不殺の対処
「おらぁ! 死にたくなかったら荷物を寄越しな!」
正面に陣取っていたリーダー格の男が、唾を飛ばしながら短剣を突き出してくる。
それにつられるように周囲の男たちも一斉にジリジリと距離を詰めてきた。
逃げ場のない路地裏。数の暴力。そして奴隷紋という枷。
これだけの好条件が揃っていれば、勝利を確信するのも無理はない。
だが、甘い。
あまりにも認識が甘すぎる。
かつていたパーティ『エンペラー』において、俺は後衛のアタッカー兼デバッファーを務めていた。
敵の能力を下げ、状態異常を付与し、戦況をコントロールする。
それが俺の得意分野だ。
直接的な殺傷能力を持つ魔法でなくとも、相手を無力化する手段などいくらでもある。
「……なあ」
「ああん?」
「お前たち、魔物は好きか?」
「は? 何言ってんだこいつ――」
「――《マッド・ミスト》」
俺が指先をリーダー格の男に向けると、瞬時に男の顔周辺に紫色の薄い霧が発生した。
それは物理的な霧ではない。魔力によって構成された精神干渉系の霧だ。
「うわっぷ!? なんだこりゃ、前が見えねぇ!?」
男は慌てて目の前の霧を手で払いのけようとする。
態勢を崩し、無様にたたらを踏む。
だが、俺の魔法の効果は視界を遮るだけのものではない。
「おい、どうしたんだよリーダー! ビビってんじゃねぇぞ!」
隣にいた手下が茶化すように声をかけた、その時だった。
「ひぃっ!? な、なんでこんな所に……ま、魔物がぁぁぁぁぁ!?」
リーダー格の男が突然、金切り声を上げて絶叫した。
その目は恐怖で見開かれ、焦点が合っていない。
目の前にいる仲間が、男の目には全く別の恐ろしい何かに映っているのだ。
「あぁ? 何言ってんだお前――」
「くるなぁぁぁ! あっちいけバケモノォォォォ!」
ドスッ、と鈍い音が響く。
「がっ……!?」
「え……?」
リーダー格の男が振り回した短剣が、隣にいた仲間の肩に深々と突き刺さったのだ。
「て、てめぇ……! 何しやがる!」
「死ね! 死ねぇ! 俺を食おうとするなぁぁぁ!」
「い、いてぇ! やめろ! 俺だ! 味方だぞ!」
「うるせぇぇぇ! くたばれぇぇぇぇ!」
錯乱した男は聞く耳を持たない。
仲間が叫ぼうが罵倒しようが、今の奴には魔物の咆哮にしか聞こえていないはずだ。
幻覚を見せ、敵味方の区別をなくし、恐怖心を煽る。
直接手を下さずとも、勝手に自滅してくれる。これなら奴隷紋の制約にも引っかからない。
「な、なにやってんだよ……仲間割れ……?」
背後で様子を伺っていた男たちが、突然の惨劇に呆然と立ち尽くしている。
俺はその隙を見逃さず、くるりと踵を返した。
「よそ見をしている場合か?」
「あ……?」
「お前も参加させてやるよ――《マッド・ミスト》」
「うわっ!?」
今度は背後の集団の中心にいた男の顔面に霧を発生させる。
効果は劇的だった。
「うわぁぁぁぁ! オークだ! オークが出たぞぉぉぉ!」
「はぁ!? オークだぁ!? どこにもいねーだろ!」
「食われる! 食われてたまるかぁぁぁ!」
幻覚に囚われた男は、手に持っていた棍棒を滅茶苦茶に振り回し始めた。
ブンッ、という風切り音と共に、隣にいた仲間の脳天にそれが直撃する。
「ごふっ……!」
「おいしっかりしろ! こいつもおかしくなりやがった!」
「ちくしょう! なんだよコリャ! どうなってやがる!」
狭い路地裏は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
前では短剣を振り回すリーダーと、肩を押さえて逃げ惑う手下。
後ろでは棍棒を暴れさせる大男と、それを止めようとして殴られる仲間たち。
「ぎゃぁぁぁ!」
「やめろぉ! 俺だぁぁぁ!」
「バケモノめ! 殺してやる!」
怒号と悲鳴が入り混じり、男たちは互いに傷つけ合っていく。
もはや俺たちのことなど眼中にない。
自分たちが作り出したパニックの渦に飲み込まれ、自滅への道をひた走っている。
「……行くぞ、アリサ」
「は、はいっ……!」
俺は呆然としているアリサの手を引き、混乱の真ん中を堂々と歩き抜ける。
男たちは互いに殺し合うのに忙しく、誰も俺たちを止めようとはしなかった。
むしろ幻覚を見ている彼らは、俺の姿すら正しく認識できていないだろう。
「な、なんか凄いことになってるけど……大丈夫なの?」
「放っておけ。自分たちで勝手にやり合ってるだけだ。俺は指一本触れてないからな」
「ク、クリスお兄さんって……意外と怖い……?」
「人聞きが悪いな。正当防衛だと言ってくれ」
血飛沫と罵声が飛び交う路地裏を背に、俺たちは悠々と大通りへと抜ける。
「さて、邪魔が入ったが宿探しを再開するか」
「う、うん。あんな人たちが来ないような、安全な宿がいいな……」
「そうだな。少し高くても警備のしっかりした所にするか。金ならあいつらが置いていってくれたしな」
「えっ!?」
俺は懐からチャリンと音をさせる革袋を取り出した。
さっきすれ違いざまに、リーダー格の男の腰からちゃっかり頂いておいたのだ。
これも迷惑料として貰っておいても罰は当たらないだろう。
「さぁ、今夜はふかふかのベッドで寝るぞ」
「もぉ……お兄さんったら……」
アリサは呆れたように笑いながらも、俺の手をギュッと握り返してきた。
その温もりを感じながら、俺たちは夜のラトリアの街を再び歩き始めたのだった。




