。
「このバカは根本から変えていかないと、ダメだね」
一拍の間黙ったあと、サチエは僕のことをまっすぐに見つめる。
「引っ越しする気ない?」
「なんで?」
僕の疑問に答えぬまま、彼女は勝手に喋り続ける。
「広い部屋を借りてね。もちろん、駅に近いのが必須。あとはねー」
「だから、なんでだよ」
「判らないかねー、このバカは」
サチエは、わざとらしく、大きく息をはきだした。
「一緒に暮らそうよ。もう、三年もつき合ってるし、ここまで気を置けない人は他にいないと思うし、えーと、あと、うちに冷蔵庫あるから、雪だるま使わなくて済むよ」
「ええーと、つまり?」
「結婚しようよ」
展開の速さに、僕の頭はついていけなくなる。一応、就職している。そこそこに給料もらっている。そんな経済的な考えが浮かぶ。とくに問題ない。僕もサチエのこと好きだ。一緒にいたいと思う。なにも問題ない。
「そうしよっか」
そう答えると、サチエは苦笑いを浮かべた。
「ちょっと! ロマンチックにお願い」
「うーん、そうだね……」
と言われてもロマンチックな言葉は到底思いつかない。
困った僕は、言葉ではなく行動で、唇を彼女の唇を合わせた。
とてもひんやりする。なんとなくだけど、ロマンチックという言葉はポカポカするようなイメージがあるので、間違ったかもしれない。
唇を離したあと、申し訳なさそうにサチエのことを見る。
「うん、とっても素敵」
彼女はにこりと笑った。
昔、原稿用紙10枚以内、「雪だるま・缶詰・遅刻」という三題噺で書いたショートショートです。
お題を完遂させることよりも、最低限必要な状況説明をいかに描くかということに重点に置きました。