08:御者の解任と鳥の羽
「私につけて頂いた御者を解任してください」
プリシラが告げれば、突然のこの話にダレンが顔を上げると怪訝そうに視線を寄越してきた。
「御者をだと? それはイヴの件に対しての意趣返しか?」
イヴを勝手に遠方にやられかけたから、その腹いせに御者を解任させるのか。
そう尋ねてくるダレンに、プリシラはまさかと首を横に振った。
「私はそんな馬鹿げた理由で他人の勤めを左右させるような真似は致しません」
『私は』と付けることで暗にダレンのことを馬鹿にしつつ、プリシラは話を続けた。
「あの御者は私が馬車を出すよう命じると嫌そうな顔をし、最近では馬車を出し渋ることもあります。挙げ句、先日など私が友人の屋敷に行くために先に帰らせたのに、あろうことか後をつけて来たんです」
「後を……」
「えぇ。以前から友人の屋敷の所在を探るような言動をしておりいつか諌めなければと思っておりましたが、まさか後をつけるような真似をするなんて」
信じられない、とプリシラは大仰に溜息を吐いた。
『友人』とは魔女の事だ。
彼女とは何度も会っており、不思議なもので、約束も連絡も無しにプリシラが海に行っても決まって彼女が現れるのだ。
そうして落ち合ったあとは彼女が乗ってきた馬車に乗り、森の中の屋敷へ向かう。
御者には先に帰らせていたのだが、いつの頃からかプリシラの命令に怪訝な顔をして渋ったり、場所を探ろうとする言動が増えてきた。その果てに、所在が分からず痺れを切らして後をつけてきたのだ。
それも気付かれないように距離を取り、それどころか他所に用意していた別の馬車に乗って後をつけてくる念の入れよう。
魔女が撒いてくれたのだが、さすがにこれは見過ごせない。
「主人である私の命に背き、あろうことか後を着ける……。信じられないことです。私の友人が事情があって隠居生活を送っているのは以前にダレン様にお話ししましたよね?」
「あ、……あぁ、聞いている」
プリシラが問えば、ダレンが一瞬言葉を詰まらせたのちに同意を示してきた。
視線がふいに逸らされる。何かを考えるような、そして気まずさを隠すような不自然な視線の動き……。
それに気付かなかったふりをして、プリシラは「恥ずべき行為です」と追い打ちをかけるように御者を非難した。ダレンの相槌は彼らしくなく随分と歯切れが悪い。
ダレンのこの反応こそ、御者が彼の指示で動いていたという何よりの証だ。
だがさすがにダレンもそれをここで言い出すわけにもいかないのだろう、ゆえに憤るプリシラを前にどうすべきかを考えているのだ。
今回は『プリシラの友人』が絡んでいるため、ただ黙らせれば良いというわけではない。
魔女の魔法により『プリシラの友人』は相応の貴族の女性とされており、ここで無礼を働けば社交界に悪評が広がる恐れがある。……と、魔女に騙されているダレンは考えている。
「友人も、あんな者を雇い続けていたら家の品位が下がると憤慨しておりました。本当、どうしてあんな行動に出たのでしょうか」
「御者の考えなど分かるものか。俺の方から解雇を言い渡しておくから良いだろう、さっさと部屋に戻れ」
「かしこまりました」
早く話を終わらせたいのか、ダレンが強引に話を終わらせてきた。
口調や態度こそ威圧的だがそこはかとなく悔し気な色が漂っている。プリシラからイヴを奪おうとしたが叶わず、それどころか自分の手駒を一つ取られてしまったのだ。彼の胸中は憤りが渦巻いているのだろう。
(正直に『気になっていたから後をつけさせた』って謝れば良いのに、どこまでも私を馬鹿にするのね)
プリシラは心の中で呟いて、恭しく頭を下げるとダレンの執務室を出て行った。
ダレンの執務室を出て自室へと戻る。
彼に命じられたからではない。イヴを待たせているからだ。早くこの決定を伝えて彼女を安心させてあげなければ。
六年前の無念を一つ晴らせたことで少しばかり清々しさを感じながら歩いていると、部屋の前にはイヴの姿があった。
それと……、
「……ジュノ」
イヴの隣にいるのは幼い少年。
ジュノ・フィンスター。ダレンと前妻の子供であり、今はプリシラの息子である。
幼い彼はプリシラの姿を見かけると困惑しつつ「お母様……」と呼んできた。まだ彼はプリシラを母と呼んでくれている。
「ジュノ、どうしたの?」
「……僕、庭に出ようと思ったんです。そうしたらお父様のお部屋に入るお母様の姿が見えて、それで……。その、わかんないけど、なにかあるのかなって。でもなんだかお父様の部屋に入るのが怖くて……」
まだ七歳になったばかりの彼は自分の気持ちをうまく表現できないのだろう、しどろもどろで訴えている。
そんなジュノに対してプリシラは小さく笑みを零し、彼の頭をそっと撫でた。金色の髪はふわりと柔らかい。
「心配してくれたのね、ありがとう。お母様は大丈夫よ」
優しく告げればジュノが安堵したようにほっと表情を和らげた。
頭を撫でられることが嬉しいのか嬉しそうに目を細める。まるで親猫に甘える子猫のようだ。
なんて可愛らしいのだろうか。だが愛おしさを覚えると同時に申し訳なさも湧き始める。
「ジュノ、この間の誕生日会に出てあげられなくてごめんなさいね」
「謝らないでくださいお母様。僕は大丈夫です」
「そう……、ありがとう。ケーキは美味しかった?」
「はい! 凄く大きなチョコレートケーキと、それにシュークリームのタワーも出たんです。僕の大好きなポットパイもあって、それで、食べ終わったらお父様がプレゼントに立派な地球儀を……」
弾んだ声で話していたジュノが、はたと気付いて言葉を詰まらせた。幼い表情が途端に曇る。
プリシラの前でダレンの話題を出してはいけないと考えているのだ。
だがまだ幼い彼には誤魔化す術も無く、眉尻を下げ「それで……」と言いかけて口を噤んでしまった。
そんなジュノを見て、プリシラは申し訳なさを抱くと同時にそっと彼を抱きしめた。
ジュノはまだ七歳になったばかりだ。本来ならば父と母に挟まれ愛情を注がれて育つべき年齢。
だというのに幼いながらにジュノはダレンとプリシラの間にある確執を感じとり、プリシラの前ではダレンの話題を出さないようにしていた。きっとダレンの前でも同じようにしているのだろう。その健気さと心労を思うとプリシラの胸が痛む。
「この前、お友達に珍しい鳥の羽を譲ってもらったの。それを綺麗に加工するから、上手く出来たらプレゼントとして貰ってくれるかしら」
「本当ですか?」
「手作りだから立派なものにはならないだろうけど、ちゃんとプレゼントらしく包んでおくわ」
プリシラが話せば、ジュノが嬉しそうに頷いて返してきた。
伯爵家の息子である彼からしたらどれだけ加工しようが鳥の羽など喜ぶようなものではない。それでもジュノはプリシラからのプレゼントが嬉しいと言いたげに「準備が出来たら教えてください!」と弾んだ声で告げてきた。
溌剌とした声。輝いた青い瞳がプリシラを見つめてくる。
表情が、声が、仕草が、プリシラへの好意を示していた。