観測者の朝
短めです。
朝。
窓の隙間から差し込む光が、ゆっくりと部屋の中を照らしていた。
柔らかな朝日が木の床に落ち、薄いカーテンを通して揺れている。
ソウマは布団の中で目を開けた。
「……」
しばらく、天井を見つめる。
昨夜のことを思い出していた。
夜の街。
串焼き。
リリアとの会話。
そして、世界停止。
煙が空中で止まり、ランタンの炎が揺れを止めた。
時間が完全に凍りついた、あの感覚。
さらに、空に走る、無数の構造線。
世界そのものを形作る、巨大な線の群れ。
そして、あの声。
『……観測者』
ソウマはゆっくり息を吐いた。
「……夢じゃないよな」
独り言が静かな部屋に落ちる。
夢だったら、どれだけ楽だっただろう。
だが、夢ではない。
そもそも、異世界から戻れてすらいない。
世界が止まった時の、体の奥に残っている感覚。
あの恐怖。
圧倒的な何かの“存在“。
忘れようとしても、頭から離れない。
『……異常存在』
『……修正対象』
自分の名前が呼ばれた瞬間の、あの寒気。
思い出すだけで背中が冷たくなる。
「……修正ってなんだよ」
天井に向かって呟く。
当然、答えは返ってこない。
静かな部屋の中で、木がきしむ音だけが、小さく響いていた。
ここは宿屋の二階。
昨夜、リリアと一緒に泊まった場所だ。
ベッドは思ったより柔らかく、布団も暖かかった。
異世界の宿屋と聞いて少し身構えていたが、普通に快適だった。
「……朝か」
窓の外を見る。
太陽はすでにだいぶ上がっていた。
どう考えても、早朝ではない。
それでも、ソウマは布団を頭まで引き上げる。
(あと五分)
その瞬間だった。
ドンドンと扉が叩かれる。
「ソウマ!」
もう聞き慣れた声。
リリアだ。
「起きなさい」
ソウマは布団の中で目を閉じた。
(寝たふりいけるか……?)
しかし。
ドンドンドンドン!
さっきよりも強く扉が叩かれる。
「起きなさい!」
「……起きてる」
諦めて答える。
「じゃあ出てきなさいよ」
「あと五分」
「もう三十分待ってるのよ!」
「え」
ソウマは思わず布団から顔を出した。
そんなに待っていたのか。
「今何時?」
「朝の九時よ」
「遅くない?」
「遅いわよ」
完全に寝坊だった。
ソウマは渋々ベッドから起き上がる。
体を動かすと、足に鈍い痛みが走った。
「……あ」
昨日、狼型モンスターに噛まれた場所だ。
布で巻かれているが、歩くと少し痛む。
だが、昨日よりはかなりマシだった。
「生きてるな」
小さく呟く。
昨日は本当に危なかった。
あの時、死にかけた瞬間。
世界が止まった。
――能力。
おそらく、転移者特有のものだろう。
異世界ものの定番。
問題は。
「……最後のあれは、能力なのか?」
昨日の出来事を思い返す。
確かに、最初の時は自分の能力だった。
狼に噛まれた瞬間。
世界が止まり、構造線が見えた。
だが、昨夜は違う。
死にかけたわけではない。
ただ空を見上げただけだ。
それなのに、世界は止まった。
「……」
ソウマは腕を組む。
(条件が違う)
状況を整理する。
(最初の停止は、死にかけて発動し、物体の構造線が見えた)
しかし。
(昨夜の停止は、危機ではないにも関わらず発動し、世界規模の構造線と、謎の声が聞こえた)
明らかに違う。
(つまり)
「別物だ」
小さく呟く。
あれは能力じゃない。
もっと別の何か。
……いや。
そもそも。
(あれ、俺が止めたわけじゃない)
疑問が浮かぶ。
もし自分の能力なら、発動する感覚があるはずだ。
だが昨日はーー
――突然だった。
誰かがスイッチを押したように。
世界が止まった。
そして。
『……観測開始』
「……」
ソウマは頭を掻く。
「考えても分からん」
正直な感想だった。
情報が少なすぎる。
分かることは一つだけ。
「俺、なんかヤバいのに目つけられてないか?」
それだけだった。
再び扉が叩かれる。
「ソウマ!早くして!」
「はいはい」
「準備終わった?」
「今起きた」
「はぁ…」
呆れている声でため息を吐くリリア。
ソウマは急いで服を整える。
まさに初心者そのものという装備。
実際、初心者なのだが。
短剣と皮の上着。昨日ギルドで借りてきた。
扉を開ける。
リリアが腕を組んで立っていた。
少し怒った顔をしている。
「遅い」
「すまん」
素直に申し訳ないと思った。
「クエスト行くんでしょ」
「そうだな」
スライム討伐。
明らかに初心者向けに用意された依頼だ。
「あなた、本当に冒険者やる気あるの?」
「あるよ」
「全然そう見えない」
リリアはじろじろとこっちを見る。
ソウマは肩をすくめた。
「朝弱いんだよ」
「なんでよ」
「普通に体質だよ」
「直す努力はしたの?」
「したどころかするつもりもない」
真面目に答えたが、リリアは呆れた顔をする。
それから一階に降りた。
「さあ、行きますか」
「朝ごはんは?」
ソウマは立ち止まる。
「……」
「……」
沈黙が流れる。
「食べる気満々だな」
「お腹減ってるの」
「ソウマが起きるまで待ってたんだから、当然でしょ」
リリアは小さく笑った。
「宿の一階に食堂があるみたいだぞ」
「神かな?」
「大げさだろ」
軽口を叩き合いながら、二人は階段を降りた。
宿の一階は小さな食堂兼バーのようになっていた。
木のテーブルが並び、朝の光が窓から差し込んでいる。
数人の冒険者が食事をしていた。
パンの匂い。
スープの湯気。
ソウマは席に座る。
リリアも向かいに座った。
「リリアって本当に食べ物好きだな」
「生きる基本でしょ」
「まあそうだけど」
店主が近づいてくる。
「朝食二つお願い」
リリアが言った。
すぐに運ばれてくる。
パンとスープ。それと見たことのない赤い実の果実。
シンプルだがうまそうだった。
「この赤い果実ってどうやって食べるんだ?」
何気なくリリアに聞く。
だが、リリアは本気で信じられないという顔をしていた。
「あの…?こちらの果物はどうやって食べるのでしょうか…?」
「本当に知らないの?」
「知りませんね」
「本当に?」
「本当です」
「はぁ…」
本当に信じられない顔をしている。
「これは、ノーデルの実。このあたりでよく採れるの。この町で知らない人はまずいないわね」
だからこそ、と前置きしたあとで、
「知らないなんて他で言わない方がいいわよ。怪しまれるから」
「肝に銘じておきます」
「はいはい」
リリアはパンをかじる。
「おいしい」
「朝から幸せそうだな」
「食事は正義よ」
リリアは笑った。
しばらく、静かな朝食の時間が流れる。
だがソウマの頭の片隅では、ずっと昨日の言葉が回っていた。
『……修正対象』
(……なんなんだよそれ)
スープを飲みながら、空を見る。
あっちの世界と違う青空。
ソウマはパンを噛みながら思う。
(……マジで何なんだよ、この世界)
その疑問の答えは、まだ誰も知らない。
ーーこの世界を“観測している者”以外は。




