44:夜会の来賓達
話しかけてきたのは一人の男性。
それを見てダレンが僅かに頬を引きつらせた。一瞬、彼の瞳に嫌悪の色が宿る。
「お久しぶりです、ダレン様。本日はお招きいただきありがとうございます」
「あぁ、これは……、久しぶりだな」
穏やかに微笑んではいるが、ダレンの笑みは貼り付けたもののように白々しい。
それも仕方あるまい。話しかけてきた男は、かつてフィンスター家が栄えていた時こそ懇意にしていたものの、悪評が出始めるや誰より早く距離を置いてきたのだ。
ダレンがそれとなく連絡を取っても碌な返事を寄越さず、挙げ句にフィンスター家とはそれほど親しくなかったと流布しだした。
そのくせ、自分の安全が確立された今、話題欲しさに近付いてきたのだ。この薄情さはダレンでなくとも嫌悪を抱くだろう。
だが嫌悪を抱けどもそれを態度に出してはいけない。ダレンの一挙一動は周囲の来賓達から注目されている。
迂闊な発言はおろか不遜な態度一つでも取れば、元より地に落ちている悪評は更に乏しめられるだろう。明日の昼にはそこかしこの茶会で面白おかしく吹聴されるのだ。
それはダレンも分かっているだろうし、話しかけてきた男も分かっている。ゆえに男は話を聞き出そうとしてきたのだ。
「ダレン様は最近随分とお忙しいようですね。色々と大変でしょう」
「そうだな……」
「しかしそんな中でありながらもこのような夜会を開かれるとはさすがです。聞いた話では、今夜の夜会はプリシラ様が主催されたと」
男の瞳がダレンの隣へと、そこに立つプリシラへと向けられる。
値踏みするような視線だ。気持ちの良いものではないが、プリシラはあえて男の下卑た好奇心には気付かないふりをして穏やかに微笑んだ。
「出来るだけたくさんの方に話を聞いてもらいたかったの。そのためにはこういった場を開くのが最適でしょう?」
「話を……、ですか。なにか大事なお話があるのですね、楽しみです」
「えぇ、きっと皆さんに楽しんでもらえると思うわ」
微笑みながらプリシラが話すも、男はいまいち話が理解出来ないと言いたげだ。
その空気を読んだか、それともこれ以上プリシラが話をしては何を言い出すか分からないと考えたか、ダレンが低めの声でプリシラを呼んできた。
「プリシラ、一方的に話を進めるな。客人が困っているだろう」
「そうね。久しぶりに友人以外と話をしたから感覚が分からなかったわ。ごめんなさいね」
プリシラが謝罪をすれば、男が不思議そうにしつつ「いえ……」と返してきた。
「そういえば、ご子息のジュノ様は医学を学ぶために遠方に行ったと聞きましたが」
「……そうだ。以前より医学を学びたいと言っていてな。いずれはフィンスター家を継ぐとはいえ、学は多いに越した事はないだろう」
「さすがご立派なお考えですね。本日はジュノ様はお戻りになられていないようで、ご挨拶をしたかったのに残念です」
「あれも幼いとはいえ親元を離れた身だ。あちらでの暮らしもあるのだから無理に呼び寄せるのも酷だろう。私がいますべきは息子の成長を願うだけだ」
ダレンの話は尤もであり、子の成長に期待する親として立派とさえ言える。もっとも言葉でこそジュノを想ってはいるものの、内心では一刻も早く男の好奇心を逸らしたいと考えているに違いない。
そんなダレンの発言に、プリシラはさも疑問だと言いたげに「あら?」と声をあげた。
「そんなに寂しがらずとも、息子なら近くにいるじゃない」
プリシラのこの発言に、ダレンはもちろん、話をしていた男も、ましてや周囲で聞き耳を立てていた者達も怪訝な表情を浮かべた。
「なにを言っている。ジュノは今はレッグの故郷に行っているだろう」
「そうね。ジュノは遠くに行っているわ。だけど貴方の息子はジュノだけじゃないでしょう?」
「……っ、おい、なにを」
ダレンが一瞬言葉を詰まらせる。
それでも再び問い質そうとする彼を、プリシラは視線を他所に向けて「ほら」と話しかける事で遮った。
誰もがプリシラの視線を追ってそちらへと顔を向けた。とりわけダレンは顔を顰め、バッと音がしそうな程の勢いでそちらへと向く。
そこに居たのは一人の女性。
金色の髪、はっきりとした目鼻立ちには鮮やかな化粧がよく映え、とりわけ赤い口紅が目を引く。凛とした美しさは威厳すら感じさせ、並の男ならその麗しさに気圧され、名前を聞いたならそそくさと道を譲っただろう。
……もっとも、その名声もかつてのものだ。今は『関われば損だ』という別の意味で男も女も道を譲る。
「セリーヌ……」
ダレンが彼女の名前を口にした。
セリーヌ・アトキンス。アトキンス商会の夫人であり、才女とまで謳われた女性。
彼女は周囲の視線が自分に向けられていることに怪訝な表情を浮かべている。
混乱しているのだ。なぜ自分がプリシラ主催の夜会に呼ばれたのか、なぜ今この瞬間に注目されているのかが分からない。
ただでさえ今のセリーヌにとって公の場は針の筵だというのに、この夜会の針は鋭利さが増している。
そんな中のこの視線の嵐、いかな才女と言えども困惑して当然だ。
「ど、どうしたのかしら……。ダレン様、何かありましたか?」
普段はダレンのことを呼び捨てで呼ぶが、さすがに公の場では一介の夫人として対応している。
周囲を窺いつつもダレンとプリシラのもとへと近付くと恭しく頭を下げた。だがプリシラを見る目に僅かにギラリとした光を宿したのは、きっとダレンのエスコートを奪われたと考えているのだろう。プリシラとしては、こんな男の隣なんぞ頼まれずとも譲ってやりたいのだが。
「ダレン様、本日はお招きいただきありがとうございます」
「あ、あぁ、……よく来てくれた」
「まさか息子にも招待状を頂けるなんて。夜会は初めてなので、なにか粗相があるかもしれませんが……、ダレン様?」
セリーヌが疑問の声色でダレンを呼ぶ。
だがそれに対してのダレンからの返事は無い。彼は目を見開き一点を見つめている。
セリーヌが来た方向。そこから母に遅れて現れた息子……。
エリゼオ・アトキンス。
まだ年若い少年を、ダレンは信じられないと言いたげな表情で見つめている。
次第にその顔が青ざめていき、掠れた声で「なぜ」と呟いた。




