交易都市ラトリア
日没が迫り空が茜色に染まり始めた頃、ようやく俺たちの視界に巨大な石造りの城壁が姿を現した。
「あれが……街……?」
アリサが呆気にとられたように声を漏らす。
ずっと森や小さな村で暮らしてきたアリサにとって、これほど大きな人工物は未知の領域なのだろう。
大きな瞳をさらに丸くして、口を半開きにしている様子はなんとも愛嬌がある。
「そうだ。交易都市ラトリア。ここなら宿も飯屋もある。野宿とはおさらばだぞ」
「すごい……壁がずっと向こうまで続いてる……! こんな大きな街、初めて見たよ!」
「はは、感動するのは中に入ってからにしろよ。ほら、行くぞ」
俺はアリサの背中を軽く押し、門へと向かう。
念のため、目立つ銀色の耳と尻尾を隠すようにローブのフードを目深に被らせておいた。
多種多様な種族が行き交うこの街ならそう簡単には絡まれないだろうが、用心に越したことはない。
門番の検問を難なくパスし、街の中に足を踏み入れる。
そこには夕方だというのに多くの人々で賑わっていた。
商店からは活気ある売り声が響き、馬車の車輪が石畳を叩く音が心地よいリズムを刻んでいる。
「うわぁ……人がいっぱい……」
「はぐれるなよ? 俺の服の裾でも掴んでおけ」
「う、うん……!」
アリサは怯えたように身を縮め、俺の背後に隠れるようにしてローブの端をギュッと握りしめた。
その手からは、見知らぬ場所への不安と、俺への信頼が伝わってくるようで、少しだけこそばゆい。
しばらく人混みをかき分けながら歩いていると――
グゥゥゥゥゥ~~~~~~~……
なんとも間の抜けた、しかし盛大な音が俺たちの間に響き渡った。
「…………」
「…………」
俺は足を止め、ゆっくりと振り返る。
そこには、顔を真っ赤にして今にも爆発しそうなアリサがいた。
フードの下からでも分かるほど耳まで朱に染まり、わなわなと震えている。
「あ、あの……その……ち、ちが……!」
「違う? 何がだ?」
「い、今の音は……その……街の……警鐘……かなって……」
「ずいぶん可愛らしい警鐘だな。俺の腹時計には飯の時間だと聞こえたが?」
「うぅぅ……」
アリサは両手でお腹を押さえ、恥ずかしそうにうつむいてしまった。
そういえば出会ってからここまで、ろくなものを食べていない。
俺の干し肉も水浸しになってしまったし、無理をさせてしまったな。
「……ぷっ、あははは! いい音だったぞ! 正直でよろしい!」
「わ、笑わないでよぉ……! クリスお兄さんのいじわる……!」
「悪い悪い。よし、まずは腹ごしらえだ。何が食いたい?」
「えっと……お腹にたまるものなら、なんでも……」
「欲がないやつだな。よし、俺に任せろ。この辺りに美味いメシ屋があったはずだ」
俺は記憶を頼りに路地を一本入り、『満腹亭』という直球な看板を掲げた店に入った。
木の扉を開けると、食欲をそそる香辛料と焼けた肉の匂いが一気に鼻腔を刺激する。
店内は仕事終わりの冒険者や職人たちで賑わっていたが、運良く隅のテーブル席が空いていた。
「ここ、座っていいの……?」
「客なんだから当たり前だろ。ほら座れ」
おっかなびっくり椅子に腰を下ろすアリサ。
「わぁ……周りから美味しそうなにおい……!」
「好きなものを注文していいぞ」
「で、でも……お兄さんのお金……」
「俺の懐事情なんて子供が心配するもんじゃない。今日は俺の奢りだ。好きなもん頼んでいいぞ」
アリサはおどおどしながら、壁に書いてるメニューを眺める。
一番安そうなスープセットのあたりで指を止めて、チラリと俺の顔色を伺ってくる。
「……じゃあ、このパンとスープのセットで……」
「却下だ」
「ええっ!?」
「そんなもんじゃあの腹の虫は黙らないだろ。すいませーん! 『厚切りオークステーキの特盛セット』を二つ!」
「に、二つ!? 特盛って……!?」
「肉だ肉。旅の基本は肉を食うことだ。異論は認めん」
店員が威勢よくオーダーを通し、厨房からはジュウジュウと肉が焼ける豪快な音が聞こえてくる。
その音だけで腹が減る。
「どうしよう……」
アリサが困った顔をしているが、その鼻はヒクヒクと漂ってくる匂いに正直に反応している。
