41:アトキンス商会の主
スコット・アトキンスは幼少時の事故により生殖機能に損傷を負った。今から数十年も前、まだプリシラが生まれる前の話だ。
性行為は問題なく出来るが子をもうけることは出来ないと医師から診断を下され、それは彼が成人しても、セリーヌと結婚しても変わらず回復は望めなかったという。
商会の跡取りとして致命的な事実だ。そのうえスコットの弟は若くして逝去しているため、兄弟の子を跡継ぎにする事も出来ない。
となれば親族か、もしくは他所から養子を貰うか。
ゆくゆくはアトキンス商会の跡取りになるだけあり、スコットは悩みに悩んだという。
そんな折に、セリーヌから子を身ごもったと知らされた。
もちろん、スコットの子供として。
「セリーヌには子をもうけることが出来ないとは言っておりませんでした。ちっぽけだと思われそうなものですが、男の見栄やプライドで『可能性が低い』とだけ……。事実を打ち明けねばと思っていた矢先に、セリーヌが腹を撫でながら妊娠を告げてきたんです」
「ダレンもダレンだけど、セリーヌも相当な女ね」
「他の男との子供であることはすぐに分かりました。ですがそれでも、私との子供として育ててくれるならそれで良いと割り切る事にしたんです。元よりセリーヌとは愛があって結ばれたわけではありませんし、彼女が自分の子を望んでいたとしたら私では叶えてやれませんから。なにより、セリーヌの商会への貢献はこの事実を墓まで持って行こうと思わせるものでした」
酷い裏切りだ。とうてい良き妻とは言えない。
だからこそスコットはセリーヌを『商会を繁栄させるためのパートナー』として受け入れる事にしたという。
そこに愛が無くても構わない。他所に愛を捧げていても言及するまい。セリーヌはその手腕で商会を更に大きくし、そして跡取りとしての子を身籠ってくれた。
愛が無いことは承知で結婚したのだから、それで十分ではないか……と。
これは諦めか、自虐か、もしくは商会の長として生きる男の取捨選択か。
だがセリーヌの裏切りはそれだけでは終わらなかった。
「まさか私を害してアトキンス商会を乗っ取ろうとしていたなんて……。商会のためにセリーヌの裏切りは受け入れられましたが、だからこそ、私から商会を奪うことは許せません」
スコットの声色が次第に低くなっていく。声を荒らげこそしないが、密かに静かに、それでいて燃える炎のような怒りを携えた声。
愛の無い裏切りを許してしまうほどの商会への思い入れが、許しが、反転して怒りへと変わっていったのだ。
時戻しの前の弱いプリシラであったなら臆していたかもしれない。
そんなスコットをじっと見据え、プリシラは「私も……」と口を開いた。
「私もダレンに対して同じことを考えていたわ。私をフィンスター家夫人として立ててくれるなら愛が無くても構わない、愛人がいても良い。……って」
「彼の返事は?」
「馬鹿々々しいと吐き捨てて、貴族の女としての慎ましさを持てとまで言ってきたわ」
「……そうですか」
「あの男を忌々しいとは思うけど、ジュノと出会わせてくれた、あの子の母親にしてくれた、それには感謝してるの。だけどダレンはそれすらも踏みにじった。だから彼のことは見限ることにしたのよ」
「ジュノ様とは仲がよろしいんですね。羨ましい。私の方はどうにも……」
スコットが溜息交じりに首を横に振った。
漏らされる溜息は深い。
「プリシラ様から話を伺った当初、エリゼオについての事実は明かさないつもりでした。血は繋がってはいませんが、それでも一度は息子として受け入れましたから。私には親としての責任があります」
毒を盛って商会を奪おうとしたセリーヌは排除する。だがその息子であるエリゼオは以降も息子として育てるつもりだった。
もちろん『血が繋がっていない』という事実は公表せず。プリシラにも言わず、医師であるハンネスにも口外しないよう強く頼み込んで墓まで持っていくつもりだったという。
……だけど、
