25:スコット・アトキンス
その日もプリシラはクローディアのもとへ向かおうと思い立ち、イヴに外出を告げた。
冷たい視線を向けてくるメイド達を無視し、快く外出の準備を整えてくれるイヴと準備をする。
屋敷を出れば既にオリバーが馬車を用意しており、馬の調子を見ていた彼はプリシラに気付くと穏やかに微笑んで頭を下げてくれた。
その際に交わす会話は他愛もないものだ。時間にすれば数分程度。誰かが聞き耳を立てていても怪しまれる要素のない『夫人』と『御者』でしかない会話。
そうしてプリシラは彼に手を借りて客車に乗り込む。差し出された手に己の手を重ね、だが握ることはせず、彼から手を握られることも無く。
僅かな時間の、微かな触れ合い。
以前に『フィンスター家夫人』と『フィンスター家御者』で居ると宣言して以降、オリバーは距離を詰める事もせず、こうやってあくまで『御者』としてプリシラに尽くしてくれている。
それで十分だ。いや、それこそが彼からの愛なのだ。
そう考え、プリシラは客車の中で緩やかに息を吐いた。
窓の外を見れば景色が流れていく。御者台に居るオリバーの姿は客車の中からは見えないが、それでも手綱を持つ彼の凛々しい姿を想像し、プリシラはゆっくりとまるで馬車越しに彼に身を預けるように目を瞑った。
「やぁやぁ、よく来たね。待ってたよ」
上機嫌でプリシラを出迎えたのはクローディア。
連絡もしていないというのに彼女はプリシラの訪問を驚くことも意外そうに思うことも無く、まるで当然のように出迎えてくれた。
プリシラもまた慣れたもので今更それに疑問を抱く事はない。オリバーだけは不思議そうに「待っていたとは……」と呟いているが、プリシラの友人ならばと考えたのか深く言及まではしてこない。
「中で待たせているから、さぁ入って」
「待たせてるって……。まさかいつもの海鳥?」
「海鳥? いや、彼女は別にここには来てないよ。それよりほら、外で立ち話をするのもなんだから中に入ろう。オリバー君もせっかくだから今日は同席すると良いよ」
さぁ、と促してくるクローディアに手を引かれ、プリシラはオリバーと共に屋敷の中へと入っていった。
通されたのは普段クローディアと話をする客室。
窓から外の景色も眺められ、入り込む風が心地良い部屋だ。
そこには一人の男性が居り、プリシラが部屋に入ってくるのに気付くと立ち上がった。
年齢は五十台半ばだろうか。細身というよりは痩せ衰えたような線の細さがあり、顔色が悪く頬もこけ、目元の隈が妙に濃い。そのせいか、身形は良くともどこか鬱蒼とした雰囲気を纏っている。
「プリシラ様、お会い出来て光栄です」
「……貴方は?」
「スコット・アトキンスと申します。以後お見知りおきを」
丁寧な挨拶と共にスコットが名乗る。
それを聞き、プリシラは「アトキンス商会」と小さく呟いた。
次いでまさかという気持ちでクローディアを見れば、彼女は何食わぬ顔で笑っている。挙げ句に「ちょっと興味があってね」と言いのけるではないか。
スコット・アトキンス。
アトキンス商会の長。……ではあるが、実際の主導権はすべて妻セリーヌ・アトキンスに握られている。そしてそのセリーヌはダレンと……。
自分の夫の浮気相手の夫。伴侶に不貞された哀れな男女の顔合わせ。
だがここで取り乱してはいけないと己を律し、プリシラは動揺を悟られないよう深く息を吐いた。
「スコット、どうして貴方がここに……? クローディアと知り合いだったの?」
「はい。アトキンス商会を代々贔屓にしてくださり、クローディア様には以前より相談に乗って頂いていたんです。本日もプリシラ様がいらっしゃるので話をした方が良いと提案してくださり、こうやって待たせて頂きました」
「そう……」
嘘だ、とプリシラはすぐさま気付いた。
スコットはまるでクローディアが代々続いている家の子孫のように話しているが、彼女は魔女だ。魔女には家族は居ないと本人も言っていた。『代々』なんてものはない。
それに以前にアトキンス商会について話をした際、クローディアは初耳だと言いたげな反応をしていた。
これもきっと魔法なのだろう。大方、旧知の仲だと事実と記憶を書き換えたに違いない。
ならばとプリシラは「そうだったのね」と納得する事にした。
魔女がやった事を自分がどうこう出来るとは思っていないし、わざわざスコットに事実を伝える必要も無い。
なにより今重要なのは、なぜここにスコットが居るのかだ。
「クローディアに相談と仰っていたけど、私にも関係があることなのかしら」
「それが……、クローディア様はプリシラ様に相談された方が良いと仰ってまして。実は数年前から体調が悪くて悩んでいたんです」
「体調が?」
「えぇ、四年ほど前から妙に体が疲れるようになり、次第に食欲も衰え……。最近ではベッドから降りられず寝たきりで過ごす日も少なくないんです。医者は老いで体が弱っていると話しますが、それにしたって異様としか思えず……」
本人が言う通り、スコットはまさに病人然とした風貌をしている。
最初に見た時に彼を五十代ぐらいの男性と捉えたのもその衰えからだ。実際のスコットは今年で三十五歳のはずだが、到底その年齢とは思えない。これをただの老いと診断するのは無理がある。
曰く、体調が悪くなったのは四年ほど前で、それより前のスコットは健康そのものだったという。本人も商会を引っ張っていく身として健康に気を遣っていた。
それが次第に不調を感じる日が続き、最近では半日働くだけで立っていられず、翌日はベッドから出られなくなるという。商会お抱えの医師に診て貰っても原因は分からず、日に日に衰えていくばかり……。
「そこでクローディア様に相談したのです。クローディア様は医学の心得もあるそうですから、原因が分かるかもしれないと思いまして」
「クローディアに医学の心得……」
「ご存じなかったのですか?」
「いえ、ちょっと忘れていただけ。そう、医学に通じているのよね」
もちろんこれも嘘に決まっている。だというのに当のクローディアは得意顔を浮かべており、そんな彼女をオリバーが意外そうな表情で見ている。
だがクローディアの正体は魔女だ。
魔女としての医療知識はあるかもしれないが、人間に対する医学の心得は無いはず。現に彼女はプリシラが手荒れについて話をしたら不思議そうに手をまじまじと見つめ、「ここから色が変わるの? それとも脱皮をするのかな」と話していた。医療どころか人間に対しての知識が些か欠けている。
だというのにあえてスコットに知識が有ると思わせているのは、きっとこの話をプリシラに聞かせるためだ。
だけどどうして……、と考え、プリシラはクローディアを呼んだ。彼女の考えなど分かるわけがない。
「少し二人きりで話をしたいの。スコット、席を外させてもらって良いかしら?」
「もちろんです。私の方が席を外しましょうか」
「そんなに長い話にはならないし、体調が優れないなら座っていて。オリバー、彼の話し相手になってさしあげてね」
立ち上りかけたスコットを制して、オリバーに後を任せる。
軽く頭を下げてくる二人に見送られ、プリシラはクローディアと共に部屋を後にした。




