初陣の丘
「では、ネズミは始末されたとな?」
金銀で彩られた飾りが蝋燭の灯を照り返す広い部屋で猪俣大膳は、その膨れた体を揺すった。
「へっ」
報告した禿頭の男は、それだけ言うと平伏した。
琴平重正にしては苛烈な処置だと大膳は思った。
あの人の好さだけ以外に長じたところのない爺にしては妙だ。
事ここに至って、ようやく昔の勘を取り戻したか?
「ま、もう要らんからどうでもよいわ」
そう言いながら傍らにある饅頭に手を伸ばしてくちゃくちゃと咀嚼する。
「ですが千秋は古土が忍ばせたネズミで。なにか言ってくるやも」
確かに面倒だった。
古土家。猪俣の南まで領土を広げてきた大名家。
現在の主、古土元康は出来物であり、龍州一の大名ではないかと噂されているほどだ。
彼らは佐登家の領地を狙っており、猪俣家を使って琴平領にちょっかいをかけているのもその一環だった。
尤も大膳にとっては、自分の欲を満たすための便利な力程度の位置づけだったが。
「よいよい、奴らにとっても事が済んだ時には用済みよ。殺す手間が省けたと喜ばれるわ」
「そういうもんですか」
「そういうもんよ。他になんぞあるか?」
「琴平の連中、大慌てで武具を用意してやした。おそらく明日、明後日には……」
「なら明日にこちらの申し出への返答があって、明後日に合戦になるのぅ」
つまり明後日にはあの娘は儂のモノだ。
それを思うだけで股間に血流が集まるのを大膳は感じた。
立ち上がる。
あの生意気な娘を褥で好きに扱い、泣きわめくところを想像するのはひどく愉しかった。
この熱は発散させねば耐えられるものではない。
「儂はもう寝る。ああ、女子は用意しておるな?」
「へっ」
平伏する禿頭の側近を置き去りにして、大膳は歩き出した。
ああ、明後日が待ち遠しい。
純悦爺が処刑されてからは目の回るような忙しさだった。
幸か不幸か、純悦爺のことに思いをはせる余裕はなかった。
清継との打ち合わせた手はずの一つ……5mの鑓の用意だけでも大仕事だった。
なにせ、250本近い鑓を一日で用意するのだ。招集した雑兵たちにも手伝わせるとはいえ、その監督だけでも本当に忙しい。よく間に合ったと思う。偉いぞ私と皆。
作戦に関しては、義父が家臣一同に説明した。
突如確保された援軍の存在に、ほとんどが不審感を覚えたみたいだけど、義父への恐怖はそれを上回ったようだった。
なにせ、裏切ったと思われただけで拷問され、殺されるのだ。
純悦爺は、証拠があったから拷問されたわけじゃない。
そしてそうこうしている内に、出陣となった。
出陣式なんてない。なんとなく出発した。そんな印象だった。
ぞろぞろと隊列を作って歩く。
琴平家には馬などいないので私も義父も歩く。
私は胴鎧しか身に着けていないからまだ楽だ。
それでも重いけど……。
ちなみに本来女である私が戦場に行く必要はない。
男女平等の概念が発達していないから……というだけではなく、この時代の戦争は身体能力の差を技術が埋められていないので、単に女は足手まといになるからという理由が大きいのだ。
だけど私は清継と交渉した張本人であることの責任、そして純粋に戦術上の理由で同行することになった。いやまぁそれを考えたのは私と清継なんだけど。
そうして河原についた。
私は義父と別れ、西側、森に近い方の丘の上に布陣した。
義父は川側(私から見ると左手)の丘の上。
無意味に鉄扇……閉じた扇に見えなくもないただの鉄の棒……で手の平をぺたぺた叩く。
護衛役を命じられている才蔵たちが胡乱げに私を見ていた。
けどそれに構ってる余裕はない。
私は戦場となる場所へと目を向けた。
丘の麓、私から見て南側に隙間を開けながら短い横隊がいくつも並んでいく。
ほんの僅かながら、義父より私の前の横隊の間隙が大きい。
そこに一人の若武者が槍を担いで入っていくのが見えた。
指物旗は千秋家のものだった。尤もそれは意外なことじゃない。
義父がそうなるように手配したのだった。
千秋正純は、5mもの鑓をかついで最前列へと立った。
猪俣勢とはまだ50m程度の距離がある。
猪俣(と古土家)に内通していた純悦の嫡男である彼は、連座して首を斬られるところだったが、ここで敵と戦うことですべてを赦すと告げられていた。
父である純悦の内通をまったく聞かされていない彼にとっては理不尽極まりない話だった。
が家という共同体が前提であるこの時代、当主の罪は家の罪であった。
故に正純には父への怒りこそあれ、重正と由衣《主家》への怒りは無かった。
生き残るのは難しそうだが、なんとか手柄を立て、千秋の家と息子たちの将来を盛り立てなければとだけ考えようと努力していた。
そうこうしている間に猪俣勢は10m程度まで近寄って来ていていた。
左右の雑兵たちが鑓を斜め前に突き出すようにして立てた。倒れないように手で支えている。
正純はそうせず、槍先を敵へとまっすぐに向けた。
敵勢がやや戸惑ったようだった。
こちらの鑓の長さにようやく気付いたらしい。あるいは10人分の間隙に一人だけ立っている正純を訝しんだのか。
だが、結局彼はそのまま進んで来た。
なにか手を打つには遅すぎるのだった。
距離はどんどん縮んでいく。
約5m。
鑓が届く距離。
一呼吸開ける。
今だ。
「たたけぇっ!!」
正純が叫ぶと同時に左手からも同様の声が聞こえた。
正純と同じ立場の武士たちの声だった。