「セリーヌの魂胆を知って以降、エリゼオと話をするように心がけたんです。そこで思い知りました。……エリゼオは私を父とは思っていません」
「まさか、エリゼオは自分の父親が誰かを」
「いえ、さすがにそれは知らされていないようです。あれはただ、病に伏せって何も出来ずにいる私を見下しているのでしょう。それとダレン様を尊敬しているんです」
「ダレンを?」
「はい。ダレン様は以前より商会を訪れる事が多く、私が部屋に籠るようになってからはその頻度が更に増していました。エリゼオにも接してようで、すっかりと彼に心酔しています」
「……そうだったのね」
思い出されるのは時戻しが行われる前の六年間。
ジュノはプリシラを母とは思わず冷たい態度を取っていた。その代わりにきっとセリーヌを母と慕っていたのだろう。
それと同じことをダレンはエリゼオにしていたのだ。呆れと嫌悪が一気に湧き上がる。
「それで、私に話をしてくれたのね」
「エリゼオについては未練が無いと言えば嘘になります。不貞の子と知ってはいましたが、それでも己の息子だと受け入れ育てていましたし。父親としての愛はありました。……ですが、あの冷たい目を前にすると情が消えていくのを感じるのです」
「そうね、分かるわ……」
「え?」
プリシラからの共感が意外だったのか、スコットが不思議そうな表情を浮かべた。
「あ、えっと……、私も結婚した当初はダレンとの子供を望んでいたから、未練を断ち切れない気持ちは分からなくもないの」
「なるほど、そうでしたか」
スコットは特に疑問を抱くことなく納得してくれた。彼の隣にいるハンネスも、そして話を聞いていたオリバーもこれといって言及してはこない。
良かった、とプリシラは小さく心の中で安堵の息を吐いた。
次いで改めてスコットに話を打ち明けてくれた事に感謝を示せば、彼はなんとも言えない表情を浮かべた。当人が言っている通り未練が残っているのだろう。後悔や迷いを感じさせる表情だ。
それでも話題がセリーヌとダレンについてになると表情を途端に厳しいものに変えるあたり、セリーヌに対しての未練はもう無い事が分かる。
◆◆◆
「プリシラ様は私の命の恩人です。エリゼオの件も含めて、全てプリシラ様の判断に従います」
そう話すスコットの表情は穏やかだ。先程まで見せたセリーヌに対しての静かな憎悪も、エリゼオに対しての躊躇いも無い。
全てを話し、そしてプリシラに託すと告げたことで彼の中で何かが吹っ切れたのだろう。穏やかに微笑む表情はまるで憑き物が落ちたかのようで、初めて会った時に見えた脆弱さは無い。
そんな彼にプリシラは深く一度頷いて返した。
そうして今後の事を話し、先に席を立ったのはスコットとハンネス。
曰く、長時間外出するとセリーヌに勘繰られて面倒臭いのだという。最近の彼女は疑心暗鬼に陥っており、スコットが何かすると執拗に意図を聞いてくるらしい。スコットが快復に向かっているのも彼女の疑心暗鬼に拍車を掛けているのだろう。
スコット自身もまだ完全に回復しているわけではなく、長時間の外出は疲労が溜まりやすいらしい。医師のハンネスが彼にそろそろと帰宅を促してもいる。
「ではプリシラ様、失礼いたします。何かありましたらご連絡ください」
「近いうちにまた会いましょう」
どこでとも何のためにとも言わぬプリシラの言葉に、スコットもまた明確な言葉を口にせずに深く一度頭を下げた。
そうしてスコットとハンネスが部屋を出て行こうとすれば、オリバーが彼等に続くように立ち上がった。見送りに出るという彼にプリシラは「よろしくね」と告げ……、だが一瞬考え込み、腰を上げた。
「私も見送るわ。クローディア、少し待っていてくれる?」
「良いよ。いってらっしゃい」
プリシラの意図を察したのかクローディアが楽しそうに笑って見送ってくる。にやりとした笑みは物言いたげで、普段は妖艶で不思議な魅力を持つ彼女だが今だけは子供っぽさを感じさせた。
そんなクローディアに見られると恥ずかしさが募り、プリシラは「すぐに戻るわ」と告げて部屋を出て行った。
……オリバーと共に。




