推測の実行
路地の奥から現れた魔獣は、さっきの狼とは比べ物にならない大きさだった。満月の綺麗な夜に、その姿は妙に似合っていた。
「嘘だろ……」
咄嗟に掴んだ棒しか持っていない状況では、何もできなかった。
足に牙が刺さる。
「うあぁああぁぁぁあぁぁ!」
熱い、痛い、ふらつく、立てない。
ソウマは思わずその場にしゃがみ込んだ。
無理だ。
勝てない。
死ぬ。
ソウマの顔面にその牙が突き刺さる瞬間だった。
(あれ?)
いくら待っても衝撃は感じない。
つまり――
「また止まった……?」
(落ち着け……。状況を整理しろ……)
最初の戦闘も、さっきの戦闘も、死ぬ直前だ。
ただ、足の怪我のときは発動しなかった。
つまり本当に死ぬ直前にしか発動しないようだ。
ここで魔獣の姿を確認する。
体長3メートル。
灰黒の毛皮。
赤い目。
長い牙。
前脚が異常に太い。
普通の狼より筋肉の塊のような体型だ。
(明らかに勝てない…)
絶望する。
「だが、こっちだって構造線が……?」
なぜソウマの声が途切れたのか。
それは――
構造線が、複雑過ぎた。
「いや無理だろ……」
あまりの複雑さに動揺した、その拍子に。
足が動いてしまった。
――世界が再開する。
脳のリミッターが外れた音がした。
「ったぁあぁ!」
必死に壁を蹴って避ける。
油断しすぎた。
その魔獣は壁を破壊した。
(破壊力やべぇ……)
またもや絶望する。
いくら避け続けても、ソウマの方が先に限界が来る。
それも遠くはなかった。
避け続けることなんて不可能で、体力が切れて転ぶ。
後ずさりして、壁に背を押し付ける。
魔獣が飛びかかる。
(今度こそ死……?)
――そう思った瞬間だった。
「キィン!」
爪を弾く音がした。
――目の前で銀髪が、風に揺れた。
次の瞬間、剣が閃いた。
「ギャアアッ!」
魔獣が叫んだ。
銀髪の騎士は、魔獣に斬りかかっていた。その動きは、目で追うのがやっとなほど速く、正確な攻撃だった。
「強い……!」
ただ、攻撃こそ入っているものの、トドメを刺すまでには至らない。
(そうだ、あの能力なら…)
――あれ?
何で任せようとしないんだ?
あの騎士に任せば良いではないか。
普段のソウマならそう考えた。大体、今からソウマがやろうとしていることはリスクが大きすぎる。一歩間違えると、命を失う。
それでも。
目の前で戦っているのに、何もできないのはもうこりごりだ。
――ソウマは魔獣の前に出た。
世界が止まる。
複雑な構造線に目がくらむ。目を背けてしまいたくなる。それでも、目を凝らして構造線を辿る。
(――見つけた)
足を動かす。
体を捻り、まずは攻撃を避ける。牙が肩を掠めたが、それどころではない。
必死で叫ぶ。
「目だ!」
ソウマの叫びが夜の路地に響いた。銀髪の騎士の視線が、ほんの一瞬だけ動く。
だが、その一瞬で十分だった。魔獣が爪を振り下ろす。騎士は地面を蹴った。
体をひねり、爪を紙一重で避ける。
そのまま踏み込み。
剣が閃く。
「ギャアアアア!」
剣が右目を切り裂いた。黒い血が噴き出す。魔獣が大きくよろめいた。
「効いた……!」
ソウマは思わず叫ぶ。
だが――
次の瞬間。
「ガアアアア!」
魔獣が暴れた。巨大な前脚が振り抜かれる。騎士の体が弾き飛ばされる。
「っ!」
壁に叩きつけられる音。
ソウマの血の気が引いた。
「嘘だろ……」
魔獣が向き直る。赤い目がソウマを捉えた。
そして。
跳んだ。
(終わった……)
そう思った瞬間。
――世界が止まる。
静寂が流れる。
ソウマは息を吐いた。
「またか……」
魔獣を見上げる。何度見ても慣れず、思わずとも絶句する。構造線が、無数に走っている。まるで蜘蛛の巣のように絡み合う線。
「多すぎだろ……」
目を凝らす。
必死に線を追う。
危機感で焦りながらも視線を走らせる。
そして――
見つけた。
一本だけ――異様に濃い線。
「……ここだ」
世界が動く。
牙が迫る。
ソウマは叫んだ。
「首の奥だ!」
銀髪が風を切る。
騎士が跳んだ。
空中で体を捻る。
剣が振り抜かれる。
次の瞬間。
ズバンッ!
