43:フィンスター家の夜会
フィンスター家で開かれた夜会。
招待状を受け取った者達は誰もが「どうしようか」と難色を示しつつ、目にはギラギラとした好奇心を宿していた。
体面では問題のある伯爵家と付き合うことを悩み、それでいて胸の内では面白いものが見られるのではと期待をしているのだ。下卑た野次馬根性は隠し切れず、言葉の端々からも漏れ出ている。
その歪さは気持ちの悪いものだが、社交界では誰もが皆似たり寄ったりでしかない。
招待状を貰えなかった者は「あんな家と付き合いなんて」と話しつつ、夜会に出席する者から話を聞き出そうと茶会の予定を立て始めていた。
フィンスター家は社交界において爪弾きにあっている。
……だが同時に、フィンスター家の凋落は社交界において今一番のエンターテインメントでもあるのだ。
「お久しぶりですね、ようこそいらっしゃいました」
朗らかに来賓達を迎え入れるのはプリシラ。
ドレスにアクセサリー。髪にはドレスに合わせた色合いの髪飾りも着けている。
貴族の夫人、それも夜会の主催にしては質素な服装になるかもしれないが、屋敷を訪れた誰もがプリシラに見惚れていた。
プリシラの見目の美しさが、フィンスター家の現状や悪評を気にもかけぬ堂々とした立ち振る舞いが、眩いほどの麗しさとして現れているのだ。
そしてプリシラの美しさに見惚れると同時に、来賓達は困惑もしていた。
「プリシラ様は病に臥せっていると聞いていたが……、お元気そうだな」
「えぇ、私も体が弱くてパーティーには出られないといつも聞いていたわ。でも見て、あんなに楽しそうにお話している……」
「これでは聞いていた話と違うじゃないか」
「そうよ。プリシラ様が病弱でパーティーに出られないっていうから、ダレン様はいつもセリーヌ様をエスコートしていたんじゃなかったの?」
そこかしこで囁かれる疑惑。
プリシラはそれを聞きながらも平然と来賓達の対応をしていた。気にならないと言えば嘘になるが、かといってここで気にして無様な姿は晒せられない。
だからこそ耳に届く疑惑の声を意識の隅に追いやり、新たに訪れた来賓を迎え入れようとし……、「あら」と小さく声をあげた。
夫人らしい微笑みが別の笑みに変わる。信頼と友情を交えた笑み。
夫人らしい上品さを残しつつあどけなさも感じさせるその笑みはプリシラをより美しく見せ、来賓達が息を呑む。熱っぽい視線を送る男も少なくない。
「クローディア、来てくれたのね」
来賓として現れたのは、普段は森の中の屋敷で暮らしているクローディア。
濃い紫色のドレスは彼女の蠱惑的な魅力を増させ、深めに入ったスリットとそこから伸びる長いしなやかな足は同性でさえ目を奪われる。
優雅に歩く様はさまに貴族の夫人だ。魔女とは誰も思うまい。
「プリシラ、今夜は招待ありがとう。夜会なんて初めてで……、いや、初めてじゃなくて久しぶりだから緊張するね」
「そうね。長いこと療養していて公の場は久しぶり、なのよね。どうぞ今夜は楽しんで。でも体調が悪くて療養している夫人なんだから程々にね」
あえてプリシラが療養を強調して話せば、クローディアが楽しそうに笑った。
その表情はとうてい療養が必要な夫人の浮かべるものではないのだが、今更それを指摘する気はない。この調子だとうっかりと己の設定を忘れて夜会を楽しみそうな気もするが、仮にそうなっても彼女自身でなんとかするだろう。
優雅な貴婦人に見えていても正体は魔女だ。たとえヘマをしても魔法で全員の記憶を操るぐらいは造作ないだろうし、いざとなれば時を戻してやり直すことだって出来るのだから。
「ジュノを紹介出来ないのは残念だけど、あとでイヴを紹介するわ。ぜひ彼女に会ってあげて」
「それは楽しみだ。それじゃあ、開幕までは貴族の夜会を楽しませて貰うから」
