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03:六年前の海

 


 馬車に乗り込み、海へと向かう。

 あの日の荒れ狂う波が嘘のように今日の海は静かで、時折、波が岩肌に当たって少し水飛沫を上げるだけだ。

 その光景は晴れ晴れしさすら感じさせる。太陽の光を受けて輝く海面、そこに立つ白波、行きかう海鳥。なんと美しいのだろうか。


 だが六年後この場所で殺されるのだと考えれば、とうてい見惚れる気にはならない。


「……ここだわ」


 崖下に居りて覚えのある場所に立ち、プリシラは小さな声で呟いた。

 自分が叩きつけられた岩場。六年後の事とは言え形状にさほど変化はなく、見上げればはるか高みに崖上の茂みが見える。

 あの高さから突き落とされたのだ。夫と息子(ダレンとジュノ)に。彼等が最後に見せた笑みすらも脳裏に鮮明に蘇る。


 今から六年後の事。

 だがプリシラには昨日の事でもある。


「どういう事なのかしら……」


 わけがわからない。

 混乱と困惑を胸に溜息交じりにぼやけば、それとほぼ同時に、人の話し声が聞こえてきた。

 御者ではない。御者の男には少し離れた場所で待っているように告げている。その男もまたプリシラの記憶にあり、プリシラが蔑ろにされ始めると馬車を出すのを渋るようになり、挙げ句に馬車を出すように頼むと直ぐにダレンに告げ口をするようになった男だ。

 聞こえてくる声は彼の声ではなく、もっと若い女性の声。誰かと話をしている……。


 どこから、とプリシラが周囲を見回すと、岩場の影から日傘をさした女性がゆっくりと姿を現した。


「そろそろ来ると思うんだよね。銀色の髪だけど一部だけ赤くて変わった色だったから、一目見ればわかるはずなんだけど」


 話しながら女性は岩場を歩いている。足場が悪いというのにものともせず、まるで平地を進んでいるかのようではないか。

 彼女の隣や周辺には人の姿は無く、その代わりに日傘に海鳥が一羽とまっている。海鳥は女性が話に相槌を打つようにミャウミャウと鳴いており、かとおもえば突然バサと羽を広げて高く鳴いた。

 羽を広げるとより海鳥の大きさが分かる。それが飛び上がり、スイと宙を切るようにプリシラの元へと近付いてきた。


「きゃっ!」


 思わずプリシラが悲鳴をあげるも海鳥は襲い掛かるようなことはせず、頭の上を数度旋回して女性のもとへと戻っていった。

 再び日傘にとまり、ミャウミャウと鳴く。まるで女性に何かを伝えるように……。


「彼女? 確かに銀色の髪だけど、赤くは無いから違うかなぁ。でも人間は六年経つと髪の色が変わるのかも」

「え……」

「もしかしたらあの人間は成体に変わる途中で、だから髪の色も部分的に違ったのかな。 もしくはそういう柄か……。人間ってどういう生物だったかな」


 女性はわけの分からない話をしながらプリシラの方へと近付いてくる。

 薄紫色の長い髪を海風に揺らす、どこか独特な雰囲気のある女性だ。印象的な赤い瞳でじっとプリシラを見つめてくる。

 凝視されれば普通ならば不安や嫌悪を抱きそうなものだが、不思議とプリシラの胸にはそういった感覚は無かった。


 ただ、彼女の話し声は記憶の奥底にある何かを揺り動かす。

 何かを思い出しそうで思い出せず、ひどくもどかしい。


「あの、いま……六年って……」


 恐る恐るプリシラが声を掛ければ、女性はおやと表情を変えた。

 宝石のように色濃い真っ赤な瞳が丸くなり、日傘にとまる海鳥さえもプリシラを見つめるようにこちらを見ている。

 次いで彼女はゆっくりと口を開いた。


「六年後にここで死ぬ女性を探してるんだ」


 女性の言葉にプリシラは血の気が引くのを感じた。心臓が早鐘を打つ。


『六年後にここで死ぬ女性』

 間違いなくプリシラの事だ。


 その瞬間、プリシラの脳裏に当時の記憶がより鮮明に蘇った。

 流れるような速さで遠ざかっていく景色。曇天の空と何も掴めずに伸ばされた己の手。指先を伝う雨粒。岩に叩きつけられる衝撃。薄れていく意識。追い打ちをかけるように体を打つ冷たい波。血に染まる己の銀の髪……。

 立っていられずにその場にしゃがみこみ、震える体を抱きしめるように押さえつけた。


「大丈夫?」

「わ、私……」


 立ち上ることはまだ出来ず、それでもと顔を上げた。

 いつの間にか女性は目の前まで来ており、気遣うように日傘をこちらに傾けてくれている。


「ろ、六年後に、ここで死ぬのは……、わ、私なの」

「きみが?」

「そう、私が……、崖から突き落とされて、それで、ここで……。夫と、息子に……」


 説明しようとするも声が震え、言葉がうまく出てこない。そもそも説明しようにもプリシラにも現状が分からず、むしろプリシラの方が説明を求めたいくらいなのだ。押さえていた混乱が堰を切ったように溢れだしてくる。

