天才バッターの憂鬱
「―― 打った!
鋭い当たりがセンターへと……
抜けない!
抜けない。抜けない。抜けません!
これも榊の守備範囲!
難なくキャッチし、相馬へトス……
相馬が一塁に投げて、6-4-3のダブルプレー!」
「ははははっ、
ありえない守備範囲ですね
いつものことですが、
なんであの当たりが真正面になるんだ?
彼の打球予測のセンスは、
いったいどうなってるしょうね」
「今シーズンも当然のことながら、
ここまでのエラーはゼロの榊ですからね
プロ野球史上でも、これほどの名手は
ちょっと私には思い当たりません」
◇
「打ったー!
これは大きい!
全ての野球ファンの夢をのせた、打球がぐんぐんと伸びる!
プロ野球史上初の、
いや、人類初のシーズン100号ホームランが、
いま、センターバックスクリーン横に、
深々と突き刺さったー!」
「ははははっ、
いい加減にしてほしいね、この男は
まさに千両役者!いや、万両役者だね!
シーズン最終戦で、きっちり100号
こんなデタラメな選手、困っちゃうね」
球場の熱気を他所に、ゆっくりと、どこか冷めた表情でダイヤモンドを回る榊虎次郎。来シーズンには、メジャーへの挑戦も噂される国民的スーパースターは、不埒なことを考えていた。
(ふう……なんとか上手く、調整できたな
最終戦でシーズン100号
置き土産としては十分だろう
ドラマチックじゃないか
打率も4割を超えてるし、この記録は
この先、誰にも破られないだろう……
もし俺が本気でやれば、
もっといい数字だって残せるけど、
これ以上はトゥー・マッチ。
あまりに完璧すぎるとファンも離れていくからな
何事も「少しばかりの人間味」が大事ってわけよ)
―― 身体能力は並以下。一般人のそれと大して変わりはない。
足は特別速くもなく、遠投はプロでも最低レベル。
握力や背筋力も並みで、数字だけ見ると、なぜ彼が活躍出来ているのか、謎となる。
だが、榊はプロ野球史上でも最高の選手であった。
攻守ともに。それはいったいなぜか?――
「世界は0.5秒遅れている」
我々が見ているこの世界は、実際に遅れている。これは脳神経科学における話であるが、物理信号が脳で処理され、「意識化」されるまでには、約0.35秒〜0.5秒ほどの遅延が発生する。
日常生活における0.5秒の遅れ。これはあまり大した意味を持たない。遅れているのは、自分だけでなく、世界の人々の反応も同様に遅れているからだ。
「反射神経が良い」と言われている人間は、おそらくこの0.35秒側にいる人間で、薬物を使ったドーピングでも、0.1秒~0.2秒の壁を超えることはないとされている。
だが、榊にはこのラグがなかった。
限りなくゼロに近かった。
単純なことではあるが、他の選手たちとの決定的な違いを生み出す根源。それが榊の「超反射」であった。
◆
こどもの頃から、榊には世界が遅れて見えた。
あまりにも遅いみんなの反応と、あまりにも早い自分の反応。
榊はひとり、皆とは「別の時間」の中を生きてきた。
反射速度を競う遊びでは、誰も榊の相手にならず、榊は自然、適当に手を抜くようになっていった。
野球は、父親の熱心な薦めで始めたが、すぐに結果が出た。
投げ始めからキャッチャーミットに収まるまでの間、どれほど早いボールでも、最初から目でとらえることが出来たためである。
高学年に上がる頃には、変化球を織り交ぜた最速150キロのマシンでも、榊は苦もなく打った。最初は、
興奮してくれたチームメイトたちも、すぐに冷め、やがて何人もの仲間がチームを去ることとなった。―― 「あんな特別なやつを毎日見てたら、やる気がなくなった」と。
榊は、ずっと孤独だった。
本気を出せば、仲間が離れていく。
適当にやれば、自分が燃えない。
本気で挑めるものといえば、勉強くらいで、そのせいで榊は学業も優秀だった。顔もそれなりに良かった。そのせいで学生時代からモテにモテ、恋に燃えるということもなかった。
◇
「―― 放送席、放送席!
それでは本日のヒーロー、いや、球界の生ける伝説!
前人未踏のシーズン4割100本塁打達成、
榊虎次郎選手に来ていただきました!
いやぁ、鳴りやまない大歓声、
耳が痛いくらいですが、
今のお気持ちをお聞かせください」
「あ~、そうですね。率直にホッとしてます」
「四割!百発!
どちらも、もはや神の領域ともいえそうな記録ですが、
ご感想は?」
「あ~、そうですね。
出来れば今シーズンもエラーがゼロだったところも
褒めていただきたいところです」
解説)「あ~、ほんとほんと。
打撃もそうだけど、守備も凄まじいですからね、榊は。
球界史上ナンバーワンの守備職人ですよ、ほんと」
「……え~、解説のレジェンド、佐藤さんも
貴方の守備を絶賛されていますよ、榊選手!」
「あ~、それはうれしいですね。ありがとうございます」
「ところで榊選手、今日はシーズン最終戦ですが、
シーズン終了後には、国外FA権も取得
完璧な成績で一年を終え、来シーズンは、いよいよ……?」
(ファンたちが期待と不安に、どよめく)
「あ~、そうですね。このチームとの契約も今年で一旦切れますので ―― 」
一瞬の静寂。
誰もが息をのみ、静まり返る球場。
「野球はこれで卒業し、
来年からはプロボクシングの世界に挑戦してみたいと思います!」
「……ふぇ?」
―― 思わず変な声を出すインタビュワー。
同時に、狐につままれたような呆気が、球場全体を包む。
「ああ……え~と?
榊選手、一流の~、ジョークでしょうか?」
「いえ、すでにトレーニングの準備も始めていて、
来週末にはプロテストも受ける予定です」
「えっ、あっ……えっ?」
―― この後も、榊は嬉々として、ボクシングについてを語った。
やれ、相手を殴った時の感触の生々しさだ。
本当に生きている実感がする、などと……。
榊が熱を入れるほど、球場内にいる人々、テレビを見ていた視聴者たちは冷めていった。解説は「……不愉快だ」と言い、職場放棄までしてしまった。
二年後、榊はプロデビューからわずか4戦で、世界タイトルへと挑戦。
あっさりとベルトを奪取し、そして、あっさりとそのベルトを返上することを宣言した。
記者会見でのひとこと ――
「思ったより、すぐベルトが獲れちゃいましたね。ボクシングは、もういいんで引退します」
―― ……榊が次に挑む競技は、いったい何か?
いや、次もスポーツであるとは、もう限らない?
―― Fin?