剣が首の奥を切り裂いた。
魔獣の体が止まる。
巨体が崩れ落ちる。
そして光の粒へと変わり、消えていった。
静寂が流れる。
その中で、銀髪の騎士が振り返った。
「大丈夫?ケガしてない?」
その銀髪の少女、先ほどの騎士がそう声を掛ける。
「……大丈夫だ。怪我はしてない」
「いきなりで悪いんだけど、なんで分かったの?」
(……何のことだ?)
「ん?」
「とぼけないで。この狼、目が弱点だけど、倒すには首の奥を切らなきゃいけないってこと」
「たまたまだよ」
「絶対嘘」
能力のことを言うべきなのか。これから一緒に過ごすかも分からない人に話すのは違う気もするが……。
リスクと微かな可能性のため、とりあえず保留にしておいた。
黙っているうちに、彼女の方が先に口を開いた。
「ふーん。まあ良いわ。悪意のあるような感じではないし」
「それは一切ない。断言できる」
隠しごとはしているが。
「変わった人ね」
少し間を置いて、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「嫌いじゃないわ」
お気に召されたようだ。
「聞きたいことがある」
「何?」
「さっきのって普通なのか?」
「普通じゃないわよ。ただ、この町では珍しくもなんともないわ。ここは外縁区だから」
「外縁区?」
「魔法によって保護されていない場所のことよ。こんなところまで目は届かないわよ」
少し恨めしそうにこっちを見る。
「何か、すみません」
「別に迷惑なんてしてない。ただ、装備も整ってないのに一人で内縁区内から出るのは、賢明とは言えないわ。身の危険があるもの」
忠告を聞きながら立ちあがろうとして、足に力が入らない。
「その足、本当に大丈夫?」
確かにソウマは、足に怪我を負っていた。
「……多分」
「多分って何よ」
軽く説明することにした。
「アドレナリンで今は痛くはないけど、後で痛くなるかもってところだ」
「あどれなりん?うーん、知らない言葉ね。でも、怪我してるんでしょ?そこに座って」
彼女はベンチを指している。
何をするつもりなんだろうか。とりあえず、言われるがままにベンチに腰を下ろす。
「あの、何を――?」
「動かないで」
彼女は包帯を取り出している。傷の応急処置といったところか。
「いや、それほどでもな」
「いいから、大人しくしてなさい」
優しいが有無を言わせない声で言われたので、何も言えずに処置をしていただいた。
「ありがとう」
「いいのよ。私のせいでついた傷みたいなものだから」
(どういうことだ?この傷は――)
「あの、この傷は貴女が来る前についたものなんですが――?」
「ふぇっ?」
「だから、君のせいでついた傷じゃないってことだ」
「そ、そう!だけど、私が早く来なかったからついた傷でもあるでしょ?つまり私がつけた傷みたいなものなのよ!」
うん、うん、と自分を納得させながらかなり苦しそうに自分の行動を正当化する。ただ、その正当化はあまりにも思いやりに溢れすぎていた。
(こんな自分に損な性格な人がいるとは……)
「そういえば、お互いまだ自己紹介もしてないわね」
銀髪の騎士が言う。確かに、彼女の名前も知らなかった。
「俺は神凪ソウマ。住居も金もない無職だ。よろしく」
「本当に何もないじゃない」
若干引かれてしまった。
「それで、君の名前は?」
「私の名前は――」
銀髪が、月光を受けて揺れた。
「――リリア」
なぜか少し間を置いて、自分の名を告げた彼女。
「そうかリリアか。良い名前だな!」
彼女は少し驚いたような顔をしながら、嬉しそうに顔をほころばす。
「ありがとう、ソウマ」
少し黙る。
「あの――大丈夫?」
心配そうにこちらを見ているリリア。
顔を上げて、前を見る。
「ああ。何でもない。よろしくな、リリア!」
「うん、よろしく、ソウマ!」
お互いに自己紹介を終わる。
ここでリリアが口を開く。
「そういえば、お金も住居も食べ物もないって言ってたけど、今日はどうするの?」
ソウマは俯いた。
「その様子だと、野宿でもしそうな感じね。まったく、一体どうやって今日まで生きてきたのよ」
わざとらしく訝しげな視線を送ってくるリリア。
「とりあえず、ギルド行くわよ」
不慣れな言葉が聞こえた。ゲームとか漫画とか小説でしか聞かない言葉だ。つまり、異世界でしか聞かない言葉。思わず聞き返す。
「ギルド?」
リリアは驚いている。
「ギルドも知らないなんて、まさか――」
まずい。
「まさか、他国の人?」
その一言にほっと息をつく。
「まあ、そんなところ。極東の島国から参上した一文無しってとこだ」
ソウマはからっと笑う。
「笑うところじゃないわよ。とにかくついてきなさい」
「わかった」
こうしてソウマは、
銀髪の騎士――リリアと共に、ギルドへ向かうことになった。
ただ、この騎士がここにいる理由を、ソウマは知る由もなかった。
もう現れてしまった。
この運命は、変えられない。