 そんなプリシラを見てこのままでは話が出来ないと考えたのか、女性が移動を提案してきた。それを聞いたからか、もしくは偶然か、女性の日傘にとまっていた海鳥がバサと羽を広げて飛び上がった。

 頭上を旋回し、ミャウミャウと鳴き声を上げる。晴天のもと優雅に飛ぶ海鳥の姿は一枚の絵画のようだが、今のプリシラにはそれを見る余裕は無い。


「じきに風が強くなるって。私の家に行こう」


 女性が手を差し伸べて立ち上がるように促してくる。

 止むことなく聞こえてくる波の音と海鳥の鳴き声。

 顔を上げれば眩いほどの太陽の光と、それを受けて輝く女性の薄紫色の髪。彼女の背後にある岩壁を目で追えば、かつて自分が突き落とされた高さに茂みが見える。


(眩暈がしそう)


 プリシラは心の中で呟きながら女性の手を取った。



 ◆◆◆



 御者には知人の家に行くと告げて先に帰らせた。

 屋敷に戻れば御者はすぐにダレンに報告に行くだろう。自分の言いつけを破り海に行ったうえに寄り道をしたと知れば、ダレンは相当怒るはずだ。「あの小娘が勝手な真似を」と不機嫌に言い放つダレンの声も姿も容易に想像できる。

 前回のプリシラであれば彼の機嫌を損ねる事を恐れて帰宅しただろう。帰宅し、改めて外出の許可を求め、そして威圧的に拒否されて部屋に閉じ込められるのだ。

 だが今はダレンの怒りなどどうでも良い。彼の機嫌が悪くなろうが問い詰められようが構わない、帰宅後に部屋に閉じ込められる事だって怖くない。


 それより今は自分の身に何が起こっているのかを知るべきだ。


 そう考え、プリシラは女性の家へと招かれる事にした。

 彼女が乗ってきたという馬車に乗り、海辺を離れてしばらく走る。次第に景色は変わり海が見えなくなる代わりに木々が増えていく。

 更にしばらく馬車を走らせ、森の中に入った……、と思った矢先、馬車がゆっくりと速度を落とした。


(ここから先は馬車では進められないのかしら)


 森の中は歩きになるのか。

 そう考え、プリシラは女性に促されるままに客車から降り……、


「えっ……?」


 と、躊躇いの声を漏らした。

 眼前に屋敷が建っている。古めかしさと威厳を纏った立派な屋敷だ。

 鬱蒼とした森の中に佇む様は絵になっており、同時に、どこか他者を寄せ付けぬ空気を纏っている。もしも森の中を彷徨い歩いた夜にこの屋敷に辿り着いたなら、近付くのを躊躇ってしまうだろう。

 なによりこの屋敷を言い知れぬものと感じさせるのは、『なぜ、この屋敷がここに建っているのか』だ。


 馬車は森に入ってすぐに停まった。それはプリシラも窓から確認しており、そして窓から眺めていた限りでは屋敷など建っておらず、その全貌はおろか門の一部すら見えていなかったはずだ。

 だというのに客車から降りたプリシラの目の前には屋敷が建っていた。まるでプリシラの足が地に着いた瞬間に現れたかのように……。


「どうして……。こんな屋敷さっきまで無かったのに。今までだって見た事が無いわ」


 過去何度かこの森に足を踏み入れた事がある。

 ダレンと結婚してからは家を出る事は滅多に無かったが、それ以前は家族で出掛ける事もあれば友人達と外出する事もあった。その中で、数えるほどしかないがこの森にだって来ている。

 だが一度としてこんな屋敷は見かけなかった。森の奥深くならばまだしも、入って直ぐに到着するのなら気付かないわけがないのに。


 そうプリシラが疑問を抱いて屋敷に近付くのを躊躇っていると、先に降りて御者と話していた女性がこちらを向いた。


「取って食われるとでも思っているのかな。安心しなよ、そんな趣味は無いから」


 屋敷を前にすると余計に彼女の独特な雰囲気が濃くなる。穏やかで人当たりが良く、それでいてどことなく一線を画すような、近付いて良いのか躊躇わせる妖艶な空気。この屋敷の主だと言われずとも理解出来る。

 そんな女性に促され、プリシラは躊躇う気持ちを押さえつけるようにスカートの裾を強く掴んで歩き出した。


「六年後にまた死ぬかもしれないんだもの、取って食われようとも怖くないわ」


 はっきりと告げて颯爽と歩き出せば、女性が楽し気に笑うのが背後から聞こえてきた。




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