「お待たせしましたー! オークステーキ特盛セット二丁!」
ドンッ、とテーブルに置かれたのは、皿からはみ出さんばかりの巨大な肉塊だった。
表面には綺麗な焼き目がつき、滴る肉汁が鉄板の上で踊っている。
付け合わせの山盛りポテトと、湯気を立てる野菜スープ。
まさに暴力的なまでの肉の塊だ。
「……っ!!」
アリサの目が、宝石のように輝いた。
オッドアイの瞳がキラキラと光を反射し、肉塊に釘付けになっている。
口元にはよだれが溜まりそうになり、慌てて手でぬぐう仕草がなんとも愛らしい。
だがすぐにその輝きが消え、不安げに俺の方を見てきた。
「……これ、本当に……私が食べていいの……?」
「ああ」
「こんなご馳走……お祭りでも見たことないよ……? 本当に……?」
「だからいいって言ってるだろ。毒なんて入ってないぞ」
「そ、そうじゃなくて……私なんかが……こんな贅沢……」
虐げられてきた記憶が、まだこびりついているのだろう。
自分は幸せになってはいけない、美味しいものを食べてはいけないと、無意識に自分を律しているように見える。
まったく、以前の村の連中はどいつもこいつもロクデナシばかりだったらしい。
俺はフォークを手に取り、自分のステーキを一口大に切って口に運んだ。
溢れる肉汁と濃厚なソースの味が口いっぱいに広がる。
「ん、美味い。……ほら、冷める前に食え。残したら店主に怒られるぞ?」
「……怒られるのは嫌だ……」
「なら食うしかないな。さあ、いただきますは?」
「……い、いただきます……!」
アリサはおそるおそるナイフとフォークを手に取った。
使い慣れていないのか手つきはぎこちないが、一生懸命に肉を切り分ける。
そして、湯気の立つ一切れを、小さな口へと運んだ。
「んぐっ……」
口に入れた瞬間、アリサの動きが止まる。
数回噛み締め、ゴクリと喉を鳴らして飲み込むと――
「~~~~ッ!」
カァァァッ、と顔が幸福の色に染まり、花が咲くような満面の笑みを浮かべた。
「お……おいひぃ……!!」
「はは、そうかそうか。まだまだあるぞ」
「んん~っ! 柔らかくて、ジューシーで……! こんな美味しいお肉、生まれて初めて食べたよぉ……!」
先ほどの遠慮はどこへやら。
食欲という本能のスイッチが入ったのか、アリサは次々と肉を口へ運び始めた。
リスのように頬袋を膨らませ、ハフハフと熱い肉を頬張る。
その度に、銀色の尻尾がフードの下でバタバタと嬉しそうに揺れているのが分かった。
「お兄さん! これ、すっごく美味しいよ!」
「ああ、分かってるよ。ゆっくり食え、喉に詰まらせるぞ」
「んぐっ……んん~幸せぇ……」
口の端にソースをつけながら、一心不乱に食べるその姿を見ていると、自然と俺の口角も上がってしまう。
つい数時間前まで、泣いていた子供とは思えない。
美味しい食事というのは、これほどまでに人を劇的に変えるものなのか。
「……ふふっ」
「ん? どうしたのクリスお兄さん? お兄さんも食べないの?」
「いや、見てるだけで腹一杯になりそうでな」
「えー! 食べないと勿体ないよ! これすっごく美味しいんだから!」
アリサは自分のフォークに刺した肉を、俺の口元に突き出してくる。
「ほら、あーん!」
「……お前なぁ。俺の分もあるっての」
「いいからいいから! 一緒に食べたほうが美味しいよ! はい、あーん!」
「……たくっ」
押しに負けて、差し出された肉をパクりと食べる。
……なんだろうな。自分で食べるよりも、少しだけ美味く感じるのは気のせいか。
「へへへ……美味しい?」
「……まあまあだな」
「むぅ、素直じゃないなぁ」
アリサは悪戯っぽく笑うと、再び自分の皿に向き合い始めた。
「クリスお兄さん! スープも美味しいよ!」
「はいはい。分かったから自分の分をちゃんと食え」
俺もナイフを動かし、ステーキを切り分ける。
冷めかけた肉を口に放り込みながら、この賑やかな夕食の時間を噛み締めた。
追放者同士の旅路も、案外悪くないかもしれない。
そう思いながら、俺はソースで汚れたアリサの口元を拭ってやった。




