58:その後、市街地の洋菓子店にて
早朝の市街地は日中よりも人が少なく、空気が澄んでいるせいもあってか静けさを感じる。
だがけして過疎というわけではない。耳を澄ませば挨拶を交わす声が微かに聞こえ、一軒また一軒と店が開いていく様は、まるで市街地全体がゆっくりと目覚めていくかのようだ。
この空気が好きで、あえて日中ではなく早朝に市街地を訪れる者もいる。
そんな市街地の中にある洋菓子店。
扉に着けられたベルがチリンと鳴った。
「いらっしゃいませ」
「まだ早い時間だけれど、良いかしら?」
聞こえてきた声に尋ね返しつつ、プリシラは開けてもらった扉から店内の様子を窺った。
見ればショーケースには既にケーキや焼き菓子が並んでおり、その奥には店主らしき男性が笑顔で立っている。「大丈夫ですよ」と歓迎の言葉を受け、プリシラは店の奥へと進んだ。
オリバーが並んで店に入ってくる。
「良かった。手土産にお菓子をと思ったんだけれど、どのお店もまだ開いていなくて困っていたの」
「うちは市街地で一番早く開けているんです。そうすればお客様のような方が来てくださいますから」
店主が笑いながら話す。それに対してプリシラもまた微笑んで返し、さっそくとショーケースの中へと視線をやった。
王道のケーキに始まり、この店オリジナルの変わり種のケーキ。それにマフィンやタルト。どれも美味しそうで、目移りしつつあれもこれもと選んでいく。
そんな中、ふわりと漂う香りにプリシラはショーケースから顔を上げた。
紅茶の香り、それでいて甘さと香ばしさもある。
気付いた店主が店の奥へと通じる扉へと視線をやった。どうやらこの香りはその奥から漂っているようだ。
「今ちょうど紅茶のパウンドケーキが焼き上がったんです。当店の自慢の一品ですよ」
「とても良い香り。それも包んでもらえるかしら」
「えぇ、もちろん。……と言いたいんですが、まだ粗熱を取っていて、あと二十分ほどお待たせしてしまうかと。手土産と仰っていたので、お相手を待たせてしまうかもしれません」
時間は大丈夫かと尋ねてくる店主に、プリシラはオリバーと顔を見合わせた。
「時間を気にすると思う?」
「いえ、あまり……。むしろ二十分どころか一時間や二時間遅れても気付かないかと」
「そうね。さすがに六年待たせたら『寄り道でもしてきたの?』ぐらいは言いそうだけど」
楽し気にプリシラが話せば、オリバーも苦笑と共に首肯した。
「時間は気にしなくて大丈夫だから、店内で待たせて貰っても良いかしら?」
「えぇ、もちろんです。しかし六年で寄り道とは、お相手の方は随分と気の長い方なんですね」
どうやらプリシラとオリバーの会話を冗談だと考えたようで、楽しそうに話す店主に怪しむ色はない。
そうして店内の一角にあるテーブルセットにプリシラ達を案内しだした。しっかりとした食事を摂る程ではないが、紅茶とケーキを楽しみながら粗熱が取れるのを待つには十分なスペースだ。
「お待たせしてしまうので、紅茶とケーキをお持ち致します」
「そんな、気を使わないで良いのに」
「お気になさらないでください。朝一に立ち寄って頂いたお礼です。それに、もしお出しするケーキを気に入ってくださったら、追加で買ってくださるかもしれないという打算もありますから」
打算という割にははっきりと口にし、店主が準備のために店の奥へと向かっていった。
気風の良い店主だ。ケーキセットを持ってきてプリシラとオリバーの前に並べるとショーケースの奥に戻りはするものの、興味深そうに身を乗り出してプリシラ達に話しかけてくる。
どこから来たのか、どうしてここに来たのか。何をしに来たのか。
矢継ぎ早に尋ねてくるが、こちらを探ろうとする悪意は一切感じられない。きっと単に話し好きなのだろう。
「昔ここら辺に住んでいたの。旅行で近くに来たから、せっかくだから市街地にも立ち寄ってみようと思って」
「そうだったんですね。それなら、三年前の事件はご存じですか?」
「三年前……。フィンスター家の事かしら」
「えぇ、そうです。いやぁ、あれは凄かった」
プリシラが何食わぬ顔で口にすれば、店主が更に身を乗り出してきた。
話し好きな上にゴシップも好きなようだ。あるいは、三年経ってもいまだフィンスター家の凋落は何より興味を引くものなのか。
店主の興奮ぶりを見るに両方の可能性が高い。
「私達、その時はここを離れていたの」
「そうでしたか。実は私共は三年前にこの地に来て店を構えたんですよ。来て早々にあの事件ですから、そりゃあ驚きました」
「噂には聞いているわ。確か、フィンスター家の当主とアトキンス商会の夫人が不貞を働いていて、それを暴いた奥様を害そうとした……とか」
「そうなんですよ。フィンスター家の奥様は……、えぇっと、お名前は何だったか……。とにかく、夫であるダレン様に殺されそうになって、その後は……どうだったか……。いえ、本題は奥様ではなくダレン様ですよ。噂ではそのせいで呪われたとか」
「呪われた? 怖い話ね」
プリシラがオリバーに同意を求めれば、彼もまた「恐ろしい話ですね」と賛同した。
もっとも本気で怯えているわけではない。それは店主も分かっているようで、再び話し始めた。
「あれは呪われていると言われても信じてしまいますよ。事業も何も上手くいかず、他の貴族にはそっぽを向かれて社交界では爪弾き。元よりアトキンス商会頼りの資金繰りだったのが、セリーヌ様が商会を追い出されて完璧に火の車です。貴族とは名ばかり、今じゃ一般市民よりも貧相な生活を送ってるんですよ」
「まぁ、そうだったのね」
「仕入れでたまにお屋敷の前を通るんですが、屋敷も庭も鬱蒼としていて不気味ですよ。昔は華やかだったらしいんですが、今じゃまったく想像も出来ませんね。ダレン様もセリーヌ様もずっと屋敷に籠っていて、三件隣の花屋の店員が屋敷の前を通った時に見かけたらしいんですが、虚ろで痩せこけてまるで亡霊のようだったと言ってました」
かつての栄華が嘘のようにフィンスター家は廃れていった。
庭は手入れがされず草木が好き放題に伸び、屋敷もあちこち朽ちてひびが走っている。まるで廃屋敷のようで、女子供は暗くなると屋敷の前を通るのを避ける程だという。
そこに住むのはダレン・フィンスターと、彼に仕える者達。それと、アトキンス商会を追い出されたセリーヌ。誰もが陰鬱とした空気を纏っており、人目を恐れて生活しているという。
当主であるダレンにはかつての勇ましさは既に無く、心労が祟ってかやせ細り頬はこけ、いまや壮年を通り越して老年のような見目だという。そのうえ原因不明の病におかされて日に何度も心臓を掻きむしっては呻いているらしい。
セリーヌはヒステリックな性格に拍車が掛かり、日がな一日喚き散らして生活し、そこにかつて見せた才女の魅力は無い。化粧でも隠せぬ濃い隈、手入れのされていた金の髪は白髪が殆どになり、こちらも老女のような見目だという。
そのうえ、セリーヌに至ってはスコット・アトキンスに縋るような手紙を何通も書き散らしているという。
返事など望めるわけがないのに。




