表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

天才バッターの憂鬱

作者: エンゲブラ
掲載日:2026/05/07

「―― 打った!

鋭い当たりがセンターへと……

抜けない!

抜けない。抜けない。抜けません!

これもさかきの守備範囲!

難なくキャッチし、相馬へトス……

相馬が一塁に投げて、6-4-3のダブルプレー!」


「ははははっ、

ありえない守備範囲ですね

いつものことですが、

なんであの当たりが真正面になるんだ?

彼の打球予測のセンスは、

いったいどうなってるしょうね」


「今シーズンも当然のことながら、

ここまでのエラーはゼロの榊ですからね

プロ野球史上でも、これほどの名手は

ちょっと私には思い当たりません」



「打ったー!

これは大きい!

全ての野球ファンの夢をのせた、打球がぐんぐんと伸びる!

プロ野球史上初の、

いや、人類初のシーズン100号ホームランが、

いま、センターバックスクリーン横に、

深々と突き刺さったー!」


「ははははっ、

いい加減にしてほしいね、この男は

まさに千両役者!いや、万両役者だね!

シーズン最終戦で、きっちり100号

こんなデタラメな選手、困っちゃうね」


球場の熱気を他所に、ゆっくりと、どこか冷めた表情でダイヤモンドを回る榊虎次郎サカキコジロー。来シーズンには、メジャーへの挑戦も噂される国民的スーパースターは、不埒ふらちなことを考えていた。


(ふう……なんとか上手く、調整できたな


最終戦でシーズン100号

置き土産としては十分だろう

ドラマチックじゃないか

打率も4割を超えてるし、この記録は

この先、誰にも破られないだろう……


もし俺が本気でやれば、

もっといい数字だって残せるけど、

これ以上はトゥー・マッチ。

あまりに完璧すぎるとファンも離れていくからな

何事も「少しばかりの人間味」が大事ってわけよ)


―― 身体能力は並以下。一般人のそれと大して変わりはない。

足は特別速くもなく、遠投はプロでも最低レベル。

握力や背筋力も並みで、数字だけ見ると、なぜ彼が活躍出来ているのか、謎となる。


だが、榊はプロ野球史上でも最高の選手であった。

攻守ともに。それはいったいなぜか?――


「世界は0.5秒遅れている」


我々が見ているこの世界は、実際に遅れている。これは脳神経科学における話であるが、物理信号が脳で処理され、「意識化」されるまでには、約0.35秒〜0.5秒ほどの遅延タイムラグが発生する。


日常生活における0.5秒の遅れ。これはあまり大した意味を持たない。遅れているのは、自分だけでなく、世界の人々の反応も同様に遅れているからだ。


「反射神経が良い」と言われている人間は、おそらくこの0.35秒側にいる人間で、薬物を使ったドーピングでも、0.1秒~0.2秒の壁を超えることはないとされている。


だが、榊にはこのラグがなかった。

限りなくゼロに近かった。


単純なことではあるが、他の選手たちとの決定的な違いを生み出す根源。それが榊の「超反射」であった。



こどもの頃から、榊には世界が遅れて見えた。

あまりにも遅いみんなの反応と、あまりにも早い自分の反応。

榊はひとり、皆とは「別の時間」の中を生きてきた。

反射速度を競う遊びでは、誰も榊の相手にならず、榊は自然、適当に手を抜くようになっていった。


野球は、父親の熱心な薦めで始めたが、すぐに結果が出た。

投げ始めからキャッチャーミットに収まるまでの間、どれほど早いボールでも、最初から目でとらえることが出来たためである。


高学年に上がる頃には、変化球を織り交ぜた最速150キロのマシンでも、榊は苦もなく打った。最初は、

興奮してくれたチームメイトたちも、すぐに冷め、やがて何人もの仲間がチームを去ることとなった。―― 「あんな特別なやつを毎日見てたら、やる気がなくなった」と。


榊は、ずっと孤独だった。

本気を出せば、仲間が離れていく。

適当にやれば、自分が燃えない。


本気で挑めるものといえば、勉強くらいで、そのせいで榊は学業も優秀だった。顔もそれなりに良かった。そのせいで学生時代からモテにモテ、恋に燃えるということもなかった。



「―― 放送席、放送席!

それでは本日のヒーロー、いや、球界の生ける伝説!

前人未踏のシーズン4割100本塁打達成、

榊虎次郎選手に来ていただきました!

いやぁ、鳴りやまない大歓声、

耳が痛いくらいですが、

今のお気持ちをお聞かせください」


「あ~、そうですね。率直にホッとしてます」


「四割!百発!

どちらも、もはや神の領域ともいえそうな記録ですが、

ご感想は?」


「あ~、そうですね。

出来れば今シーズンもエラーがゼロだったところも

褒めていただきたいところです」


解説)「あ~、ほんとほんと。

打撃もそうだけど、守備も凄まじいですからね、榊は。

球界史上ナンバーワンの守備職人ですよ、ほんと」


「……え~、解説のレジェンド、佐藤さんも

貴方の守備を絶賛されていますよ、榊選手!」


「あ~、それはうれしいですね。ありがとうございます」


「ところで榊選手、今日はシーズン最終戦ですが、

シーズン終了後には、国外FA権も取得

完璧な成績で一年を終え、来シーズンは、いよいよ……?」


(ファンたちが期待と不安に、どよめく)


「あ~、そうですね。このチームとの契約も今年で一旦切れますので ―― 」


一瞬の静寂。

誰もが息をのみ、静まり返る球場。


「野球はこれで卒業し、

来年からはプロボクシングの世界に挑戦してみたいと思います!」


「……ふぇ?」


―― 思わず変な声を出すインタビュワー。

同時に、狐につままれたような呆気あっけが、球場全体を包む。


「ああ……え~と?

榊選手、一流の~、ジョークでしょうか?」


「いえ、すでにトレーニングの準備も始めていて、

来週末にはプロテストも受ける予定です」


「えっ、あっ……えっ?」




―― この後も、榊は嬉々として、ボクシングについてを語った。

やれ、相手を殴った時の感触の生々しさだ。

本当に生きている実感がする、などと……。


榊が熱を入れるほど、球場内にいる人々、テレビを見ていた視聴者たちは冷めていった。解説は「……不愉快だ」と言い、職場放棄までしてしまった。


二年後、榊はプロデビューからわずか4戦で、世界タイトルへと挑戦。

あっさりとベルトを奪取し、そして、あっさりとそのベルトを返上することを宣言した。


記者会見でのひとこと ――


「思ったより、すぐベルトが獲れちゃいましたね。ボクシングは、もういいんで引退します」


―― ……榊が次に挑む競技は、いったい何か?


いや、次もスポーツであるとは、もう限らない?




―― Fin?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