63:母親と息子
目の前には黒猫とコウモリを掛け合わせたような不思議な小動物。それが紫色の瞳でじっと見上げてくる。
そこにジュノ・フィンスターの面影は欠片もない。彼は金色の髪で青色の瞳をしていた。父親であるダレンと同じ髪色だが、プリシラにはジュノの色はとても美しく愛らしく感じられた。
いまでも鮮明に思い出せる。だからこそ今目の前にいる小動物とは似ても似つかないと言える。
そもそもジュノは人間の少年で、目の前にいるのは小動物、それも見た事のない生き物だ。
違う。
だけど……、胸に湧く言いようのない感情が、この子がジュノだと認めている。
「なんで……、だって、ジュノは人間の男の子で……」
「七時間の時戻しですべて思い出したんだよ。消えた七時間も、消えた六年間のことも。オリバー君と同じだね」
「そんな、どうして」
信じられない話にプリシラは眩暈を覚えかけた。慌ててオリバーが肩に手を置いて支えてくれる。
そんなプリシラのもとに、使い魔の小動物……、否、ジュノがおずおずと近付いてきた。人間ではない猫のような小さな手で胸元の黒い毛を掻き分ける。
胸元の一部だけが白毛になっている。その中には金色の模様。ジュノが動くと色が変わり輝いて見える。
「この模様……、前に私がジュノにあげた鳥の羽と同じ……?」
「そう。実はあの鳥は人間が把握していないこっち側の鳥だったんだ。それに魔法を込めて渡して、ジュノ君はずっと鳥の羽を持っていた……。もしかしたらそれが関与したのかも」
「そんな!」
「あくまで『もしかしたら』だよ。前にも行ったけれど、魔女の関係者の判定は随分とあやふやなんだ。オリバー君だってそうだし。もしかしたら魔法は関係無く、ただ察しが良くて魔法を感じ取ってたのかもしれない」
ねぇ、とクローディアがオリバーに同意を求める。これに対してオリバーは何とも言えない表情を返すだけだ。
だがもちろんプリシラはこんな説明で納得できるわけがない。
……だけどそれ以上に、今はとにかくジュノに触れたい。
そっと手を出せばジュノがそろりそろりと近付き、プリシラの手の中に身を寄せてきた。
ふわりと柔らかな毛の感覚にプリシラが小さく息を呑む。
柔らかな毛。感覚は違うが、思い出されるのはジュノの柔らかな髪の毛。
何度も頭を撫でた。時には寝癖を直してやったし、庭に出ていた時は髪に葉がついてそれを取ってやった事もあった。
頭を撫でると嬉しそうに笑い、時に気恥ずかしそうにはにかむ。可愛らしい顔も擽ったそうな笑い声も脳裏に蘇る。
「ジュノ、本当にジュノなのね」
手に身を寄せてきたジュノをゆっくりと抱き上げれば、キュルルと小さな鳴き声と共に顔を擦り寄せてきた。
「でもどうしてジュノはこの姿なの? オリバーは使い魔になっても元の姿じゃない」
「オリバー君はオリバー君のままプリシラのそばに居ると決めたからだよ。でもジュノ君は自分自身を否定した」
「否定……?」
「そう。消えた六年間の、プリシラを蔑ろにしてダレンと共謀したジュノ・フィンスターのことも、その後の六年間で慕った母親を助けられなかったジュノ・フィンスターのことも否定した。とにかくもうジュノ・フィンスターが嫌になったんだ。だからジュノ・フィンスターを放棄した」
ジュノ・フィンスターでいることを拒絶して、ジュノ・フィンスターの存在を拒絶して、その果てにジュノ・フィンスターではない別のものになった。
それに気付いたクローディアが、ジュノ・フィンスターを消した今のジュノに会いに行き、行き場がないというので自分の使い魔として屋敷に招き入れたのという。
一連の話を、やはりクローディアは何食わぬ顔で語っている。まるでよくある話かのように。
プリシラはこれにも眩暈を覚えかけ、またもオリバーに肩を支えられてしまった。そのうえ腕の中でキュッと鳴き声があがる。
はたと我に返って腕の中を見ればジュノがこちらを見上げている。紫色の瞳。かつてのジュノとはまったく違う色だが、宝石のような美しさや真っすぐに見つめてくるところは変わらない。
「そうだったのね……。ごめんなさい、ジュノ、貴方を護りたかったのに巻き込んでしまったわ……」
プリシラが詫びれば、ジュノがキュゥと鳴いて手を伸ばしてきた。
以前のジュノの手ではない。黒い毛に覆われた猫のような手。それがペタリとプリシラの頬に触れた。
「ジュノ、もしあなたが許してくれるのなら、また母を名乗っても良いかしら。これからもそばに居たいの」
乞うように告げれば、ジュノがぐいと背を伸ばしてプリシラに顔を寄せてきた。
柔らかな黒い毛が頬に触れる。
『お母様、大好きです。これからもずっと一緒です』
キュウと高い声の奥に込められたジュノの言葉が耳に届き、プリシラは腕の中の愛しいジュノを抱きしめた。