「えぇ、ごゆっくり。その時が来たら呼ぶわ。……でもクローディアなら、呼ばずとも来てくれるわね」
「そりゃあ、今夜はそれを見るために来たんだから」
何を、という明確な言葉は控えた歪な会話。それが逆にクローディアには楽しいのだろう、彼女はクスクスと笑いながら歩いていってしまった。
途中で適当な夫人に声を掛ける。その際の「お久しぶり」というクローディアの言葉はまるで旧知の仲のようではないか。対して声を掛けられた夫人は一瞬言葉を詰まらせ……、だがすぐさま「クローディア様、お久しぶりですね」と朗らかに受け入れた。
たった数秒で彼女はクローディアと旧知の仲になり、周囲もそれを疑わない。その違和感に気付けるのはクローディアが魔女だと知るプリシラだけ……。
「魔女っていうのは本当に凄いのね」
感心するように呟き、プリシラは新たな来賓を出迎えるべく表情を伯爵夫人らしいものに戻した。
◆◆◆
夜会は順調に進んでいた。
料理も音楽も絢爛豪華とは言えず小規模なものではあったが、質の良いもので揃えられている。これが単なる夜会であったなら来賓達も満足できただろう。
だが今回に限っては来賓達は満足することはなかった。彼等の望みが『夜会』ではなく別のところにあるからだ。
誰もが何かが起こる瞬間を待ち侘びて、新たな情報を得たいとギラギラと瞳に下卑た光を宿す。
そんな中、プリシラはダレンの隣に立ちながら注がれる視線を感じていた。
伯爵家の夜会なのだから、主催夫婦が共に居るのは当然のことだ。否、主催ではなくとも普通であれば夫婦は共に公の場に出るべきである。
……普通であれば。
「貴方と夜会で過ごすのは初めてね。ねぇダレン」
「……何を考えている」
「何って? 素敵な夜会になるように色々と考えているのよ。主催なんだから当然じゃない」
「突然パーティーを開きたいと言い出したかと思えば勝手に準備を始めて、気味の悪い女だ」
ダレンの声には嫌悪を通り越して畏怖の色さえある。
だが事実、ダレンが言う通り、今夜の夜会はプリシラが勝手に決めて準備を進めたものだ。当然だがダレンの手は借りていない。彼に話した時には既に招待状をばらまき終えていた。
掛かった費用は、五年間プリシラが密かに貯めていたものと、衣服やアクセサリーを売って得た資金を充てた。
もろんそれだけでは足りなかったのだが、工面を考える前にクローディアが宝石をくれた。随分と立派なものを、ゴロゴロと無造作に麻の袋に詰めて渡してきたのだ。相談どころか夜会の話をする前に。
『なにか知らないけど面白いものを見せてくれるんでしょう? だからこれはそのお礼の前払い』
と、そんな会話をしたのを今でも思い出す。
あの時の彼女の『魔女は面白いものに敏感だからね』という言葉と笑みは、まるで玩具を前にした子供のようだった。
だがそのおかげで資金は十二分にあり、さらに他の手配はスコットが担ってくれた。
セリーヌの監視の目もあるのに大変だろうと労ったところ、彼もまたしたり顔で『今のセリーヌは気が立っていて、逆に行動が分かりやすいですよ』と教えてくれた。
「いったいどうやって夜会など……。フィンスター家の金は使っていないだろうな」
「安心して、セリーヌから貰った大事なお金は使ってないわ。汚くて触る気にもならないもの」
プリシラが嫌味たっぷりに告げれば、ダレンが忌々しいと睨みつけ、挙げ句に舌打ちをしてきた。
嫌悪の色を隠そうともしない。きっとプリシラの隣に立つのも嫌なのだろう。だが周囲の目があり離れるわけにもいかず、大々的に無下に扱うわけにもいかず、並んで立つしかないのだ。
だというのに、来賓に声を掛けられるとすぐさま表情を変えて対応している。現に今も、横から声を掛けられるやダレンは表情を一転させて穏やかに微笑みだした。
この変わりようにはプリシラでさえ感心してしまう。




