ある世界の魔術に関する考察-2
前回の続き。2までは前回の考察と被る部分が大きい。
1. 言葉は存在や概念の一部を切り取ったものである。
1.1 しかし、言葉単体ではその在り方が特定されない。
1.2 言葉は文法に組み込まれることによって、その在り方を確定させる(冠詞や指示詞の有無などを比較検討せよ)。
2. 言葉を文法に従い、文章化することでその存在や概念の在り方、置かれている状況が形式的に確定される。
2.1 言葉の時点では抽象度が高かったものが文章になることによって具体性が上昇するともいえる。
2.2 無論、言葉の意味は存在や概念の一部を切り取ったものであり、認識によって変わるため、真に一致することはない。あくまで文章という形式が一致し、共有可能になっただけである。
3. 呪文は文章の一形式である。
3.1 呪文は自身の認識した存在や概念の定義を言語化、文章化することによって一定の形式に押し込み、世界に叩きつける作業であると言える。
3.2 呪文が世界に受け入れられるにはそれに適した形式が必要である。
3.3 適した形式はそれぞれの言語の文法によって違う。
3.4 仮定法や願望、未来時制などはその事象が現れていないことを示す。そのため、魔術が現実に起きるための表象としては適切ではない。
3.5 意志を示す助動詞などは主語が世界に介入することを示し、その分、力がいる。あって、当然であることを示す表現の方が適切である。
3.6 ある世界の英語に近い場合、文型から外れた文章は意味をなさない。従って、呪文も文型、語順に従って発されなければいけない
3.6.1 また、冠詞の欠落は言葉が特定されていない状況を表す。冠詞はつけられなければならず、強い特定として定冠詞が必要である。
3.6.2 法は当然、直説法でなければいけない。また、時制は現在まで継続していることを示す必要がある。そのため、完了形が使われるべきである。持続していることを示すためには進行形を組み合わせるべきである。
3.6.3 助動詞はwillなどは人の意志を示すため、不適切である。決定論的であるshallやmustなどが使われるべきである。
3.6.4 したがって、炎を表す魔術としては以下の通りになる。"The fire shall have been there"
3.7 ある世界のラテン語に近い場合、文型はあまり意味がない。しかし、格変化、活用が重要であり、それに従って発されなければいけない。
3.7.1 接続法は回避されるべきである。命令法は世界に命じるため負担が大きい。従って、直説法が適切である。時制としては完了形、まだ持続していることを示すためには未完了過去を活用すべきである。態としては動作の主体が介在することは負担が大きい。そのため、中動態が適切である。
3.7.2 ラテン語では助動詞や冠詞はない。そのため、状況の限定として奪格、対格などを活用すべきである。
3.7.3 炎を表す魔術としては以下の例が挙げられる。"Ignis arserit"
3.8 ある世界の日本語に近い場合、文型はあまり意味がない。しかし、それを示す格変化、活用はラテン語ほど複雑ではない。
3.6.2 法の明確な区別はなく、時制も区別が明確ではない(「来ている」という語は進行形、完了形のどちらでも解釈可能である。「来た」も完了形、過去形のどちらでも解釈可能である)。態も中動態がない。
3.6.3 助動詞でもwillとshallのような差異はない。
3.6.4 そのため、英語やラテン語に近い形式ではその二者に効果が劣る可能性がある。
3.6.5 したがって、その二者では回避されてきた、命令を活用する必要がある。
3.6.5.1 命令では呪文の、世界に自らの定義を叩きつけるという形が明確に現れる。そのため、単純な文法形式を超えた考察も可能である(例として、「炎よ、あれ」と「炎」のどちらが命令の度合いが強いかを考察せよ)。
3.6.6 したがって、呪文形式としては単語に収まる可能性も高い。
3.7 ある世界の時制や変化を欠く言語、例えばインドネシア語の場合はさらに事態は複雑である。
3.7.1 時制がないため、普遍的な存在や概念の一部を叩きつけることが可能である。特定したい場合は、完了副詞をつけるべし。
3.7.2 助動詞と等位ではないが、接辞によって在り方を限定する。また、個物ではなく複数形や強調を表すことでその存在の強度を限定する。
3.7.3 例としては以下のようになる。"Sudah membakar api-api"
4. 認識は言語を拘束する。言語は認識の出力を拘束する。
4.1 したがって、仮に無詠唱魔法の使い手がいた場合、言語をどこまで忘れられるかという点も重要になる。