雑兵共が鑓を支えていた手の力を抜くことで、鑓は見えない地に引き寄せる力で振り下ろされた。
鑓が猪俣勢先頭の雑兵を叩く。
叩かれた側からいくつかの叫び、呻き。
雑兵を指揮する小頭たちが鑓を持ち上げるよう指示している声を聞きながら正純は大きく踏み込んだ。
身体強化が施された踏み込みは、轟音と言ってよい音を周囲に響かせた。
蛮声と共に鑓を突き出す。
破裂音と共に、鑓は雑兵の一人に突き刺ささった。
一列目の雑兵を貫き、二列目の雑兵をも串刺しにする。
そのまま全力で鑓を右に振りぬいた。
何人かの雑兵が巻き込まれ、なぎ倒され、弾き飛ばされる。
その光景を目撃した猪俣勢に動揺がさざ波のように広がった。
そもそもこの世界では、わずか数十年前までは武士たちが主力で戦場では雑兵は馬や主人の世話をする補助兵でしかなかった。
しかし龍州列島全体を巻き込んだ内乱とその長期化による戦力の需要を武士たちだけでは賄いきれなくなっていった。それを田の開墾などによる食料供給の増加を主因とする人口の増加が補った。
補助兵でしかなかった、魔力を持たない若者たちは武具を身にまとい、太刀と鑓がぶつかり合い、矢が飛び交う修羅場へと飛び込んでいった。
初めのうちは彼らは何の戦果も挙げずに武士たちに蹂躙されているだけだったが、長大な3m以上の鑓を持たせた歩兵横隊で槍衾を形成することを誰かが思いついた。
武士たちの主武装は、取り回しの良い大太刀や短槍であったから雑兵たちと比べて射程が圧倒的に短かった。
これは現代に例えるとライフルと拳銃で戦うようなものだった。
如何に拳銃を握っているものが超人であってもライフルで武装した多数の常人には勝てない。
それだけ武器が届く距離とは重要なのだ。
実際に圧倒的多数の雑兵の長鑓横隊は、武士たちの突撃を幾度か破砕した。雑兵たちは自分たちが武士に対抗できることを証明したのだった。
その結果、貴重な武士を雑兵に投じるのは割に合わないとされた。
多数の雑兵の横隊で殴り合い、それが崩れかけたときに武士による集団突撃で突破し、敵の士気を挫く戦術が定石となり、固定化した。
今回由衣が採った策、武士に長鑓を持たせる……それも一般的な雑兵のそれより長いものを……はこの固定観念を崩した。
武器の射程で勝る超人が常人に負けるはずがない。
劣勢側でしか採用しないような策ではあるが、一昔前の戦場で、そして現代では突撃が成功した後でしか見られない光景、少数の武士による雑兵の蹂躙が現出していた。
尤も、あの丘の上で吉家が述べたように、身体強化が続く限り、といった条件付きの優位でしかないのだが。
正純は興奮していた。
圧倒的多数で対抗不可能と考えていた猪俣勢に自分たちは渡り合えている。いや優位とさえ言える。
左右で戦っている雑兵たちも鑓の長さだけでは説明がつかない健闘をみせていた。
異様に士気が高かったのだ。
武士を雑兵横隊の間隙に投入する戦術の、あの丘の上で話し合っていた若者たちの誰も想像していなかったもう一つの効果が現れていた。
雑兵たち、普段は田畑を耕している農民たちは、いつもは偉そうに年貢を取り立てるだけの武士たちが自分たちと同じ目線で、肩を並べ戦い、そして奮闘しているのだ。
この事実(正純たちがどう思っているかは重要ではない)に雑兵たちは勇気づけられており、通常の倍に達するかという勢いで鑓を立て、そして振り下ろしていた。
郎党に担がせた輿の上から戦場を眺めていた猪大膳は、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「奴ら足掻きよる」
「へっ。妙に長い鑓を使っているようで」
「見ればわかるわ、阿呆」
「申し訳ありやせん」
畏まる禿頭の傍仕えに一瞥もくれず大膳は原因が槍の長さだけではないことに気が付いていた。
武士が暴れているからだ。
だが戦が始まってからすでに1時間以上がたっている。
その間ずっと槍を振り回し続けた連中は疲れてへばり始めているに違いない。
扇子で自身を扇ぐ。
ならどうすればよいか。
武士には武士をぶつければよい。
敵の武士はあちこちに散らばっているせいで密度が薄い。
そして本来予備として手元においている戦力も大部分投入している(純悦からの情報で琴平勢の武士の数を大膳は把握していた)。
だからこそここまで粘っているのだ。
あとはこちらの武士をどこに投じるか。
北側にある二つの丘にはそれぞれ琴平勢が陣取っている。
魔力で視力を強化した大膳はその二つを見比べた。
川側にいるのはあの重正だ。
そして森側にいるのは……あの娘。由衣だ。
女を戦場に連れ出す。
意外なことだが、都合がよいこでもあった。
さて、どちらの丘を狙うのがよいか。
……狙うのはどちらでもよい。
どちらでもよい、が。
あの娘を狙い、捕らえたらどうなる。
あの娘を好きに出来る。
仮に重正を逃がしたとしても人質として由衣を使えば重正は屈服するだろう。
屈服しなくても琴平勢から多くの寝返りを期待できる。
逆に重正を狙えばどうだ。
あの娘はどことなく逃げるだろう。
もしかしたらどこか別の家に逃げ込むかもしれぬ。
それではダメだ。
あのお転婆を啼かすことができなくなる。
そして純粋に戦術的な事情からでも結衣側を狙うべきだった。
雑兵横隊の間隙がわずかに広い。
武士の集団突撃にはそちらのほうが好ましい。
罠の可能性は?
琴平にこれ以上の予備兵力はない。よってありえない。
大膳は、武士たちに命令を下した。